第6怪【ヒキガエルばあさん】後編

 ガチャガチャガチャガチャガチャ


「……ごめんなさいっ……ごめんなさいっ……」


「もう悪戯はしません! 絶対にしませんから!!」


「謝るから……っ、お願いします、許してください……っ」


 どれだけそうしていただろうか。オレ達が泣きながら謝っているとピタリと物音が止んだ。ドアを叩く音もドアノブを捻る音もまるで夢だったかのように聞こえなくなる。


「終わった? 許してくれた、のか?」


「もう、音しないよな?」


「う、うん……もう……ギャアアアアアア──ッ!!」


 三人でぎこちなく顔を見合わせていると、シンの視線が一瞬リビングに向かった。そして、顔色がいっきに悪くなり、喉が張り裂けそうな絶叫をして倒れる。


「おいっ、シン、どうしたんだよ!?」


「なんでいきなりこんな、シンッ、しっかりしろ!」


「口から白いの出てるぞ!? 誰か大人を呼んで来ないと、でもドアが……っ」


 シンは白目をむいて、口からは白い泡を出していた。その尋常じゃない様子に、オレ達はもうどうしていいかわからなくて、泣きながらシンを抱えて震えるしかなかった。そんなオレ達の後ろでドアが開いた。


「ちょっと、今の声はなに!? やだっ、シン君どうしたの!?」


 買い物から帰ってきた母親は、玄関前で泣いているオレ達を見て驚いていた。


「母さん、助けて!」


「このままじゃあ、シンが死んじまうよ!!」


「待ってなさい、今救急車を呼ぶから! あんた達いったいなにをしてたのよ!?」


「オレ達は悪戯をしただけで……」


 母が救急車を呼ぶと、オレ達は泣きながらこれまであったことを説明した。母は要領を得ない子供の言葉にも真剣に耳を傾けてくれると、大家さんに電話をかけ始めた。


 子供が悪戯をしたことと、それが原因でばあさんを怒らせたかもしれないということ、そして救急車を呼んでいることまで話していた。ただ、オレが見たことに関しては現実味がなかったからだろう。伝えなかったようだった。


 救急車は十分くらいで到着して、シンを病院に運んでいった。母はオレとケンタに温かいココアを出してくれると、それからもなにやら忙しそうに電話のやりとりを複数していた。


 しばらくして、ケンタの母親が迎えに来た。仕事の途中だったのだろう、上はスーパーの制服のままだった。


「……母ちゃん」


「大変だったね。お家で美味しいものを食べて今日はゆっくり休もう、ケンちゃん」


「仕事中なのに迷惑かけてごめん。──アツシ、また学校でな」


「……ああ」


「アツシ君、いつも仲良くしてくれてありがとうね。──アツシ君のお母さん、シン君のこともありますし、詳しいことはまた今夜にでもお話ししませんか?」


「ええ、それがいいでしょうね」


「後ほどお電話させていただきます。今はこれで失礼しますね」


 親同士の会話を聞き流しながら、オレは項垂れたケンタを見ていた。少し顔を上げたケンタは今までに見たことがないほど不安そうな表情をしていた。


 いつだって堂々として強い奴だと思っていたのに、その時は一周りも二回りも小さく見えた。きっと、ケンタの目に映るオレの顔も同じように不安にまみれていたはずだ。


 シンのことが心配でたまらなかったし、あの悪夢みたいな出来事が目にも耳にも焼きついていて、思い出すたびに涙が滲んで恐ろしさに震えてくる。


 オレ達が調子に乗って悪戯をしたばかりに、一番反対していたシンが被害を被ってしまった。その罪悪感とどうなるかわからない不安に腹の中が気持ち悪かった。


 昨夜の内に親同士の間でどんな話があったのかはわからない。だけど、その翌日、オレは両親に言われて学校を休むことになった。


 あまり眠れなかったため、ぼんやりしながら自室にいると、また電話が鳴った。しばらく母が話している声が襖越しに聞こえたけれど、それが終わった頃に、有休を取って仕事を休んだ父がオレをリビングに呼んだ。


