51.「再会と新しい友、そして芝居小屋に乾杯」
「えーじゃあ、再会を祝して。乾杯」
メイベルの音頭を聞き、あなた達はショットの蒸留酒をくっと飲み干した。推定四十度オーバーのアルコールが喉を通って胃へと落ち、食道が痛んで熱を持つ。流石に空きっ腹にはキツい。
「ふー……では二杯目の挨拶を」
「は? まさか毎回やるつもり?」
「まあまあ、めでたい日だからさ」
何がめでたいのかあなたにはさっぱり分からないが、ラウラはメイベルとの会話もそこそこに酒を注ぐ。勿論全員のショットグラスに。
まだ陽が沈んだばかりの王都の、大きな酒場の二階、奥まった半個室であなたは静かにため息をついた。
酒の席とは度数の低いビールやクワスやらで始まって徐々に度数を上げていくのがセオリーではないのか。まだ一軒目の一杯目にも関わらず蒸留酒から始めるのはあなたでも辛い。繰り返しになるが、まだ酒以外何も胃に入ってないのだ。
「それでは新たな友人、カレンちゃんに乾杯!」
「あはは、恐縮です」
「げほっ、げほっ……」
ラウラは景気良く飲み干し、グラスを逆さにしてテーブルに叩きつけた。彼女は毎回このように儀式めいた行いをする。
咳き込むメイベルを無視し、ラウラは階下、仕事終わりの労働者への対応でてんてこ舞いになっているカウンターへ叫んだ。
「次の酒! それとつまみが来てないぞ!」
「やめなさい、ガラが悪いしうるさいし」
「声がデカい奴が得するんだよ、どこもそう!」
それはそうかも知れないがとあなたは思った。確かに酒場は喧しく、テーブルの向かいに話しかける時でさえ大声を出さなければ不自由ではあるのだが。酔っ払いの戯言が時に世の核心を突いているように聞こえることはままあるが、それは酒の席だからだ。戯言は所詮戯言でしかない。
「カレン、大丈夫?」
「平気ですよ、メイベルさん」
「結構カレンちゃんも強いじゃんね! 気に入った!」
「あんたのペースに巻き込むんじゃないわよ、カレンも私も」
店員が注文の品を持ってきた。牛の臓物のフライと干し魚が乗った大皿、蒸留酒が一瓶だ。
「これと同じ蒸留酒をあと二本、それとチーズ盛ったやつ」
「待って、ビールを……あんたも飲む? 分かった。ビール二杯と水を三杯」
去りかけた店員に注文を通し、メイベルは前払いで料金を払った。この近辺の酒店は酔っ払いとのトラブルを避ける為に前払いになっている。ツケも情けも存在しない。
「ビールは酒と呼ばないよ。炭酸麦ジュースだよ!」
「末期のアル中みたいなこと言わないで」
実際そんな感じじゃないのかとあなたは思ったが、言わないでおいた。以前メイベルがラウラは根本から――種から――人種が違い、アルコールへの耐性が高いと聞いたが、外見が完全に人間なのでどうにも実感が湧かない。傍から見る限り、ラウラは赤い髪をした大酒飲みの美人でしかない。
「カレンちゃん普段何してんの? 腰に物騒な物長剣ぶら下げてんじゃん」
「賞金稼ぎです……今はあまり活動してませんけど。ラウラさんは何を?」
「アルハンスクで道具屋やってる。ワケ分かんない珍品ばっかり扱ってるよ」
自覚はあったらしい。あなたは瓶詰めにされた蠢く肉片を思い出した。
ラウラの店は冗談でも何でもなく本当に奇妙な品物ばかり置いていたと記憶しているが、あれで生計を立てられているのだろうか。普段の飲酒量を考えると、それなりに稼いではいるのだろうが……魔術師のような一部界隈で需要はありそうだ。
「あんたは王都で何してんのよ。仕入れ?」
「まぁそんなとこ、やっぱ商品は自分の目で見なきゃ……それに王都が面白いことになってるらしいじゃん? だから見物に来た。治安悪くなってるって聞いたからさ、芝居小屋に来てる気分」
「好奇心猫を殺すって言うでしょうに……」
トレーに乗せられたビールと水が店員の手によって運ばれて来た。それと同時に階下がにわかに騒がしくなり、大きなビールジョッキが放物線を描いて二階の廊下に落ち、派手に割れる。罵声と歓声が吹き荒れ、店員が慣れた手つきで粉々になったジョッキの掃除を始めた。
「確かに、治安は悪いですね」
頬を桜色に染めたカレンがアイロニカルな笑みを浮かべ、あなたも釣られて笑う。アルコールが呼び起こしたカレンのまだ見ぬ一面だ。
あなたはビールを一口飲み、強いニコチンへの欲求を感じた。コートのポケットからくしゃくしゃになった煙草箱を取り出し、中を数える……大体半分くらい残っている。しかし灰皿が無い。テーブルには細長い筒があるが、これは多分串物の食べ終えた串を入れる為だろう。
