53.「最後の一冊」

 二日間の休日が明け、王国書庫にて。


 メイベルと別れた後の時間を費やしてどうにか体調を戻したあなただが、それでも倦怠感は如何ともしがたいものだった。


 あなた、メイベル、カレンの三人の“書籍捜索チーム”とでも呼ぶべき部隊は既に出動態勢を整えているのだが、シロアッフの姿は未だない。前回に引き続き、今回も遅刻である。


「……遅いわね」


 靴で床をトントンと叩きつつメイベルが言う。シロアッフがやって来たのは丁度その時だった。


「すまない、遅れた」

「おはようございます」

「おはようカレン」


 幾つかの書類を抱えたシロアッフはカレンと挨拶を交わし席に着く。メイベルが得意げな表情で何かを言いかけた――おおよそ遅刻を糾弾でもしようと思ったのだろう――が、それは叶わなかった。シロアッフが被せるように口を開いたからだ。


「言っておくが、遅刻の謝罪はしない。我々も忙しくてね」

「あの客船の件?」

「そうだ。獣どもめ……この忙しい時期に仕事を増やしてくれる」


 丸く巻かれていた地図を広げ、呟くように言うシロアッフ。


「まぁ今のところ君達の行動に支障はない。仕事はきっちりして貰うぞ」

「北に……保護区に向かうんですよね」

「そうだ。まずは地図を見て頂こう」


 地図の上でシロアッフの指が滑る。先日『偽真空の書』を返した時と同じ物だ。

 指は王都から北へ延びる街道を撫で、赤い線で隔離された土地で止まる。


「この一帯が隔離され始めたのはおよそ三十年前だ。最も、元から凍り付いた土地で誰も立ち寄らなかったが」

「雪と氷しかない土地よね」

「ああ、しかしある一冊の書物が持ち込まれてからは状況が一変した」


 シロアッフが抱えていた複数の書類の内、一枚が新たに広げられる。あなたには理解できない単語や数値が殆どで、明らかにメイベル向けの資料だった。


「その書物の名は『貴女への詩編』だ。専門的な事はその書類に書いてあるが、最初はただの陳腐な恋愛小説だった」

「内容まで書かれてるわね。誰か読んだの?」

「禁書の収集に関わる者は大抵読んでるんじゃないか。無論、俺も読んだよ」

「どうだった?」

「中盤までは中々良かったが……最後がどうもな」


 資料をメイベルから回してもらい、あなたも読める部分を読んでみる。


 貧しい平民の男女二人が出会って順調に愛を育むが、不運にも流行り病で女が死んでしまう。男は悲観に暮れ、その生涯を詩作に費やすようになる――これが大まかなストーリだった。


 シロアッフは気に食わなかったようだが、無学なあなたは楽しめそうだ。もうストーリー展開を知ってしまったけども。


「それは二年間で一六八冊作られた。内一六七冊は回収したが、最後の一冊はまだだ。そして、異常性が発現したのはその一冊だ」


 あなたは資料をカレンに回した。シロアッフが続ける。


「最初の異常性は作中の詩が増え続けるというものだった。当然詩が増えればその分項が増え本自体が厚くなっていくが、これは魔術的に拡張した空間に放り込めばそれで解決する。問題はその後だ」

「際限なく増えるって時点で大分厄介だけど……」

「増殖した詩が更に異常性を発現し、周囲の存在を肉で作り変えるようになった」


 それは食べ放題の肉と同義ではないのか。あなたはそう思ったが、黙っておいた。この世界の人間とウェイストランダーでは頭のデキが違うのだ。


「は? 肉って……肉?」

「そう、生肉だ。生きた肉と言った方が正確かもな。妙な表現だが、実際に見れば俺の言っている意味が分かるだろう」

「どういう現象なのよ」

「分からない。確かなのは、ある瞬間に生成された詩が全てのきっかけで、本は死んだ女を蘇らせようとしている。それだけだ」


 本が登場人物に同情でもしたのか、あるいは登場人物が自我を持ったのか。どちらも通常ではあり得ない出来事だが、あなたが相手取る世界は通常ではなく、禁書にとって“あり得ないなんて事はあり得ない”。


「その異常性が発現? してから読んだ人はいるんですか?」

「君が産まれる前に一度。専門のチームを結成し、拡張空間の中で本を開いた。恋人への執着や復活を願う詩ばかりが記されていたと聞く」


 周囲の存在を肉で作り変えるような本を読んで、果たして無事でいられる方法など存在するのだろうか。任務を宛がわれた人間がどうなったのか、あなたの想像力で答えは出ない。


「それが今、北にあるって事ですか?」

「ああ、察しが良くて助かるよ。ある日一人の男が拡張空間に突如として現れ、未知の方法で本を盗んで北に逃亡した。それでどうなったか……分かるだろう」

「つまり保護区はその……肉になってる、と?」

「正確には、なりつつある。それ以上の侵食を防ぐために我々は専任部隊と巨額の予算を投じてかの地を封じているって事だ」


 新しい資料が広げられる。部隊の構成人数と編成、各拠点の位置に巡回ルート、通常任務としての対応から緊急時の対応――全てが記されていた。当然、右上には目立つように『機密』と赤い印が押されている。


「肉は今も広がっているが、どうにか押し込めている。単に焼くか魔術で消し飛ばせばそれで対処できるからな。イタチごっこではあるが」

「肉の中に本があるって事ですか?」

「そうだ。大まかな予測位置は後で渡す地図に書いてあるが、はっきりと正確には分からない。肉をかき分けて探せ」

「ふん、つまりぶくぶく増える肉と戦いながら、広大な土地の中からたった一冊の本を探すのね。楽しそうだわ」


 確かに楽しそうだ。しかし、その意味があなたとメイベルでは全く異なっている事くらい分かっている。彼女の神経を逆撫でしたくなかったので、あなたは仕事に関する質問をした。つまり、そんな危険地帯を歩いてあなたの身体が肉になってしまわないかと。それが一番重要だ。


「一番重要なのは動き続ける事だ。止まっていると肉が忍び寄るからな、常に動き続けろ。もし身体が侵食されたら躊躇せずに切除しろ。切り落とせ。肉になりたくなければ」

「…………」


 あなた達は静かに顔を見合わせた。今までも無茶ぶりはあったが、これは過去最大級だ。


 肝を氷点下まで冷やしているあなた達を無視して、シロアッフは懐から三枚のメダルを取り出した。銅で作られた、拳大のメダルだ。


「保護区に近づくと専任部隊から静止命令が下るから、必ず従え。武器に触れずその場で待ち、対面してからこのメダルを見せろ。そうすれば中に入れて貰える」


 あなたはメダルを手に取って眺めた。何の変哲もないメダルだと思ったが、メイベルの魔力に反応して幾何学的模様がホログラムのように浮かび上がるのを見て、考えを改めた。


 これにどれだけの価値があるか定かではないが、安くはないはずだと。



 今回の旅で使う幌馬車は、砂の民の一件で使った物と同じだった。二頭の馬はよく手入れされていて、赤栗毛の毛並みが日光の元で鮮やかに映えている。


 見送りはシロアッフの部下ではなく、なんと本人だ。


「馬の飼料と地図を確認しろ……君達の物資もな。今回は生の野菜と果物を追加してやったぞ」

「へぇ、どういう風の吹き回しよ」

「前回は物資に不満があったようだと部下から聞いたのでね。それに冷間地に向かうのだから腐りもしないしな」


 あなたは客室に入り、大量に積まれた荷袋の一つを適当に開けてみた。中には真っ赤な林檎が入っていた。よく熟していて美味しそうだ。


「北に向かう以上、当然防寒具は用意しただろうが念のため毛布を幾つか積んである。遠慮なく使え」

「随分気前がいいじゃない。片道切符だからかしら?」

「なに、日頃の感謝さ。この旅もそう悪いものじゃないぞ。保護区まで辿り着けば温かい食事にありつけるし、寒空の下凍えて眠る事もないからな」


 荷袋の紐を結び直し、あなたはカレンが待つ運転席に向かった。各々の配置は前回と同じだ。


「それじゃ、行ってこい。期待してるぞ」

「はいはい……」

「さあ行きますよ……!」


 幌馬車が進む。進路を北へ。

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