30.「故郷の懐かしき芸術」
「全員馬を降りろ、ここからは歩きだ」
エゴールの号令で下乗し、各々馬を適当な所に留める。
メル川を上流へ遡って数十分、道中であなた達の物とは違う蹄の跡を幾つも見かけた。あれら全てが先行する賞金稼ぎの物だとすれば、完全に出遅れてしまったのかもしれない。
あなたの眼前にはうっそうと茂る森が広がっている。雄大なメル川は上流であってもなお幅広で水流が速く、耳をすませば激しく打ちつける水の音が聞こえた。多分あれが目的地の滝で、近くにはクソ魔術師“皮剥ぎ”レニーが潜んでいる――はずだ。情報が確かなら。
「準備は良いな? 隊列を組み、お互いがお互いを守れ。何一つ見落とすな。今日は死人を出したくない」
「チームワークは大事だぜ。自分の代わりに死ぬ人間が得られるからな」
「レフ、無駄口を叩くな」
「何だよユーリ。俺は真実を述べたまでだ」
ユーリが先程あなたに突っかかってきた男――レフと言うらしい――を嗜めた。それなりに信頼関係を持っている間柄であろうと、その軽口から推測できる。
ユーリは使い込まれた弓を手に取り、レフは見慣れないライフルを構えた。短銃身、ラッパのように広がった銃口。
「今日はこいつのお披露目だ。耳を塞いどきな」
「君に扱えるのか? 火薬が湿気っても知らないぞ」
「お前は文句しか言わないな、ユーリ。これが科学、人類の進歩なんだ。あと二十年もすればみんな弓矢を捨てて銃を使うようになる」
ラッパ銃、古典的な散弾銃だ。ラッパのように開いた銃口が弾をより良く拡散させると信じられていたが、実際はあまり効果がないらしい。だが、本人がそれを信じているならそれで良いではないか。あなたのいた世界とこの世界では物理法則も微妙に異なっているかもしれないし。
「お前も練習した方がいいぜ。時代に取り残される前にな」
「君が一発撃つ間に弓なら十発は撃てる。静かだし雨の中でも……」
「もういいだろう。ここで議論する必要はない」
エゴールが終止符を打つ。彼はあまり頭が働くようには見えないが、実際は部隊全体が良く見えている。かなり失礼な考え方だったが、エゴールは重要な人材らしい。
「行くぞ、俺とカレンが先頭に立つ。他は三メートル間隔で散開して着いて来い」
カレンは自然に親しんだ優秀なハンターだ。優れた猟犬のように、隠された痕跡を見つけてくれるだろう。
◇ ◇ ◇
「近いな。地図上ではもうすぐだ」
「足跡も続いています。それほど時間も経っていないようです」
ブラスターガン片手にカレンの背後を歩く。今の所大きな動きはない。
「良く分かるな。俺には何も見えん」
「君には象の足跡だって見つけられないだろ」
「ほざきやがれ」
喋っているのは相変わらずユーリとレフぐらいなもので、他の連中は緊張からか黙りこくっていた。いつも通り、平常心を保っていると言えば、彼ら二人は場慣れしているとも言える。
最後に目撃されたのは滝壺付近だと聞いた。つまりもうすぐなのだが、困ったことにあなたはレニーの戦い方を知らない。いくらアドリブに自信があると言えども、情報は多い方が良いに決まっている。
「誰も知らんよ」レフが言った。「レニーと戦って生き残った奴は殆どいない」
成程、よく聞く類の脅し文句だが、嘘でもなさそうだ。
クソ魔術師“皮剥ぎの”レニー。彼と戦って生き残った人間はほぼいない。こう聞くと、何だか物語の登場人物みたいで面白い。首筋を噛み千切ってやると、どんな声で鳴くだろうか?