「お、煙草? 携帯灰皿持ってるけど、一本くれたら貸したげる」
意外な方向から助けを得たが、喫煙者同士仲を深めるのも悪くない。
ここで吸っても良かったが、酒場特有の淀んだ空気から逃れたくて、あなたは少し離れた窓を開けて吸うことにした。勝手に開けていいものかと店員を探すも、喧嘩の後始末に忙しくしているようだったので自己判断で決める。
通路の端の窓を開け、夜の済んだ空気にあなたは頬を晒した。ラウラは窓枠に背を預け、右手に携帯灰皿を持っている。
あなたはラウラに煙草を渡し、自身も喫煙を始めた。煙を吸い込み、口を僅かに開けて口内で外の空気と混ぜてから肺に落とす。気管がぐっと重くなる感覚を楽しみ、鼻から煙を抜いて風味を味わった。
「んー……これ両切りかぁ、強いね!」
ラウラはそう言って携帯灰皿を窓枠に置き、どこからともなくスキットルを取り出した。自前の酒らしく、強い芳香が漂う。
「強いけど、飲む?」
差し出されたスキットルをやんわりと断り、あなたは再び煙草を咥え、窓に肘を突いて上体を乗り出した。魔石を閉じ込めた街灯が淡く灯っている。
遠くから馬の蹄が石畳を叩く音が聞こえた。一頭の馬に騎乗した人間が――性別は分からなかった――走り去り、それから間を置かずに最早見慣れた騎馬憲兵が三騎で隊列を組んで追う。その内の一人が空に向けて短銃の威嚇射撃を行い、鋭い銃声が木霊した。
酒場の中でそれに騒ぐ者は一人もいなかった。気付いた様子を見せるのは何人かいたが、すぐに興味を失って飲酒に戻る。他の建物を見ても、窓から顔を覗かせる者など一人もいない。
「おぉい危ないだろー!」
ラウラが騎馬憲兵の背中に叫ぶ。反応を示したのは彼女だけだ。
「ね、芝居小屋って言ったじゃん? 誰も他人に興味なんてないんだよ」
くつくつとラウラは笑い、半ばまで吸った煙草を携帯灰皿で揉み消した。
「メイベルとはどう、上手くやってる?」
意識の範囲外からそう聞かれて、あなたはオウム返しで言葉を返した。それから少し考えて、概ね上手くやっていると答える。お互い不快な思いはしていない。これが友人との関係で最も大切なことだとあなたは思う。
「おぉ、いいね。正直早々に潰れると思ってた。メイベル、他人を容赦なくぶん回すから」
心当たりが幾つかあって、あなたは微笑を浮かべる。
しかし、メイベルはよく周りを見て動いている。ぶん回す人間は、ぶん回すだけの関係性を築いた相手だけだ。
「そこまで分かってるなら安心安心……良かったらさ、これからもメイベルの面倒見てやってよ。あの子、あたし以外でこんなに長くつるんでるのは君が初めてだから」
面倒を見るのは構わないが、面倒見て貰ってるのはあなたの方だ。この世界で今日まで生き残ったのも、大金を稼いだのも、メイベルの助けがあってこそ。
どちらかと言えば、カレンの方にあなたは不安を感じている。恩を返すという意味でも、あまり道を踏み外して欲しくはない。
「そそ、持ちつ持たれつが一番だから。王都風のやり方に染まってなくて安心したよ」
煙草、ごちそうさま。そう言ってラウラは席へ戻って行った。あなたも煙草を消し、携帯灰皿を持って後を追う。空気を入れ替えたくて、窓は閉めなかった。
「ああ、おかえり……さっき外から嫌な音したけど、なんかあった?」
「騎馬憲兵が誰か追っかけてた」
「……あんたも気を付けなさいよ、正確には人間じゃないんだから。もめ事起こしたら……ううん、巻き込まれただけでも厄介なことになる」
「だいじょぶだいじょぶ、明日の昼にはもう帰るから」
声が一つ足りない気がしてあなたはテーブルを見まわし、カレンが眠っていると気付いた。グラスを右手に握ったまま、突っ伏している。
「五分間寝るって」
「絶対起きないよ、それ」
「このまま寝かせてやればいいわ。宿は……知らないから私が泊まってるとこでいいか」
「――じゃ、二軒目行こうか!」
ラウラが立ち上がり、ボトルに半分程残っていた蒸留酒を一息に飲み干す。メイベルが叫んだ。
「あぁ!? 会話が成り立ってないでしょ!」
「いいからいいから!」
「明後日は仕事だってのに……!」
「へぇ、なんかやってんだ!? それも聞かせてよ!」
失言を悔いるメイベルがラウラに引き摺られていく。あなたもカレンを背負い、それに続いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます