第3怪 【オレが海に行った時の話を聞いてくれ】
オレの趣味はサーフィンで、親父が波乗り野郎だった影響もあり、中学時代からは親子で一緒に海に繰り出すようになった。それから数年が経つが、サーフィン熱は冷めやらず、今は大学で出来た友達とよく遊びに行くようになっていた。
その日は、男友達の
夏が近づいてる時期だけど、その日は肌寒かったのでサーフィンをしてる奴はあまりいなくて、好きなだけ移動できた。けど、調子に乗ってると気づかないうちに意外と体力が削られてたりするんだ。だから、時々海の中で休憩を挟みながら、オレはいい波がくるのを待っていた。
しばらくそうやって二人で遊んでいると、離れた場所でサーフィンをしていた広志が突然「うわぁっ」という声を上げた。聞いたことのないどこか強張った声に驚いて振り向くと、広志が焦った顔でボードを抱えたままこっちに泳いでくる。
「どうした?」
「アレ……」
広志が指を指した先には灰色のボロ布とおぼしきものが漂っている。しかし、何かがおかしい。漂ってくるそれに近づくとその違和感がはっきりとわかってしまった。
それは性別の判別がつかないほど膨らんだ水死体だったのだ。どれだけ漂っていたのだろうか、肌は不自然に青白く、波に揺れる頭部からは髪がずるりとむけており、一部は骨が見えている。両目の眼球はぽっかりと空洞で、どろりと黒ずんだ液体が出ていた。
目を背けたくなる光景に、オレの心臓がおかしな鼓動を刻む。とたんに鼻をつく腐敗臭。冷や汗が出て、吐き気が込み上げてきた。オレが青くなっていると、広志が恐々とした様子で言ってくる。
「なぁ、
「どうするって……そのまま放っておくわけにはいかないだろ。岸に連れてって警察を呼ばないと」
「ふげぇ、最悪だぁっ」
オレは広志と一緒にそのご遺体の両側をそれぞれ引っ張って岸辺に上げてやることにした。触るのも躊躇うレベルだが、ずっと海を漂い続けていたのなら気の毒だし、ちゃんと供養してもらったほうがいいだろう。
岸に上がるとおれじゃ、同じようにサーフィンをしていたおっさんが顔をしかめながら声をかけてくれた。
「今日は中止だな。ひさしぶりに土左衛門が上がっちまったか」
「経験者っスか? 今から警察呼んだらどのくらいで来ますかね?」
「三十分はみたほうがいいぞ。交番ならともかく、ここから警察署は遠いからなぁ。それから状況を説明しなきゃいかんから、そのつもりでな。オレの時もだいぶ時間を取られた」
「事情聴取ってやつですね。──広志、電話してくるからボードよろしく」
「はいよ、積んどくわ」
オレは広志にサーフィンボードを渡すと、車にスマホを取りに駆け出した。
あの後は、電話で駆けつけた警察官に水死体を発見した時の状況を説明して、オレ達の証言を照らし合わせが行われて、時間をそこそこ取られた。
それから遺品の捜索も行われるというのでしばらくオレ達が遊んでいた場所は規制がかけられるという話をされた。それで、もうサーフィンどころじゃないなってことで、広志と話し合って今日はそのまま帰ることにした。
「飯はパスだな。喉を通りそうにない」
「オレも今日は食えないと思う。じゃあな、今度は陸で遊ぼうぜ」
「おう、しばらくサーフィン以外にしよう。また連絡するから」
アパート前まで車で送ってくれた広志と別れて、オレは全身に気だるさを感じながら玄関のカギを開けた。築二十三年のアパートだが、男子大学生のひとり暮らしには懐に優しい家賃でちょうどいい。
オレは部屋に戻るなりへたりこんだ。瞼を閉じればあの水死体が浮かんでくるし、まだ鼻孔にあの腐臭がこびりついている気がする。
「風呂入って寝ちまおう」
オレはわざと口に出していうと、怖気を振り払うように勢いよく立ち上がった。そうだ、そうしよう。ボードを片付けて、普段より温度を高く設定して、頭からシャワーを浴びる。そうやって身体を洗ってさっぱりしたら、少し気分も落ち着いた。
ベッドに倒れ込む。本当なら髪を乾かさなきゃいけないんだが、全身が気だるくてとてもそんな気にならない。
目を閉じると、自覚していたよりも疲れていたのかオレはすぐに寝てしまった。
……ピンポーン……チャイムの音に、オレは目を覚ました。どれだけ寝ていたのか、部屋の中はすっかり真っ暗だ。スマホを見れば十一時五十六分。ピンポーンと再びチャイムが鳴る。
こんな時間に宅配か? 冷静に考えればそんなわけないだろうに、寝ぼけていたオレは真っ暗な部屋を手さぐりで玄関に向かった。そして、確認もしないでドアを開けてしまったのだ。
「う……っ」
鼻に届くかすかな腐敗臭と海の香り。目の前に、びしょ濡れのボロキレを纏ったあの水死体が立っていた。本来なら眼球があるべき場所に、ぽっかりと空いた二つの空洞。不安をあおる青白い肌に、骨がまばらに見える姿は間違えようもない。
本当に驚くと人間は悲鳴を忘れるらしい。それを、オレはこの時初めて知った。声も忘れて硬直していると、ぶよぶよの皮膚がぶら下がった口元がかすかに動いて男の声がした。
『ありがとうございました』
遠いような近いようなひどくぼやけた声が頭に響いた瞬間、オレは再び意識を失った。
ピピピピッという携帯のタイマーでオレは目を覚ました。一瞬、どこにいるのかわからなくて混乱したものの、ベッドで寝ていたらしい。
乾かさずに寝たせいで爆発した頭を掻きながら、夢をみていたのかと胸を撫で下ろす。なんだか不思議な夢を見た。非日常的なショッキングなものを見たから影響されたんだろう。そう思いながらも、目が自然と玄関に向かう。
室内は明るいし、どこかから犬の鳴き声もしている。オレは朝の安心感に包まれながらも、あれが夢であったという確信が欲しくてベッドを下りた。ゆっくりと、そこへ向かう。
夢では確認しなかったドアスコープを覗く。誰もいない。オレは詰めていた息を吐くと、ドアを開いた。
実際に、そこには誰もいなかった。だけど──コンクリートには残っていたんだ。くっきりと二つの濡れた足跡が。
……あの水死体は、本当にお礼を言いに来たようだ。
あれからしばらく経ったけど、オレ達は夏が来る度にあの時の話をする。そして、こう思うんだ。もしあの時、オレ達が見ないふりをして警察にも連絡しなかったら、どうなっていたんだ……? そう思うと、いつもぞくりと背中が寒くなる。
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