ビッグキャット・ダイアリー

『ミャー子がいなくなった!』


 電話の向こうで、ハカセが言った。


 ハカセが猫を飼っていたのは知っていた。かわいい黒の子猫で……あれ? そういえば、見なくなって久しいぞ?


 その時、僕はベッドの上にいて、寝ぼけた頭でなんとか状況を把握しようとしていた。壁の時計は0時過ぎ。どうやら、本を読みながら寝落ちしてしまっていたらしい。


「それは心配だな」


 僕は目をこすりながら言った。


「いつからいなくなったんだ?」

『わからない。夕方より後だとは思うんだが』


 僕はすぐに返事ができなかった。


「えー、あー、うん、そうか」


 半覚醒の頭では、言葉を選んで口にするのも難しかった。


「まあ、でも、そう心配しなくていいんじゃないか。猫だから、別宅の一つぐらいあるだろ」


 そもそも最近、ハカセの家ではほとんど姿を見なかったではないか。


『ああそうか』


 ハカセの納得したような声に、僕はホッとする。そうだ、だから捜索するにしても、夜が明けてからでいいだろう、今夜は寝かせてくれ――

 そう思った僕に、ハカセは言った。


『キミは知らなかったんだな。ミャー子は……猫じゃない。クロヒョウなんだ』

「――――は?」

『檻からいなくなってる。早く見つけないと大変なことになる』


 僕はベッドから飛び起きた。




 ハカセは、現代物理を超越した発明を軽々とやってのける天才科学者だが、バカと天才は紙一重というか、やりたいことに夢中になって常識では考えられないことを平然とやらかす危ない男だ。彼は僕にとって恩人でもあるし、彼にとってアウェイであるこの時代に定住するよう勧めたのは僕自身だというのもあって、トラブルが起きると大抵、解決のための面倒を見る羽目になっている。まあ僕としては、そういう役回りは嫌いではないんだけど。




 そんなハカセが猫を飼いたいと言い出した時、正直、ちょっとは心配だった。動物をペットにする、なんて、無責任なハカセにさせていいものか、と。


 しかしまあアレで彼は立派な大人だし、その行動をただの友人である僕が制限することもできない。放っておいたらいつのまにかかわいい子猫を迎え入れていて、可愛がってるようだったから、それ以上は気にしていなかったのだが。


「クロヒョウだって? いったいどうして、そんな」


 ハカセの家に飛び込み、そう問い詰めようとした僕に、ハカセは呆れたように言った。


「キミ、それが今、重要かね?」


 絞め殺したくなる気持ちをなんとか抑える。


「――状況は?」

「大きくなってさすがに放し飼いできなくなったから、地下の檻で飼ってた。ああでも大丈夫、ちゃんと日光と同じ光線を浴びることができるライトと、運動には充分な広さの――」

「それがいま重要なのか?」


 ハカセは頷いた。


「檻が変形していた。ネコ科動物には、充分な隙間だったらしい。たぶん何かをぶつけた時に――」


 ハカセの家の地下は、地上構造物の数十倍、もしかしたら百倍以上に達する施設がある。資材運搬にフォークリフトを使うこともあって、そういうのがぶつかれば、猛獣用の檻も歪むだろう。


 僕は時計を見た。もうじき午前一時。


「人間を襲ったら大変だぞ」

「ああ、さっきはわからないと言ったが、夕食は食べていた。タイマーで自動で出すから、8時過ぎまではいたと思う。まあ夜行性の彼女にとってあれが夕食なのか朝食なのかは――」

「腹が膨れていたら、狩りはしないでいてくれるか?」

「おそらく。そもそもミャー子に狩りができるのか」

「飼い慣らしたつもりなのかもしれないが、野生動物だぞ、相手は」


 しかし、時間は深夜。相手はすばしっこい大型のネコ科動物で、しかも闇に溶ける色をしている。本気で隠れられたら、見つけられるはずがない。そもそもどこまで逃げたのか。どうやって見つければいいのか――


「あれだ、ドローンだ。前にかくれんぼに使った。赤外線カメラがついたヤツ」


 ハカセは僕の言葉に頷き、急いで廊下を奥へと向かう。僕もハカセを追いかける。


 ハカセは天才だが、それ故に、だろうか、現実への対応力に弱いところがある。僕が言い出す前に、ドローンの存在を思い出しても良さそうなものだったのに。トラブルが起こると大抵、まずパニックになって僕に連絡してくるのだ。