「あー……でも、魔術は使うらしい」
そりゃそうだ。魔術師なのだから。魔術にも色々あるらしいことは、あなたでさえ知っている。
「――しゃがめ、ここだ」
全員が素早く姿勢を低くした。木々の間から見える、激しく落下する大量の水と、泡立つ白波から見てここに違いない。ここが滝壺だ。
カレンが弓を構えたまま静かに歩み出て、周囲の様子を窺った。じっくりと、狩人の眼で睨め付ける。
「おい」
小さく低い声、ユーリだ。
「あれ、何だ? 誰かはっきり見えないか?」
彼の指先が差す方、茂みに巧妙に隠された野営地と思しき物があった。狩りをしたのか、赤い肉が木組みのラックに吊り下げられている。
「エゴールさん、見た限りでは誰もいません」
「接近する。ユーリから後ろは残って警戒を続けろ」
部隊の前半分が先行し、ゆっくりとした歩みで野営地に近づく。落雷のような大音量が響くこの環境では、あまり聴覚をアテにできない。
ゆっくり、少しづつ……テントが見えた。誰もいない。
「レフ、来い」
「おう」
エゴールがテントの入り口、垂れた布に手を掛け、すぐ後方でレフがラッパ銃を構えた。撃鉄を起こし、引き金に指が掛かる。あなたもブラスターガンを構えた。
「――レニー!」
一息に布を捲る。周囲に緊張が走り――何も起きなかった。
「……おいおい、空振りだ」
「警戒は続けろ。ここは安全じゃない」
エゴールが部隊の後部へ集合のハンドサインを送った。ラッパ銃の撃鉄が静かに戻され、緊張が幾ばくか緩和されたその時、カレンが小さく悲鳴を上げた。全員の視線が向く。
「……これ、は」
「おいおい……勘弁してくれよ」
木組みのラックに吊るされているのは獣だと思っていた。少なくとも、あなたは。
しかし、実際には人間だった。胴体の皮膚が蝶のはく製のようにピンと張られた、久々の世紀末的退廃芸術めいた代物。
人間も獣であるとかいう類の話は一旦置いておくとして、カレンにこんな物は見せたくない。いかに賞金稼ぎと言えどもまだ少女なのだ。
「ジェミヤンだ、間違いない」
「早めに死ねて良かったな。前見たのはもっと酷かった」
ユーリが冷静に死体を検分する一方で、レフが野次馬根性丸出しで死体をつつく。
あなたの見立てでは、死後それほど時間は経っていない。血は殆ど抜けているが、肉にはまだ潤いがある。死にたての新鮮な死体だ。
最も正確で手っ取り早いのは食べてみることだが、この環境でそれはできない。彼らも、まさか皮剥ぎ魔術師を食人鬼が追っているのは思わないだろう。
でも……一口だけなら。或いは――
「これだ」
エゴールの誰に向けたでも無い呟きが、あなたの思考を断ち切る。
「こんなことばかりしてたから、レニーは偉大なる男達から追放された。あの犯罪組織でさえ、奴を飼いならすことが出来なかった。これで分かっただろう、俺達が何を相手にしているか」
重い沈黙が立ち込める。見慣れない者にとって、この芸術は刺激が強すぎるようだ。
カレンは大丈夫かと、あなたは様子を確かめる。彼女は大きく深呼吸して落ち着きを取り戻していた。強い子だ。
「死体が足りない」
部隊が集合してざわめきが広がる中で、ユーリが声を上げた。
「ジェミヤンの太鼓持ちしてたガキが見当たらない。一味は六人、僕らが見た死体はこれで五人目だ」
「どっかで死んでるだろ」
「あの死体が四つあった所でジェミヤンとガキが捕まったのは間違いない。それでここまで連れてこられたんだろうが、それなら処刑場所を変える理由がない。ここに二人吊るされてていいはずだ」
「……俺達に気付いて、慌てて持ち去った。そう言いたいのか、ユーリ」
顎に手をやり、探偵のように考え込むユーリ。
「ああ。持ち去る理由は分からないが、レニーは夫婦やら親子やら、仲良くやってる人間を同じ場所で一緒に殺す癖がある。それはこれまでの記録から明らかだ」
「――足跡! 足跡を見つけました!」
いつの間にか一人離れて川岸に立っていたカレンが叫ぶ。事態が慌ただしく動き始めていた。
「川を通って痕跡を消したかったようですが、ここから足跡が残ってます。踵が浅く、つま先が深くて歩幅が大きい。恐らく走ったのでしょう。ただ全体的に深すぎるように見えるので、何か重い荷物を持っているのかも」
「ガキを抱えて逃げたか、あるいは他の何かか……よくやったカレン、エゴールに知らせよう」
部隊が集まっている野営地後に戻ると、エゴールと数人が深刻な面持ちで話し合っていた。
あなた、カレン、ユーリ、レフの四人で向かい、発見したことを伝える。
「――そうか、こっちもテントの中を調べた。痕跡からして、どうもレニーは一人じゃなさそうだ。何人かと徒党を組んでる」
「マジかよ、あの気味悪い男に仲間が?」
「だが、数はこちらの方が多い。すぐに追うぞ。奴がこれ以上誰かを殺す前に」
深い森の中、追跡の第二幕が始まった。
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