第4怪 【先輩の引っ越し】前編

 家っていうとどんなイメージが浮かぶ? リラックス出来る居場所? プライベートな空間? 汚しても散らかしても許される小さな世界? 


 まぁ、最後のやつは大げさだけど、本来ならだいたい全部混ざった感じが家に対する正しい認識なんだろうな。でも、中にはそのイメージとは程遠い場所が存在する。これは、俺が会社の先輩に頼まれて引っ越しの手伝いをした時の話だ。





 真夏の炎天下は日差しのギラつきが半端じゃない。そんな中でエアコンがつかない部屋に野郎が三人も入っていれば、汗臭さと男臭さでもれなく地獄行きだ。


 オレ、新藤輝明しんどうてるあきはとある広告会社に勤務しているんだが、今日は同じ部署の先輩に命じられて引っ越しの手伝いに駆り出されていた。


「ったく、重いんだよ!」


 そう吠えたのは、冷蔵庫を一緒に運び込んでいた友人の田中浩太たなかこうただ。こいつとは高校が一緒で、気心がしれている友人でもある。そう短気な奴じゃないんだが、こうも苛立っているのは本来なら今日はナンパでひっかけた女とデートだったからだろう。それを会社の先輩命令でつぶされたとなれば、気持ちはわからなくもない。


「怒ると余計に暑くなんぞ」


 もう一人の犠牲者、同僚の大久保正和おおくぼまさかずが冷めた表情で振り返る。クールで顔のいいそいつはといえば、段ボールを開いて食器を棚に片付けており、さっさと片付けて帰りたいという空気が背中から噴き出しているようだ。背中で語るとはこのことだろうか。


 そんな中、ひぃひぃ言いながら冷蔵庫を運び込んで設置を完了させると、耐えかねた様子で浩太がブチ切れた。


「つーか、あいつはどこ行ったんだよ! トラックを返しに行ってからもう一時間は経つのに、まだ戻らなんだけど!? オレ達に自分の引っ越しを押し付けてトンズラとかまじでありえないだろ!」


「シーッ! 馬鹿お前、仮にも先輩にあいつはまずいだろ。確かにクソ野郎だけどな」


「新藤も口が悪いな。オレも筋肉クソ野郎だとは思っているが」

 

 嗜めながらもポロリと出た本音にクールな同意が返された。オレ達が怒りの矛先を向けている筋肉クソ野郎こと先輩の草薙紀之くさなぎのりゆきは、筋肉自慢の体育会系の乗りがきつい会社の先輩で、高圧的な奴だった。オレ達は同じ部署の同僚だから、否応なしに草薙先輩に使われる立場なのである。


「だからってなんでプライベートまであいつに奴隷みたいに扱われなきゃいけないんだよ。まじでありえねぇからパワハラで訴えてやる!」


「お~オレの分までよろしく。まぁ、金を出してくれるだけましだろうな。つっても、三千円でこの重労働はきつすぎ。三階まで冷蔵庫を運ぶなんて思いもしなかったよ」


 オレは肩にかけたタオルで額の汗を拭うと、強張る腰を反らした。その時、誰かのスマホが鳴る。反応したのは大久保だ。カウンターに置いてあったスマホを開いてなにやら操作をしている。その表情が虚無になり、目から光が消え失せた。


 顔のいい奴が表情を消すと、変な迫力が出る。オレは浩太と顔を見合わせて、空気が変わった大久保に躊躇いがちに声をかけた。


「……どうしたよ?」


「コレを見ろ」


 大久保が自分のスマホ画面を見せてくる。そこには筋肉もりもりの男のイラストスタンプに【後は任せた】という文字が躍っていた。部屋の空気が凍る。一番最初に噴火したのは、やはり浩太だった。


「信じらんねぇっ、まじで逃げやがった!!」


「…………はぁ」


「スマホをブチ割りたい衝動が抑えらんねぇわ」


「止めとけ、被害は大久保にしか出ないから。もうさ、さっさと終わらせて、帰りにみんなでビールでも飲みに行かないか? それで、明日にでも課長に報告しよう。さすがにこれは酷すぎるだろ。普段の職務態度も問題だし、あいつを部署移動してほしいって三人で訴えればいい。それでも動かないなら人事部に要相談」


「……実は新藤も冷静にキレてんのな?」


「あ~こいつってそういうとこあるから。ダチの間では照久を怒らせんなって合言葉があるよ」


「そんな合言葉があるのか? オレは至って平和主義者だぞ。いいから、片付けちゃおうな?」


 ふぅ~っと大きく息を吐いたオレは、気を取り直して新しい段ボールを開いた。げっ、あいつの下着とか見たくなかったぞ。





 どうにかこうにか家具を運び入れて配置も完了。がらんどうだった部屋に人が住める場所が完成した。家主は全くと言っていいほど関与してないわけだが。


 時刻は午後二時が過ぎた。朝から駆り出されて、オレ達はくたくただった。そんな中、スマホを触っていた大久保が草薙先輩から送られてきたメッセージを読み上げる。


「片づけが終わったら部屋の写真を撮って送ってこいだと。その後は勝手に帰っていいってさ」


「はぁ? 部屋の鍵開けっ放しでいいのかよ?」


「しらね。そこまで考えてないんだろ?」


「空き巣にでも入られたらオレ達のせいにされそうだ。大久保、鍵はポストに入れとくって送っといてくれ」


「わかった」


 さすがにそれはまずいだろうと、オレは大久保にそう頼んだ。オレ達がさらなる被害を受けないためだと考えても、これが正しいだろう。


 大久保が部屋の中に向けてパシャパシャと写真を撮っていると、浩太がだらしなくカウンターにもたれかかりながら叫んだ。


「それにしても暑い! 喉乾いたからなんか買いに行くわ。お前らはどうする?」


「炭酸飲みたい。後で金払うな」


「オレも炭酸一択」


「OK。ひとっぱしりしてくる」


 思ったより元気だったらしい。浩太は明るい表情で玄関を出て行った。草薙先輩のアパート前の通りを少し歩けばつく距離にコンビニがあったはずだ。おそらくそこに向かったのだろう。


 オレはカウンターの下にあぐらをかきながら、気だるそうに首を回す大久保に話しかけた。


「大久保とこうやって休日に会うのは初めてだよな? 普段はなにやってんの?」


「友達と飲み行ったり、ゲームしたりしてる」


「オレも浩太もシューティングゲームならやるぞ。オンライン対戦でバトロワ式のやつな」


「それってKKDNのことか? それならオレもやってるわ」


「それそれ! なぁ、今日の予定が空いてるなら同じチームでやらないか? 浩太も誘えば来ると思うしさ」


「ああ、いいぜ。けど、遊ぶなら大久保じゃなくてマサって呼び方にしてくれ。苗字だと会社気分が抜けねぇの」

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