 両親の固い空気を感じて、オレは緊張しながら椅子に腰を下ろすと、父から話を切り出された。


「アツシ、今からする話はお前が大人になるまで誰にも言ってはいけない。友達にも黙っているんだ。出来るかな?」


「……うん」


「シン君は今入院している。よほど恐ろしい思いをしたんだろうな。口がきけなくなっているそうだ。命に別条はないから、そこは安心していい。でも、しばらく連絡はしないでほしいと、ご両親から言われている」


「オレが悪戯に誘ったりしたから……」


「誘った方も悪いし、誘われて断らなかった方も悪い。だけど、もし機会があったらおばさんには謝りなさい。お前だけが悪いわけじゃなくても、お父さんもお母さんもお前が同じ目にあえば、相手の子に怒りが向いてしまうかもしれない。おばさんの気持ちがわかるからな」


「わかった、ちゃんと謝るよ」


 オレは後悔を噛みしめながら、父の言葉に頷いた。理不尽だとは思わなかった。ただただ、シンにもおばさんにも申し訳なくて、返事を返す声が震えた。


「それでな、昨日お前達が悪戯をしに行った鈴井さんのことなんだが……あの後、管理人さんが話を聞きに行ったら、こたつの中で亡くなっていたそうだ」


「えっ!? じゃあ、オレが見たのは……」


「お前が見たものが幽霊なのか幻だったのかはわからない。だけど、前日の夜にはもう亡くなっていたのは確かなんだ。病死と判断されたらしい。大家さんは、お前達が悪戯をしていた最中に亡くなった人を見つけて、パニックになったと思っている。お父さんもお母さんもそれを否定するつもりはなし、この話はそのまま治めるつもりだ」


「お母さん達は、あんたが見たものを嘘だと思っているわけじゃないのよ? だけどね、周りの人がそれを信じてくれるかはわからないの。だから、この話は学校でしてはいけないし、ケンタ君にもシン君にも言ってはダメよ」


「わかった、言わないよ。だけど、また怖いことが起こったらどうしよう」


「その時はどこかでお祓いをしてもらえばいい。だけど、お父さんはもうなにも起こらない気がしているんだよ」


「どうして?」


「お前達はもう二度とこんな悪戯はしないだろう? 鈴井さんもそれだけ派手に脅かしたなら満足したと思うぞ。自分の遺体も見つけてもらえたしな」


 父はそう言って笑うと、オレの頭をわしわしと撫でた。




 あの後、シンは一週間ほど学校を休んだけど、登校してきた時には話せるようになっていた。オレもケンタもまた普通に会えることがすごく嬉しくて、シンに走り寄って何度も謝った。


 シンは笑顔で許してくれて、おばさんにも家まで行って直接頭を下げることが出来た。それで、オレが一年後に引っ越すまでずっと仲良くしてくれた。


 それから、オレ達が怖い目に遭うことはなかったし、父との約束通りにその話は一切しなかった。だから、口に出せなかったけど、ずっと気になっていたことがある。


 あれ以来、シンの視線が時々どこかを見ていることがあったんだ。オレ達の方を見ているようでその後ろを見ていたり、話している時に視線が違う方向に流れたり。


 シン、お前はあの時なにを見ていたんだ? オレ達を追いかけてきたものや、アパートの中で絶叫して気絶した理由は……? 


 つい最近まで、オレはこの出来事をずっと思い出さないように生きてきた。今となっては、シンやケンタとは付き合いもないし、忘れた振りをするのが楽だったから。


 だけど最近、それが出来なくなっている。五歳になったばかりの息子が突然よく泣くようになり、妻が話を聞くと部屋の一辺を指差して「こわいおばあちゃんがいる」と言っているそうだ。


 もしかしたら、まだオレ達はあのばあさんに許されてはいないのかもしれない。


 せめて、あいつらが何事もなく元気に生きていることを、オレは願っている。

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