 入った部屋は、この和風建築にピッタリな、昔ながらの茶の間だった。畳が敷き詰められ、中央にテーブル。隅にテレビ台があって、ハカセはそこの引き出しを引っ張り出すと、中にごちゃごちゃと積められたリモコンをかき混ぜ、やがて、目当ての物を取り出した。


「使うのは久しぶりだ。動くかな」


 彼がリモコンのボタンを操作すると、テレビに電源が入り、同時に、頭上から機械の低い駆動音が聞こえてきた。続いて、圧縮空気の鋭い炸裂音。


 二階の部屋の一つに偽装された装備コンテナから、ドローンが射出されたのだ。ハカセが作ったドローンは、後年一般的になって市販までされるようになったマルチコプターとは全然違う。AIによる自律制御、超広範囲をカバーするカメラシステム、長時間駆動、超高空飛行可能。翼を持つステルス無人航空機だ。米軍が使ってるグローバルホークの小型版みたいなヤツ。


 ハカセがリモコンをテレビに向けてボタンをいくつか押すと、画面に赤外線カメラ映像特有の、青から赤に変わるグラデーションの画像が表示された。


「深夜の割に熱源が多いな」

「住宅街だからな。隠れられそうな場所を探せ。公園とか……」


 意外にも、それらしいものはすぐに見つかった。青の、つまりほとんど熱源がない中に、大きめの赤い光が丸まっている。


「どこだ?」

「学校の裏山だ。あの、神社がある」


 すぐ近くだ。


「この画面を車のモニターにリンクするの、どのぐらいかかる?」

「15……いや、20分だな」


 僕はドローンの送ってくる画像を見る。いま、ミャー子がいる場所は、立ち回りには理想的な場所だ。近くに民家がなければ、人もいない。だが彼女がいつ動き出すかは、わからない。作業が済むのを待っていたら、チャンスをふいにするかもしれない。


「仕方ない。僕が出るから、ナビを頼む。自転車使うぞ」

「一人で大丈夫なのか?」

「相手は大型ネコ科動物だぞ!?」


 大丈夫なわけないじゃないか。

 でも、もっとやばい宇宙怪獣と戦ったこともある。あの時と違って戦闘用外骨格パワードスーツなんて持っていないが……やるしかない。


「暗視スコープが玄関の棚にある」


 僕の覚悟を察したのか、ハカセがそう言う。

 僕は無線通話装置を耳に装着しながら頷いた。


「なるべく早く迎えに来てくれ。ヒョウを背負って住宅街を歩きたくなんかないからな」




 神社がある学校の裏山までは、自転車でも三分ほどしかかからなかった。自転車を降りた僕は、暗視ゴーグルを装着すると、上着の下に隠し持っていたモノを取り出した。


 僕が地球へ持ち込んだ、数少ない宇宙文明の一つだ。エネルギー・ブラスター・ガン。見た目はおもちゃのようだが、立派に殺傷能力を持つ本物の武器だ。恩人からプレゼントされた、思い出の品でもある。


 僕はそのセレクタースイッチが麻痺銃パラライザーモードになっていることを確認する。対象の神経系統を麻痺させる仕組みで、相手の体重に関わらず、大抵の生物に効果がある。


 たとえ相手が猛獣でも、殺すつもりなど毛頭なかった。


 神社は普段から無人で、深夜であるそのときも、そのようだった。


「ミャー子は?」

『移動していない。他の熱源はない』


 耳に付けた装置から、ハカセの声はクリアに聞こえる。

 神社への階段を登る。運動不足の身にはキツイ。すぐに息が上がる。


『左前方。気をつけろよ』


 中ほどまで上がったところで、ハカセからの警告。

 暗視ゴーグル越しに目を凝らす。緑がかった視界の中、風もないのに茂みが揺れる。


 いた。


 大きい。ネコ科のシルエット。二つの光る目。

 僕はブラスターガンを向ける。

 間髪入れずに引き金を――


 頭を横合いから思いっきり突き飛ばされたような、激しい衝撃に、僕は思わず、武器を取り落とす。我慢できずに両手で頭を抱えるが、激痛はまだ続いていた。その痛みは、頭の中から発生しているようだった。


 強烈過ぎる頭痛に、僕はすぐに意識を失った。




 意識を取り戻した時、僕は車の助手席に座らされていた。


「起きたか?」


 運転席のハカセは、車載コンピューターを操作しながらそう言った。画面にはドローンからの映像が表示されているようだった。ハカセはその作業に15分以上かかると言っていたから、最低でもそのぐらいの時間は意識を失っていたということだろう。


