46.「"存在する塔" || "存在しない塔"」
首長として紹介されたのは、老いた男だった。落ち窪んだ眼窩に嵌った眼は濁ったガラス球のようで、長年に渡って砂塵に削られてきたであろう頬には深い皺が刻まれている。
イリヤは筋肉質で健康的な身体をしていたが、この老人はまるで朽木のよう。眼だって見えているのか怪しいものだ。
「……それで、彼らが使いと」
「はい。右からメイベル、カレン、大男です」
「大男とは変わった名前なのだな」
「私がそう呼んでいるだけです。この男、名乗らぬもので」
夕食を兼ねてのこの席。あなた達は焚き火を囲んで座り、簡単な顔合わせを行っていた。
イリヤの紹介を受け、首長が順にあなた達を睥睨する。
「人殺しが二人に魔術師が一人……約束通りか」
「彼らに任せますか?」
「うむ……名乗っていなかったな。私の名はヴィト。砂の民の首長だ」
あなたはヴィトの眼を疑っていたが、どうやらばっちり見えているようだ――それどころか、目に見えない性質まで見透かされている気がする。
「それで、本題に――」
「まあ待て、酒が先だ」
いつもの如くメイベルが切り出すが、あくまで主導権はヴィトが握っているらしい。
ヴィトが傍らに置いていた大きな酒瓶を持つと、すかさずイリヤがどこかから取り出した小さなグラスを全員に配った。それは土器で、底が尖っているせいで飲み干さないと置けないようになっている……あまり飲ませたくない人間がここに一人いるのだが。
皆がグラスを持った片手を伸ばしたので、あなたもそれに従った。酒瓶から酒がなみなみと注がれる。白く濁った、この世界では初めて見る類の酒だった。
「あの、これはどういうお酒ですか」
「濁り酒だ。お前の先祖もこれを飲んでいただろう」
軽く揺らしてみると、濁り酒はどろりと揺れた。少し遅れて甘いような、ややクセのある香り。
印象としてはまあ、悪くない。グールの肝を集めるような連中だけあって、もっと凄い物を想像していたのだが。
あなたは味を見てみようと口に近づけるが、イリヤの鋭い視線で制止された。
「まずは乾杯から。首長、お願いします。待ちきれぬ者がいるようで」
「うむ」
小さな笑いが起こって、なんだか食い意地が汚いと指摘されている気分になった。しかし実際にそうなので仕方ないと言えば仕方ない。
「今日も一日生き延びたこと、狩りの成功、家族の健康――そして新たな友人に。乾杯」
そして、皆一斉に飲み干した。
何に由来するかは分からないが芳醇な風味と、労わるような優しい甘みが染み渡る。思っていたよりも……ずっと美味しい。ベレズニキの蒸留酒ほど洗練されてはいないが、また別の良さがあった。
「……おいしい」
「そうだろう。私は砂漠には暑さと呪いばかりと言ったが、違ったな。この酒がある。これは砂漠に自生する植物の根から出来ている。砂漠の、唯一の慈悲だよ」
「へぇ、根っこからでもお酒が作れるんですね」
「もっと飲め、友よ」
男女間の友情は成立しないと聞くが、どうも二人の間には奇妙な連帯感が生まれているように見える……酒飲み同士の友情、というやつだろうか。
「ちょっと、その子弱いんだからあんまり飲ませないでよ……それでヴィト、本題に入って良いわね?」
「よかろう……おい、あの本を持って参れ!」
鋭く響く、雷鳴のような声だった。
テントの一つから、一人の男が駆け寄って来た。手には一冊の本。表紙には『偽真空の書』とある。
「ちょっ……まさかあのまま裸で置いてたの!?」
「心配無用。ここは我らの本拠故、盗人など入らんよ」
「そーいうこと言ってんじゃないの。その本がどういう代物か分かってるの?」
「酸素が消えるそうだな。そう書いてある」
ヴィトは徐に本の適当なページを開き、メイベルに手渡した。
あなたも顔を覗かせて脇から内容を窺う――『この書は酸素を消し去る術を紹介する。しかし、失敗作であるが故に使用は推奨しない』と記されていた。
なんだか、思っていたよりフランクだ。
「……著者が誰だか知らないけど、厄介な物を残してくれたわね」
「厄介だが、実に強力よな」
「分かってるなら、どうして手放すの。その本を交換条件にしなければいけないほど困ってるとか?」
