52.「嵐の予兆」
王都に朝日が昇り、新たな一日が始まろうとしていた――あなた達を除いて。
「さっきのと同じやつ二本、あと適当にチーズでも」
「いや姉さん……もう朝なんだよ。さっきも言ったが、酒は出さねぇ」
そんな会話を、あなたはテーブルに突っ伏して朧げな意識で聞いていた。
頭はがんがんと痛み、胃はここ数時間ずっと吐き気を主張している。額をテーブルにつけ、両腕をだらりと力なく重力に任せているメイベルも、きっとあなたと同じだろう。
「二日酔いに効く紅茶があるんだが、そこの二人にはいいんじゃないか?」
「……紅茶かー」
「朝の献立に切り替えたからな、姉さんも朝飯食ってくといい」
「じゃあそれで。あたしはセットね」
「あいよ」
ここは三軒目、あなたの記憶では午前四時ごろから世話になっていた。このご時世珍しく二十四時間営業のこの店は、朝になると酒場から大衆食堂へと姿を変える。叩き出されなかったのは、ラウラが散々金をばら撒いたからだろうか。
店内には、まだあなた達しかいない――ちなみに、カレンはメイベルの宿に寝かされている。
「……ねぇ、今何時」
「大体朝六時」
メイベルの問いに、ラウラが懐中時計を見て答える。
のっそりと、メイベルが上体を起こす。額が少し赤くなっていた。
「二人の分紅茶しか頼んでないけど、なんか食べる?」
「むり、吐く」
「ここでは吐くなよ!」
厨房から店主の声が悲痛な叫びが聞こえた。二日酔いの頭によく響く。
朝食が届くまでそう時間は掛からなかった。店主の持つトレーに載せられていたのは、紅茶が三つとフレンチトーストだった。見事な焼き加減と黄金の蜂蜜の組み合わせは最高だが、今のあなたにはそれさえ強烈な刺激物になる。
あなたはどれだけ飲んだか思い出そうとしたが、酒のことを考えるだけで吐きそうになったので思考を中断した。
大人しく、紅茶に手を付ける。あなたに詳細など分かろうはずもないが、スッキリとする複数の茶葉を組み合わせたハーブティーのようだった。清涼感はあるが、荒れた胃にも大人しく収まる優しさも持ち合わせている。
その時、慌ただしく戸が開かれた。逆光の中から、一人の少年が姿を現す。薄汚れたグレーのズボンに白いシャツ、ハンチング帽を被った新聞売りの少年だ。あなたは安堵の息を吐き、ブラスターガンのグリップから指を離した。
「親父さん、新聞だよ!」
「おう、五部くれ。なんかあったか?」
「王国の客船が誤射で沈んだって!」
「何だと……」
テーブルを拭いていた店主が中断し、新聞を手に取る。メイベルが立ちあがって店主の元へ行き、言った。
「一部頂戴、幾ら?」
「ここで金使った奴はタダだ。読んだら返せよ」
「分かってるわよ」
席に戻り、新聞を広げたメイベルの後ろからあなたも覗き見た。
『客船ズヴェズダ号、沈没する。帝国の誤射が原因か? 犠牲者調査中』との見出しが大きく一面を飾っていた。
「どったの」
「王国の客船が帝国の海軍に沈められた……かも。調査隊が帝国に入ろうとしてるけど揉めてるらしいわ」
「ふーん……で、それがどうなんの?」
「賠償金払うか戦争でしょ」
メイベルが新聞を畳み、あなたに渡した。ざっと眼を通してみるが、この世界の背景に明るくないあなたには因果関係が分からない。しかし、片隅に興味深い一枠を発見した――『名誉ある男達幹部、ドメニコ・アボンディオ氏の後釜争いが激化』とある。
組織内だけでなく、各地の犯罪組織も水面下で不穏な動きを見せているようだ。戦争抗争、なんてこともあり得るのだろうか。
「戦争にはならんだろう」
店主の発言にびくっとしたが、すぐにそれがメイベルに向けられたものだと気付いた。あなたの心が読まれた訳ではない。
「今の王様に戦争するなんて度量はないだろ。どうせ賠償金か抗議文でお終いさ」
「あんたの意見が聞きたいとは一言も言ってないけどね」
「あ……いや、すまん」
布巾を手に、店主が厨房へ戻る。去り際に『冷てぇな』と呟いたのをあなたは聞き逃さなかった。
頭の後ろで手を組み、背もたれに体重を預けたメイベルが言った。
「さっさと王都を出た方が良さそうね」