「……ミャー子は?」

「トレース中。ゆっくりとだが移動してる。気分は?」

「最悪だ。まだ頭がズキズキする。――何が起きた?」

「連絡が途絶えたから来た。キミが倒れていた。こっちが聞きたい」

「急に激しい頭痛がして――そうか、あれは」


 僕は自分に起きたことを理解し始めていた。


「ミャー子だ。彼女には僕がわかったんだ。放って置いて欲しいと――」

「わかるのか?」

「いや、全部じゃない、なんとなく――なんだこれは?」


 ハカセはキーボードを叩いていた手を止めた。


「地下室に置いてあった実験薬が、食い荒らされていた。生物脳に量子コンピューター以上の処理能力をもたせようと考えて試作したヤツで――」

「えっ、ちょっ……なに言ってるかわからないんだけど!」


「ミャー子が食べたんだ。魚の油を使ったから、彼女が好きな猫缶おやつだと思ったのかも。その結果、脳神経細胞が異常発達した。あまりにも発達しすぎてしまったんで、なにか――そうだな、超常の力に目覚めたのかもしれない」


「超常の力?」

「テレパシーだよ」

「そんな、まさか」

「いや。分析しなければ正しいことはわからないが、例えば脳内で発生する電気シナプスが、他者に届くような強力な出力を持ったとか。脳の発達の結果、そのような能力を獲得することは、ないとはいえない」


 そういえばそういう宇宙人がいたな。

 しかしネコ、いやヒョウが? 超能力を?


「もしそうならミャー子は、すでに人間を遥かに超える知性を獲得している可能性がある。そういう存在からテレパシーで大量の情報を流し込まれた。キミの単純な脳組織では情報を処理しきれず、意識を失ってしまったのだろう」


 一言余計だ。


 僕はこめかみを揉むようにした。


「じゃあこれは……ミャー子が僕に、何かを伝えようと?」

「ネコの思考だ。理解しようとするのは危険だ」

「ヒョウだよ」


 僕は人間だから、ヒョウより劣っているなんて認めたくなかった。


「ミャー子が人間より賢いなら、僕らの懸念を理解してくれるんじゃないか」

「どうかな」


 ハカセは苦々しい表情で続けた。


「いま、彼女は、優れた知性を持った。そうして知ったんだ、たぶん」


 知性を持ったヒョウ……それはつまり自分が――この地球上に他にいない、孤独で歪な存在だということ――それに気づいたとでもいうのか。


「自分がネコではないことを」


 えっ? そっち?


「いや……そういうのじゃなくて、もっと他に、ほら、なんかあるだろ。悟り的な」

「アイデンティティに関わる問題だ。ショックは、かなり大きかったはずだ」


 なるほど……言われてみればそうかも。


「それで――自分がネコではないことを理解したミャー子は、次にどうする?」


 ハカセはすぐには答えない。フロントガラスの向こう、夜闇をじっと見つめる。

 大型のネコ科動物、敏捷な身体能力と強力な戦闘力、そして、人間を遥かに超える知性。


「キミならどうする?」

「えっ……自の運命を翻弄した相手に、復讐、とか?」


 ハカセは一瞬、嫌そうな顔をしたが、


「薬を飲んだのは事故だ。ボクは普通にかわいがっていた。地下飼いだけど」

「復讐が目的なら、家を出ていったりはしなかっただろう。真っ先にハカセを噛み殺したはずだ。冗談だよ」

「考えてもわからない。いずれにせよミャー子が人間に危害を加える前に、なんとかしないと」


 ハカセはエンジンをかけると、ディスプレイの表示をもう一度確かめ、シフトレバーを掴んだ。




 自動制御のドローンは、人目につかないよう暗がりを選んでゆっくり移動するミャー子を、完璧にトレースしていた。ミャー子はミャー子で警戒しているのだろうが、高空から無音で追尾してくる相手に気づくなど、さすがに不可能だっただろう。


 僕達はその進路上、このまま行けば通過するであろう工事現場に先回りした。辺りは静まり返っていて、人の気配はない。


 ただでさえ敏感なヒョウが、おそらく超能力で知覚を拡大していれば、僕達の存在に事前に気づくだろう。だがこの工事現場は、避けて通ればもっと人間が多い場所を通らなければならず、したがって、待っていることがわかっても彼女が現れるだろうと、僕達はそう踏んで、そこで待ち構えていた。


 資材置き場の、少し開けたところに立っているのは、ハカセだ。丸腰だが、飼い主なのだから、少しぐらいは義務を果たしてもらわなければならない。


 ミャー子が現れた。茂みをガサガサと揺らし出てきた姿は、警戒している様子を見せない足取りだ。僕達を油断させようというのだろう。


「ミャー子! ボクだ!」


 ハカセが話しかけると、ミャー子は足を止めた。


「わかるだろ? ――外は危険だ。一緒に帰ろう」


 ミャー子はじっとハカセの方を見た。


 僕はそのとき、その二人の横、すぐそばにいた。身にまとっていたのは、ハカセが作った“隠れ蓑”と呼んでいる特殊なマント。身にまとったものの姿と発する熱を完全に検知できなくしてしまう、熱/光学迷彩だ。これが鋭敏なネコ科動物に通用するかはわからなかったが、実際、ミャー子は姿を見せてから、一度も僕の方を見なかった。銃を構える。


 ハカセが頭を抑えて苦しみだす。

 待っていたのはこのタイミングだ。


 ミャー子のテレパシーの射程距離は確かめようがなかったが、先ほどはかなり近づいてから使っていた。ハカセを囮にしてひきつけておき、僕が撃つという寸法だ。


 作戦通り。僕は発砲。ブラスターガンは実体弾とは違い、光速に近いスピードで謎エネルギーを打ち出す。音もほとんどしない。この距離だ。確実に当たった、と思った。


 ミャー子の方が上手だった。


 僕が引き金を引いた瞬間、ミャー子は身を翻していた。あの大きな身体を信じられないほど身軽にしならせ、僕との距離を一気に詰める。射線を動かす暇もなく、僕は手に持つ銃をミャー子に振り払われていた。


 ブラスターガンが宙を舞う。


 ミャー子は、僕がいることに気づいていたのだ、と、ヒョウに押し倒されるという絶体絶命の状況で、頭の一部だけが冷静に、考えていた。

 視線を全くこちらに向けることをしなかったのは、油断させるため。僕達は、相手はヒョウとはいえ、ただの動物だと、侮っていたのだ。自分たちより賢い存在になった可能性を知っていたにも関わらず。


 “隠れ蓑”が剥ぎ取られる。


 地面に背中から倒された僕に、ミャー子がのしかかってきた。夜空とクロヒョウの身体はその境界が曖昧で、目だけが宙に浮いているように見える。その口元が開き、白いものが鈍く光った。


 その間、ミャー子はまったく音を立てず、声も出さなかった。


 遅れて、ガチャッと落下音が聞こえる。目を動かすと、ハカセの足元に、ブラスターガンが落ちていた。

 ハカセはそれを拾う。間髪入れずに撃った。

 命中。ミャー子の身体がビクリ、と震え、気絶――


 しない!


 ミャー子は僕から興味を無くしたように降りると、ハカセの方へと向き直った。


 僕はハカセの言葉を思い出す。実験薬が、ミャー子の脳神経細胞を異常発達させて――

 発達した神経系に、麻痺銃パラライザーが効かないのだ!


「ハカセ! 殺害銃エリミネーターだ!」


 切り替えは親指でスイッチを操作するだけ。ハカセは反射的にそうしたようだった。銃口をミャー子に向ける。が、撃たない。


「ハカセ……っ!」


 僕が立ち上がれなかったのは、まだミャー子がすぐそばにいて、向こうを向いていても、即座に僕を噛み殺すことができるという予感があったからだが、ハカセが撃たない理由は、それではないと、彼の顔を見て思った。


