47.「ラザロ身重く横たわる」

 昨日とは打って変わって、今日は気持ちの良い晴天だった。初夏らしく空気は爽やかで、時折吹く優しい風があなたの頬を撫でる。空を遮る物は何もなく、これなら何一つ見逃すことはないだろう。


「そろそろだ、心の準備をしておけ。何の予兆もなく現れるからな」

「はいはい……で、どこだっけ?」

「あの辺りだ。私の指差す先」


 あなた達一行は砂の民の“首都”を訪れた時に来た道を戻り、途中の脇道に入った先を進んでいた。来た時と同じように、幌馬車にはイリヤも同乗している。聞いた話によると、砂の民はあまり馬に乗る文化がないらしい。


「……長閑ですねぇ」

「気を抜くな。首都を一歩出ればもう敵地だぞ」

「カレンはあんたに言ったわけじゃないと思うけど」


 カレンはあなたにしか聞こえないような小さな声で言ったのだが……よくイリヤが聞き取れたものだと密かに感心した。


 しかし、イリヤの意見もあながち間違いではないとあなたは思う。もしここで教会騎士にでも遭遇すれば厄介なことになる。彼らの目には、きっとあなたは砂の民の愉快な友人としか映らないはずだ。“我々は国家の重要な任務を負った機密部隊である。”と言った所で信じて貰えるとは思えない。


「……何かの手違いで教会騎士を何人か殺しちゃったら、シロアッフは許してくれるかしら」


 メイベルもあなたと同じ考えに至っていたらしい。そんなことにはならないと信じたいが、どんな可能性だって零ではない。起こり得ることは起こり得る。


「なんだ、お前たち教会騎士を恐れているのか?」


 イリヤが言った。


「あんたらの巻き添え喰らいたくないだけよ」

「武器を捨て、地に伏せていれば殺されはするまい。私は戦うが」

「仮に逮捕されたとしてその後がややこしいでしょ。政治とか色々な利権が背後で絡んでそうなのが嫌なの」

「案ずるな、直ぐに出られるさ。シロアッフとやら、組織内ではかなりの力を持っているようだ。それこそ自己判断で軍の一部を動員できる程に」


 初耳だった……そもそもあなたはシロアッフを詳しく知らないが。


「少し前の話だが、王都で騒ぎがあっただろう。確か……偉大なる男達と敵対勢力の抗争だったか? その時もシロアッフの独断で軍の精鋭部隊が動員されたと聞いている」


 カレンが息を呑む。あなたとカレン対偉大なる男達の戦争は、シロアッフの抱える脚本家によって敵対勢力との抗争、よくある事件に過ぎないと書き換えられたらしい――敵対勢力、と言うのもあながち間違いではないのだが。


 レストランを飛び出してすぐシロアッフに意識を飛ばされたのでどのような事後処理が行われたのか知らないが、その後の街の様子からして非常に良く訓練された部隊が速やかにコトを済ませたであろうことは、あなたも薄々感じていた。


「なんであんたがそんなこと知ってんの」

「我々とて愚かではない。何人かの友人が王都で暮らしているのだ」

「ああ、諜報員」

「いいや、友人だ」


 友人か諜報員かはともかく、王都には砂の民に関わりのある者が紛れているようだ。シロアッフの目から逃れられるか怪しいものだが……あなたには関係ない。


「さあ、空を見ろ。私の指差す先を」


 イリヤが指差す先には何もない。強いて言うなら、鳥が一匹飛んでいるだけ。幌馬車は進む。


 あなたは一つ、瞬きをした。塔が現れた。


 何の予兆もなく、唐突に。まるで最初からそこにあったかのように。


「おぉー……」


 気の抜けたような驚きがカレンの口から漏れた。あなたも同じ気持ちだ。


「驚きましたね、これは」

「そうだろう」

「でも近づけば見える訳ですし、少しくらい噂になりそうなものですが……」

「砂の民の領土に近づく愚か者は滅多にいない。生きて帰る者は更に少ない」


 塔は見上げる程に高く、黒い光沢を持つ金属質の素材で出来ているように見えた。形状は歪な六角柱で、そこかしこに小さなでっぱりが設けられており、頂点では巨大なパラボラアンテナのようなものが天へ向け口を開いていた。


「……現段階じゃあ魔術的な物は感じないわ。実際に触る必要がありそう」

「案ずるな、中へ入るのだから」

「待って、破壊できなかったって言ってたわよね」


 メイベルが杖を持ち、幌馬車から降りた。猛烈に嫌な予感を覚えたのは、あなただけではないはずだ。


「投石器など持ってきていないぞ」

「違うっての、私がやる。要は破壊できればいいんでしょ? だったら手っ取り早く最大火力をブチ込めばいいじゃない」

「む……短絡的だが、よかろう。やってみるといい」

「離れてなさい。死んでも責任とらないから」


 離れろと言うが、適切な位置があなたには分からない。取り敢えずカレンと共に幌馬車に身を隠した。


 メイベルはあなた達の安全を確認すると――砂の民にはあまり関心がないらしい――杖を高く掲げた。杖の先端に青い冷光が灯る。


 メイベルを中心とした地面に魔法陣が現れた。緻密に書き込まれた幾何学のアルゴリズム、魔術を構成する数式。


 空気が冷えてゆくのを、あなたは肌で感じた。足元の雑草が纏っていた朝露が凍り、離れた場所で羽を休めていた小鳥の群れが急いで飛び去る。カレンの吐息が凍りつく微かな囁きが聞こえた――空気中の熱量が奪われている。


 瞬く間にあなたを取り巻く環境は“肌寒い”から“極寒”へと変貌した。息をするだけでも辛かったが、あなたはコートを脱いで隣で歯を鳴らすカレンの肩に掛けた。


 身を切る冷気の中、奪われた熱が水蒸気の渦となってメイベルの杖に集まる。


 メイベルが杖をまっすぐ塔に向けた。瞬間、目を奪う閃光と大気を揺らす大音響。


 冷光は奔流となって塔に向かい――戻って来た。


 幸い、奔流は発射された場所、つまりメイベルからかなり離れた上空に跳ね返された。しかしそれでもあなたは焚き火を間近で眺めているかのような熱を感じた。


 真っすぐに奔流は伸び、彼方の森へ着弾する。


 大型爆弾の如き爆炎が吹き上がり、猛烈な衝撃波が地表を撫でた。それまでじっと耐えていた二頭の馬がとうとう悲鳴を上げて嘶く。着弾地点に不幸な人がいないよう祈るばかりだ。


「……殺す気か、メイベル」

「ごめんごめん、まさか戻ってくるとは思わなかった」

「危うく全滅だったぞ……しかし、これ程の攻撃でも倒れぬとはな」


 塔は未だ健在だ。命中した個所から細い黒煙こそ吹いているが、目立った損傷は見当たらない。


「コートありがとうございました。返しますね」

「さあ、中へ入るぞ。全員しっかりしろ」


 カレンからコートを受け取り、イリヤに続いた。

 近づくにつれ、塔の巨大さが実感できる。


 イリヤが入り口として紹介したのは、大きな窓らしき開口部だった。かつてはガラスが嵌っていたのか、分厚いガラス片が散らばっている。


 異様なのは外見だけでなく、内部もだった。金属性と思しき椅子やテーブルが設置されているのだが、それらは全て九十度右へ、つまり壁に固定されていたのだ。


「どうしてこんな置き方したんでしょう。使いにくいですよ」

「使いにくいって言うか使えないわよ」

「……奇妙だな、以前はもう外に放り出されていたはず――」


 その時だった。あなた達が侵入した開口部を一瞬でシャッターが塞ぎ、辺り一面が完全な暗闇に包まれる。瞬時にあなたの中の暗黒が蠢き、瞳を闇へ適合させた。


『艦内に侵入者、低強度制圧を実行。保安隊員は該当区域へ』


 小さく空気が漏れるような音。あなたは咄嗟に呼吸を止め、バックパックからガスマスクを取り出して装着した。周りにいた皆がばたばたと倒れてゆく。


「くそっ、今日は随分と騒々しいじゃないか」


 若い男の声がして、あなたはブラスターガンをその方向へ向けた。こつこつと、革靴が金属の床を叩く音。白い煙の中から、白衣の男が現れた。丸眼鏡を掛けたくせ毛の、どこか頼りない若い男。


「君は……君はここの人間じゃないな!?」


 この男が話す言葉をあなたは知っている。あなたが産まれてこの世界に流れつくまでの間、世界はその言葉で出来ていた。


「英語が分かるんだろ、なあ!」


 ブラスターガンの銃口を男に向けたまま、あなたは男の白衣の胸ポケットに掛けられたネームプレートを読み取った。


 『レイ・アローン:ラザロ3環境分析官』そこにはそう記されていた。

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