54.「同じ色の空」

 あなたがテントから出ると、外は一面銀世界になっていた。眠っている間に随分降ったらしい。


 今でこそ雪は降っていなかったが、重い雲が敷き詰められた鈍色の空はウェイストランドを連想させる。吐息は白く、起き掛けの体には辛かった。あなたは一旦テントに戻り、まだ体温の残る毛布をケープのように羽織った。


 あなたは煙草を咥え、焚き火の方へ向かった。ざくざくと、ブーツが凍った芝を踏みしめる音がどこか懐かしい。


「おはようございます……毛布、引火しないように気を付けてください」


 カレンが新たな薪をくべた。小さく爆ぜて、火の粉が冷えた空気に舞う。


 あなたは焚き火を使って煙草に火を付けるつもりだったが、大人しくライターを使う事にした。それは無用なリスクを避ける為であり、カレンをいたずらに心配させない為であった。気に掛けてくれる人間の存在は貴重だ。


 随分早くからカレンが起きていた事をあなたは外の環境音から知っていた。メイベルはどうしているかと、あなたは二頭の馬に林檎を与えているカレンに聞いた。


「起きてはいるみたいですけど、まだ寝袋の中です。急かす理由もないかと思って」


 確かメイベルは朝が弱いのだったか。いつかの朝を思い出して、あなたは一人合点する。


 喉が渇いていた。外気は体感で氷点下だが、支給された水入り革袋を抱いて寝たので凍っていない。腹は冷えたが、干からびずに済むなら安いものだ。


 金属製の粗雑なカップに水を移し、焚き火の傍に置いて温めた。紅茶やコーヒーは好きだが、あなたにとって白湯が一番飲みなれた飲料だ。郷愁に駆られて……ではないが、時折無性に飲みたくなる。


「おはよー……」


 もこもことしたシルエットがテントから現れて、それが毛布やら何やらで着ぶくれしたメイベルだと気付くのに僅かな時間を要した。朝に弱いだけでなく、寒さも駄目らしい。


 カレンとメイベルは例の如く同じテントだが、今回はあなたも一人用の簡易テントで眠る権利を得た。通常なら幌馬車の下に潜って眠るところだったが、この環境では流石に命に関わる。


 ただでさえ過酷な任務に赴くのに、道中で凍死されては堪らないという判断だ。


「さむいさむいさむい……」

「ああ……引火しないように気を付けて」


 ミノムシもかくやという姿で焚き火にあたる姿は、流石にあなたも心配になった。


「二人とも元気ね……寒くないの?」

「寒いは寒いですけど、そこまで辛くはないですね」


 あなたの故郷はこれより遥かに寒かった。永遠の氷に閉ざされたコキュートスに比べれば、ここは南国のリゾートに等しい……寒くない訳ではないが。


「……ふーん」


 メイベルの返事にあなたは僅かばかりの違和感を抱いたが、追及はしなかった。彼女をイラつかせたくなかったし、この程度気に掛けてはいられない。


「朝まだよね? 何か食べましょ」

「ええ、注文はありますか?」

「温かければなんでもいいわ」


 カレンが幌馬車へ鍋と食材を取りに向かった。察するに、朝食はきっとシチューだろう。食材の多くは凍りかけていても、おおざっぱに全て煮込んで味を調えれば食える物になる。


 あなたは煙草の吸殻を焚き火に投げ入れ、カレンから技を見て盗む事にした。


 あなたはまだ料理を諦めていない。そんな二日目の朝だった。



 温かな朝食で身体が温まったので、出発する事になった。


 カレンが手綱を取り、あなたは護衛。メイベルはミノムシフォームのまま客室で荷袋に囲まれて地図を読んでいる。


「まだそこそこあるけど……この路面は遅れそうね」

「このたちはまだまだ大丈夫そうですけど」


 あなたは周囲を見回した。今のところ街道には少ないが人の往来があるようで、中央を走っている限りは転倒の恐れはなさそうに見える。


 端には積雪がみられるが、雪は降っていない。二頭の馬は蒸気機関が如く鼻息を吹き、白く煙った先にまばらに針葉樹を見て取れた。


「もうすぐ夏なのにこの積雪は……」

「目的地に近づいてる証拠よ、北は永久凍土だもの。にしたって今年は寒いけど」


 風は穏やかだったが、あなた自身が結構な速度で進んでいるため寒い。風速一メートルで体感温度は一度下がると聞く。


 あなたもカレンも顔に布を巻いて防寒対策を取ってはいたが、それでも表情筋が固まって喋り辛かった。


「もうすぐ街があるけどどうする? そこを超えたらもう何もないみたいだけど」


 あなたたちが書き換えている轍は殆どがその街に向かうか、逆に王都を目指すものだ。街を過ぎれば人の往来は減少し、恐らくこの速度は維持できない。


 四本の立派な脚を持つ馬は不整地に強いが、肝心の馬車が頼りない。この時代の車輪は単純に木を輪に加工しただけで、幅が狭く接地圧が高いせいで雪に沈み込んでしまう。


「無視して良いと思います。物資は十分ありますし、その先の路面状況を考えると急いだ方が良いかと」

「空はどうよ。崩れそう?」

「そう遠くないうちに晴れるでしょうけど、今度は日差しが問題です」


 太陽が脅威になるのは砂漠のような乾燥地帯だけでないことを、あなたはよく知っている。


 雪焼け。通常日光は上から当たるが、積雪地帯では真っ白な雪が鏡の役割を果たして下からの日光にも襲われる。日焼けといった面では顔に布を巻いているので防げるが、目へのダメージが問題だ。


 上下から襲う紫外線は目に集中し、時に重大な外傷を与える。視力を損なうとあらゆる行動に支障がでてしまう……あなたの眼は人間のそれとは違うので問題ないが、メイベルとカレンはそうではない。


「晴れたら御者は交代制にするわよ。私とカレンで回すわ」

「メイベルさん、運転できるんです?」

「馬ほど上手くはないけど、多分大丈夫よ」


 いささか不安は残るが、仕方がない。


 あなたは周りに敵が潜んでいないが目を凝らし、自分の役割を全うすることにした。

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