 ブラスターガンの殺害モードエリミネーターで撃てば、確実に死ぬ。可愛がってたネコだ。撃てるはずがないじゃないか。


 動けなくなった僕達は、そのままの姿勢でしばらく、たぶん数十秒だが、固まっていた。


 やがて、ハカセが撃たない、いや、撃てないことを理解したのだろう。ミャー子はふいっと視線を反らし、地面を蹴ると、積み上げられた資材の向こうに姿を消した。




 いつものようにハカセの家を訪れた僕は、玄関ポストに突き刺さったままだった郵便物を持って、彼の家へ上がり込んだ。


「ポスト、いっぱいだったぞ。たまにはチェックしろよ」

「どうせダイレクトメールばっかりでしょ」


 ハカセは茶の間のテーブルで、何かの基盤をハンダ付けしていた。僕は郵便物を広げる。


「なんだこりゃ。前の住人の名前か? DMは捨てるぞ」


 僕は郵便物の中から、ひとつだけ他のものとは違う封筒を見つけた。国際郵便だ。


「エアメールだ」

「ミャー子?」

「うん」

「読んでくれ」


 ハカセは手元から目を話さずに言った。

 僕は封筒を開ける。


 ミャー子からは、あれからたまに、郵便が来る。


 クロヒョウを逃がしてしまった僕達だったが、それ以上、ミャー子を追うつもりにもなれなかった。


 あの夜、睨み合ったあの時に、ミャー子にテレパシーで、なんらかの精神操作をされてしまったのかもしれない。


 ミャー子をトレースしていたドローンは、夜明けに伴う熱源の増加で、見失っロストしてしまった。

 追跡手段を失った僕達は、ミャー子が無事に生きていってくれて、かつ、人間を襲わずにいてくれることを、祈るほかなかったのだが。


「いまはパキスタンとインドの国境付近にいるらしい」

「へぇ。ずいぶん移動したな」


 国内で、野生のヒョウに襲われたとか、ヒョウを目撃したとかいうニュースは、ついぞ聞かなかった。ミャー子からはじめて連絡が来たのはそれから一週間後のことで、そのときすでにエアメールだった。


 彼女の手紙によれば、港湾関係者をテレパシーで操り、上手いこと貨物船で密出国したらしい。大陸に渡り、ヒョウの生息地域を転々としては、たまに人里で人間を操り、こうやって手紙をよこす。


 偶然にも檻を出て知性を獲得したミャー子は、自分が人間を越えて、つまりこの星で最も発達した知的生物であることを自覚してしまった。そうであれば、なぜこの地球で自分より劣る人間たちが支配的に振る舞っているのかと、憤りを感じたらしい。


 他のヒョウ族を仲間にし、訓練、教育を施し、いずれ人類に取って代わってこの星を支配するつもりだ、と手紙にはしたためられていた。


「中国方面のヒョウ・ネットワークに、指導者として受け入れられつつあるとかで、他の地域にも影響力を広めるつもりで旅をしているらしい。彼女の“世界征服計画”は順調だよ」


 もっとも、僕もハカセも、ミャー子の試みが上手くいかないだろうということは、わかっている。


 当然だが他のヒョウは、ミャー子のように賢くはないのだ。ミャー子が訓練すれば、ある程度は社会性を持ったり、従来とは明らかに進歩した行動を取れるかもしれないが、それでも結局はただの、普通のヒョウなのだ。


 そもそもヒョウは、群れで生活しない。集団行動など、無理だろう。


 彼女が手紙で言う“ヒョウ・ネットワーク”など、本当にあるのだろうか。人間が認識してないだけで、彼らなりの情報交換網があったりするのだろうか。それともミャー子の期待、妄想の産物だろうか。


「そもそも、人類が地球を支配していると思っているところが、まだまだという感じだよな」

「しかしヒョウはネコ科動物ではもっとも広域分布するらしい。もしも彼女の計画が上手く行けば、人間にとっては脅威になっただろう」

「ミャー子の子供が、彼女と同じような知性を持つ可能性は?」

「えっ、いや、どうかな……突然変異が、遺伝するかって話でしょ? そりゃああり得るんだろうけど」


 ハカセはテーブルに広げてあった手帳に、なにやらメモをした。


「ラットで検証しよう」

「次はラットが世界征服を企んだりしないだろうな?」


 僕は便箋を眺めた。彼女の手紙に書かれている、それ以上のことは、謎のままだ。たとえばこの綺麗にタイプされた手紙―― ミャー子が自分でワープロを打ったのか。それとも、人間をテレパシーで操ってやらせたのか。


 僕は手紙を、“ミャー子”と書かれたファイルに綴る。たまに届くこの手紙が、ちょっと楽しみになってきた今日この頃だ。


「たまには返事、書いてやれば?」

「なんて書くの? こっちは元気です、って?」

「世界征服の暁には、僕ら二人だけは生かしておいてください、とか?」

「そもそも届くのかな」

「向こうはこっちより賢いんだ。どうとでもするでしょ」

「……わかった、今度、便箋と封筒を買ってきてくれる?」

「オーケー。ところで、どうしてクロヒョウを飼おうなんて思ったのか、まだ聞いてなかったな。そもそもハカセ、どうやってクロヒョウの赤ちゃんなんか手に入れたんだ? できるだけこの時代の法を犯さずに生活するように言っておいたはずだよな?」




おわり

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