「それもあるが、それだけではない。我らは魔術の使えぬ身であるし、何よりその本は賭けが大きすぎる。ほぼ無視できる程度の範囲か、国が滅びる程の範囲で真空になるか。民の命運を預けるには、不確かにすぎる」
魔術が使えないといっても、何かしらの手段で魔術師を“調達”してきて行使させれば一応は使える。しかし、ヴィトはそれを良しとしない。それは道徳上の問題などでは決してなく、彼は国を滅ぼしたい訳ではないからだ。
砂の民の目的はあくまでも奪われた土地の奪還と、その後の繁栄だ。大陸でも一部に使われているコンクリートは酸素を失えば崩壊してしまい、酸素無しに生存できる生物は――あなたの中に眠る隣人以外――現時点では存在しない。砂の民とて無事では済まないだろう。
国家を新たに築き上げるよりは、乗っ取る方が労力が少なく済む。
「……それで、交換条件だが」
ヴィトが重々しく切り出した。
あなたはふとカレンの様子が気になって見てみると、若い女との談笑に花を咲かせていた。しばらくは放っておいて大丈夫そうだ。
「ここに来る途中、天高くそびえる塔を見なかったか」
「……見えなかったわ。天気が悪かった所為かも」
「天気など問題ではない。あの塔は確かに存在する、しかし見えぬのだ」
確かに天気は悪かったが、それほどにも高い塔が見えない程ではなかったはずだ。しかし、ヴィトの言では存在するらしい。
「遠くからでは見えぬ。しかし近づけば見上げる程高い塔が現れるのだ」
「聞いた限りじゃ認識阻害系の魔術を連想するわね」
「生憎魔術には疎くてな……お前たちには、塔の内部を調べてもらう」
何やらきな臭くなってきた。あなたは訝しむ。
「待って、そもそもあんたたちが塔に関わる理由が分からないわ。実害でも出てるわけ?」
「人的被害という面では出ていないが、実害はある。獣が寄り付かんのだ。例の塔は我々の狩場の中にあってな……十分な蓄えが出来ずに冬を越せぬやもしれん」
冬は死の季節だ。それ以外の季節は、全て冬を耐える為の準備期間とも言える。春から秋にかけて農耕や採取、狩猟によって食料を溜めこみ、無事に春が訪れるよう祈る。特にこの大陸の冬は厳しく、越冬計画の不備はそのまま死に直結する。
複数の貯蔵庫を備えるアルハンスクや王都はまだしも、ここは粗雑なテントが並ぶ砂の民の首都。石造りの温かな住まいすらないのだ。食料不足は正に致命的だろう。
「そんな塔が身近にあっては厄介でな、幾度か投石器や破城槌で破壊を試みたがかすり傷すら付けられん。そこでお前たちを内部に入れ、目障りな塔を破壊する手掛かりを掴めないかと、そういうことだ」
「丸投げじゃないの……中に入れるのは間違いないのね?」
「ああ、過去に私も中へ入ったことがある――奇妙な体験だった。確かに門を潜ったのは覚えている、しかし次の瞬間には外に立っていた。入った時には高かった太陽が沈みかけていたか……」
しばし考え込むメイベル。カレンも、他の連中もいつの間にか沈黙し、二人の話に耳を傾けていた。
「本当に認識阻害の魔術なら、対抗する手段はあるわ」
「うむ、シロアッフの小僧からは腕利きの魔術師と聞いている。期待するぞ」
引っ越せばそれで万事解決だろうが、連中は決してそんなことをしないだろうとあなたは思った。そんな厄介な塔がある所へわざわざ居を構えるのもどうかと思うが。遠距離はともかく接近すれば見えるのだから、確認できた時点で転居を検討すべきだろう。
それとも、みんなして“首都”建設に夢中だったのか。誰一人散歩にも行かない程に。
「……信じられぬだろうが、それがいつからあったのか誰にも分らぬのだ。少なくとも、ここに移り住んだ時点では存在していなかった。しかし、ある瞬間を期に存在するようになった」
「ふーん……ま、実際にこの目で見てみないことには何とも言えないわね」
「頼むぞ。明日は昼前には出る。今日はもう休め」
存在するが、存在しない塔。果たしてどのような物か。
あなたが思慮を巡らせていると、ふと夜風に乗って懐かしい香りを感じた。それはあなたの故郷――あるいは奥底に眠る暗黒の故郷か。
あなたは風の吹いた方向を向いた。ただ夜空が広がるのみだった。
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