それにはあなたも手放しで同感だ。金もあるし、次の候補地もある。アルハンスク辺りなら穏やかな暮らしが送れそうだ。しかし、今は厄介な仕事を抱え込んでいる。
「分かってる。全部片づけたら、の話よ」
「お、アルハンスクにでも来る?」
「さあね、その時にならないと分からないわ」
ラウラは“厄介な仕事”について知りたがったが、メイベルは終ぞ何も言わなかった。当然だ。守秘義務が存在するし、色々と規約が記された契約書にサインもした――あなたの知る限りメイベルはしていないが――サインしてしまった訳だし、やはり沈黙を守らなければならない。
二枚のフレンチトーストを綺麗に平らげ、紅茶を一息に飲み干したラウラが席を立った。
「じゃ、行くね。そろそろ商談纏めなきゃ」
「ん、途中まで送るわ」
ラウラに続きあなた達は店を後にした。
朝の王都は仕事に向かう人々でごったがえし、特に市場や飲食店が立ち並ぶ通りは人をかき分けなければマトモに歩けない程だ。
あなた達のいるこの通りは酒場やちょっとした飲食店もそこそこあるのだが、治安があまり良くないことや王都の外れに位置することもあって、普段そこまでの人出はない。のだが――
「……何これ」
「めっちゃ人いるじゃん! 王都って感じ」
今日ばかりは違った。様々な階級、様々な背格好の人々が一方行に向かって流れを形成している。
何事かと訝しむあなたの耳が、膨大な喧騒の中から『公開死刑』という単語を拾い上げた。
「はん、公開死刑ね」
「通り道だから嫌でも見ることになるけど、回り道する?」
「別にいいわ。死体見て怯えるようなお嬢様じゃないし」
確かにそう、あなたもそうだ。
三人ではぐれないよう手を繋ぎ、大縄跳びに飛び込むように人の流れに乗った。
ラウラの目的地は知らなかったが、彼女は知っているはずなので黙ってついていく。やがて大きな広場に差し掛かると、即席で設けられた絞首台が人々の間からちらと見えた。
黒い頭巾で顔を隠した執行官と憲兵の姿があり、憲兵が声を張り上げ罪状を読み上げていた。
「これより三人の死刑を執行する! 罪状は左から窃盗、放火未遂、殺人! では最後に言い残す言葉を――」
首に縄を掛けられた三人がそれぞれ最後の言葉を残す。一人は涙ながらに、一人は簡潔に、最後の一人は話そうとした途端に目隠しをされてしまった。
あれはどういうことか、あなたはメイベルに問うた。
「あー、見えないわ。あんた肩貸して」
メイベルはあなたの両肩を掴み、塀を乗り越えるように体を押し上げて絞首台の様子を眺める。
「獣人かなんかじゃない? 耳ないから血は薄そうだけど」
「へぇ、珍しいじゃん。ここらに獣人なんて」
あなたの知らない言葉がもう一つ。聞くと、人間とは異なった種族だとメイベルは言った。歴史上繰り返された交配により血が薄まり、外見上は殆ど人間と大差ないが、一部の血の濃い獣人は外見も人間から離れると。
「ま、向こうの大陸の連中だからあんまこっちじゃ見ないわね。わざわざ海を渡ってこっちに来る理由もそうないでしょうし」
「えー、旅行とかしたくない?」
「命かけてまでするのはあんたぐらいよ」
絞首台の落とし戸が開き、死刑囚が落下した。首の折れる音を観衆の歓声や悲鳴がかき消す。
「うーわ、嫌なもん見ちゃった」
「次はわが身よ。特にあんたみたいな人種はね」
死刑が終わると、途端に観衆は方々に散った。楽しい見世物は終わり、汗水流して働き、ケチな報酬を貰う生活が今日も始まる。
「ここまででいいよ」
「そう? じゃ、元気で」
ラウラとメイベルが握手を交わす。ついでにあなたも握手をした。
「またアルハンスクにおいで」
「機会があればね」
「機会は作るもんだよ。カレンちゃんによろしく!」
ひらひらと手を振り、ラウラは雑踏に消えた。
二人、あなたとメイベルが残される。あなたが懐中時計を開くと、針は七時に差し掛かろうとしていた。
「私は帰って寝るわ。あんたも遊び回るのも程々にしなさいよ」
明日は仕事、当然あなたも帰って休むつもりだった。
「そ、ならいいけど。水を沢山飲んで寝るようにね」
メイベルと別れ、あなたは朝日の中宿へと帰った。
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