55.「砦」

 三日目、昼。


 カレンの予見通り、見事な晴天に恵まれた。しかしそれは同時に雪焼けにも襲われるという事であり、現在御者はメイベルが交代している。カレンは客室で地図読み係だ。


「あんた眼は大丈夫なの? ずっといてくれるんならそれに越した事ないけど」


 大丈夫だとあなたは答えた。どちらかと言えば神経を尖らせ続ける精神疲労の方が重い。が、定期的に休憩は取れているし、丸一日程度ならどうという事はない。つまり、まだまだ余裕だ。


 あなたは今のところ脅威を確認していない。この辺りは環境が悪く、野党も南に向かう為だとメイベルが教えてくれた。熊や狼は生息しているが、少なくとも狼は積極的には人を襲わない。恐れるべきは熊で、時に魔物さえ食い殺す時がある。こちらはカレンの情報だ。


 腕利きのハンターに健康優良魔術探求家と暗黒啓蒙モンスター。文句なしに良いチームだとあなたは思う。前衛、中衛、後衛、隙がない。


「あとどのぐらいで着きそう? もう遠くないと思うけど」

「ええと、もう見えてもおかしくないと――あっ、あれじゃないですか!?」


 あなたとメイベル、二人揃ってカレンが指差す方向に目を凝らす。しかし、積もった雪が風に流されて白く煙っているせいで何も見えない。そもそも、変異後のあなたの眼は遠くを見るのに向いていない。


「……私には見えないわ。目がいいのね」

「田舎育ちですから」

「このまま進んでいいのかしら。カレン、何か合図とか見えない?」

「手を振ってる……ように見えます」

「えぇ……対応に困るわね」


 随分友好的な連中ではないか、そう思った矢先。


「そこの幌馬車、直ちに停止しなさい!」


 やや間延びしているが、男の声で確かにそう聞こえた。しかし、この場に男はあなたしかいない。


「風の魔術ね、停止するわ」

「手を見えるようにしておきましょう、一応――」

「両手を見える位置に、そこで動かず兵士の到着を待て!」

「……ふん、もうやってるわよ」


 あなたが手を挙げてからしばらく、白い靄の向こうに騎兵隊のシルエットが見えた。到着するまでの間に、メイベルにさっきのが風の魔術かと耳打ちする。


「そ、声を風に乗せる単純な魔術。だから難しい」


 単純な事であればあるほど、魔術は難しい。以前メイベルがそう言っていた。

 あちらにはそれをやってのける優れた魔術師がいるようだ。


 やがて騎兵三人の姿がはっきりと見えた。軽量化された金属鎧を纏った上で全員が兜を被っていて、その表情は伺えない。


「ここから先は王国の権力により保護されている。正当な理由がないのなら、直ちに引き返せ」

「正当な理由はあるわ、ポケットの中に。もし良ければ見せたいんだけど」


 先頭の騎兵が頷き、メイベルがポケットからゆっくりとコインを取り出した。シロアッフから渡された銅製のメダルだ。


 騎兵たちが攻撃的な言動を見せなかったのを確認して、あなたとカレンもそれに続いた。


「……ついてこい。余計な事はするな」


 近づくと、重厚な防壁で囲まれた砦であると分かった。メイベル曰く、厳重な魔術防護が施された金属で要所を構築しているそうで、途方もない金額がつぎ込まれている事は疑いようがないと。


 無数のバリスタがあなた達を見つめてはいたが、一度も立ち止まらず門を潜る事ができた。


 幌馬車を置き、徒歩で案内役の兵士についていく。どうも防壁は二つ築かれているようで、その間に兵士たちの駐留所が設けられているようだ。しかし、あなたには駐留所というより小さな町にすら見える。


 簡素ながらも看板を掲げた建物が幾つかあり、休暇中と思しき兵士たちの姿が見えた。場所の性質故か、装備で身を固めて帯剣までしていたが。


 ウェイストランドにも似た場所がある。敵国への本土進攻に備えて作られた、演習用の張りぼての街。ここから人と活気を消せば丁度そんな感じになるだろうと、あなたは思った。


 駐留所を真っすぐに抜け、内側の防壁の内部、迷路のような通路を通って小部屋に通された。


 小さなテーブルと人数分の椅子だけが置かれており、一人の女性が座っている。黒い髪を短く切りそろえた美人で、いかにも事務屋と言った風貌だった。


「どうぞ、掛けて下さい」


 促されるまま席に着く。書類が一枚差し出され、またも契約書かとあなたは内心嘆息した。


「ここにあなた方の氏名を記してあります。間違いないか確認してください」


 名前が三つ。あなた、メイベル、カレンの分が記されていた。形式上のものだろうとあなたは思ったが、目の前の事務屋は半端を許さない雰囲気を醸し出していたので、三人で書類を回してしっかりと目で確認する。間違いない。


「まず、この任務を請け負ってくださった事、国家に対する奉仕に感謝します」

「あー、うん、どうも」


 メイベルはともかく、あなたとカレンは半強制的に従事している。どうにも反応に困った。


「それで、禁書を探して頂く件ですが。地図はお持ちですか?」

「シロアッフさんに渡されたやつなら……」

「見せて下さい……ええ、十分そうですね」


 十分だと判断された地図はしかし、この作戦の難しさをこれ以上なく端的に表現していた。


 防壁で囲まれた保護区の範囲は、凡そ十三平方キロメートル。この広大な範囲を、肉の侵食を躱しつつたった一冊の本を探り当てなければならない。


「予想はしてたけど、長丁場なのね。実際現場はどうなの」

「こちらとしてもすぐにお見せしたい所ですが、注意事項を全て聞いて頂きます。それを承諾した上で署名を頂いて、全てはそこからです」


 注意事項は多岐に渡った。


 一切の公言を禁止する事から始まり、探索は夜までに切り上げる事、砦に戻る際には“肉”を持ち込まないよう細心の注意を払う事、夜は時間を好きに使っていいが騒ぎを起こさない事――全て聞き終わるまで十分強は要しただろうか。


 ばっちり署名を終えたあなた達は幾つかの質問があったが、それは実際に現場を見てから、という事になった。その方が理解が早いとの弁だ。


「では行きましょう。コートを脱いで、何か口を覆える物を持っていく事を推奨します」

「外は寒そうですが……?」

「“外”は確かにそうですね。しかし、“内側”は全くの別世界なんですよ」


 カレンの質問は最もだったが、取りあえずは従っておく事にした。


 部屋を出て、再び迷路を通る。道中で一室を紹介され、そこで三人寝泊りするのだと説明された。しっかり経路を記憶しないと迷子のまま夜を明かす羽目になりそうだ。


 メイベルは当然三人部屋に反発したが、全てはもう向こうで決まっていた事だった。書類と会議でコトは運び、そうそう簡単に――ましてやあなたたちが――変えられない。


 いざその時になればあなたは幌馬車の中で眠れば良いだろう。そこはウェイストランダー、手慣れたものだ。


 あなたは防壁の上に登って現場を見下ろすとばかり思っていたが、階段を下り続けている事から至近距離にまで接近するのだと理解した。


 まだ昼前だ。説明の後昼食を摂って、それから仕事が始まってもおかしくないとあなたは考える。ここは軍隊。合理性を重視するなら、時間を無駄にはできない。


 これまでとは違う、鉄製の重厚な扉の前で事務屋は止まった。


「この先です。準備はいいですか?」

「見てやろうじゃないの」

「大丈夫です」


 事務屋は頷き、見張りの兵士二名が扉を開ける――

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