28.「独身男のクオーターライフ・クライシス」

「……で、ムカつく顔に水ぶっかけてやったの。そしたらあいつ、兎みたいに逃げてったわ」


 あれから少し経って、食後のテーブル。あなたは紅茶にミルクを垂らしつつ、メイベルの愚痴を聞いていた。


 どうやら魔術結社の旧友たちと会ってきたらしく、何故か最終的に殺し合う寸前にまで至ったらしい。魔術師は野蛮な奴ばかりなのか? あなたですらそんなことはしない――と言いたいが、そもそも旧友が存在しないことに気が付いた。


 カップの中で螺旋を描き、ゆっくりと混ざりつつある白を眺めて、ため息。


「……ねぇ、話聞いてる?」


 勿論聞いている。あなたはわざとらしく頷いたりしないだけだ。

 ただ、脳の半分で聞き、もう半分で別のことを考えていたのも事実。


「ふーん……で、なに考えてたの」


 別にどうという訳でもなく、今しがた食べた料理について考えていただけだ。


 メインを飾ったのは分厚い壺でじっくりと火を通された鹿のヒレ肉だった。ローリエと黒胡椒、みじん切り玉ねぎの水分で調理された肉は柔らかく、この寂れた食堂で提供されたとは信じられない味わいだった。


 ソースもまた素晴らしい。クリームとマスタードが大部分を構成していることは分かったが、それ以外の複雑なスパイスの組み合わせは見当もつかない。


 自分でも作ってみたいが、調理には膨大な時間が掛かるだろうし、壺も野営に持ち歩くには向いていなさそうだ。


「あんた料理できないでしょ。寒空の下で何時間も待つ気はないわよ」


 経験は少ないが見たことは沢山ある。きっとアレンジを利かせた面白い料理が産み出される筈だ。料理に必要なのは経験より熱意らしいし。


「まず普通に食える料理を覚えてからアレンジしなさい。つーかなに、料理趣味に目覚めたの?」


 まだ実際に作ってはいないが、多分そうだ。


 今度キャンプをする機会があれば何か作らせてほしい。一品だけあなたが作り、残りをメイベルが担当すれば大失敗はしないはず。


「それはその時考えるとして、あんた……こう、独身男っぽくなってきたわね」


 独身なのは当たり前だ。そうでなければこんな生活はしていない。


「それもそうね。魔術師だってそうよ」


 あなたは魔術師の暮らしぶりを知らない。


 関わりが無い訳ではないが、一番接点があるのはメイベルぐらいのものだ。魔術師みなが彼女のようなスタンスで生きているのなら、そこにウェイストランダーとの共通点も見出せる。


 総じて短命で、刹那的で、強い個人だ。


「私みたいな生き方してるのはごく一部よ。大抵は軍やら個人やらに雇われて悠々自適な生活してるんじゃない? 魔術師の規範には反してるけど、実際その方が楽だしね」


 規範とやらがあるのは初耳だった。誰もがメイベルのような自由を謳歌しているものと思っていたが、どうやら違うらしい。


 自由に責任が伴うのは百も承知だが、それでも素晴らしいものだ。多分、希望と同程度には。


「そう、自由。それこそが魔術師を魔術師たらしめる最大の要素よ」


 メイベルは紅茶を一口飲むと、深刻そうな顔で話し始める。


「何処の魔術学校でも一限目は必ず自由に関する講義よ。何物にも縛られず、自由意志を持って行動する。望んで首輪を着けるなんて冗談じゃないわ」


 聞いてみれば一理ある。が、自由意志を持った一個人に魔術という強力な力を持たせるのは、あまりにも危険に思える。


 時代が時代なら、きっとテロにも用いられていた筈だ。幸いここは議論の場ではないので、あれこれと熱い論議を交わす気はないが。


「だから私は一人でフラフラしてるの。苦しい時もあるけど、二つの人生を同時には生きられないから」

「いやまったくその通り。良いこと言うね」


 背後から声。誰かが近づいているのは知っていたが、敵意は感じなかったので何もしなかった。


 振り返ると、そこには一人の男が――フィンチが立っていた。


「座っていいか? いいよな、座るぜ」

「……は? 誰よこいつ」


 騒々しく椅子を引き、許可も無くフィンチは腰掛けた。 


「俺はフィンチだ。美人さんの名前は?」

「聞いてないし言いたくない」

「誰よこいつって言っただろ?」

「あんたに聞いたんじゃない」


 メイベルが苛立たし気に身体を揺らし、亜麻色の毛先が揺れる。


 このままでは血が流れそうだったので、あなたが仲裁に入って男との関係を説明した――逃げ足の速い賞金首。それ以上はないのだが。


「ふーん……で、捕まえてなかったの?」

「保釈金を払っただけさ。安い首だったからな」

「殺せばよかったのに」


 一理ある。死人に口はないし。


「残念、生け捕りだったんだ」

「うるさい。そもそも座っていいとも喋っていいとも言ってないわよ」

「強気な美人は好きだぜ」

「ねぇ、こいつ殴ってやってよ」


 そう言われたなら仕方がない。あなたが喜々として立ち上がり袖をまくると、フィンチは慌てて両手を突き出して制止した。


「待て待て! あんたは駄目だ。肘打ち喰らって二日は意識飛んでたんだからな」

「そのまま死んでれば社会貢献できたのにね」

「言うね、お嬢さん。勝気な瞳も好みだ」

「やっぱ自分でやるわ」


 そう言うと、メイベルは素早く肘打ちをフィンチの鼻っ面めがけて叩き込んだ。無駄な動作の無い見事な一撃。ほぼノーモーションだったそれを受けたフィンチは大きくのけ反り、ポケットから取り出したハンカチを鼻に当てた。


 上等そうな白いハンカチが、みるみるうちに赤く染まってゆく。


 突然の暴力に周囲が戸惑っている。店を出る時に幾らか迷惑料を払う必要がありそうだ。


「っへへ、結構いてぇ……いや、何でもないんだ! そこの店員、何か強い酒をボトルで持ってきてくれ――憲兵は呼ばなくていい!」


 出血はしたようだが、ハンカチを見るにもう止まったらしい。打ち所が良かったのか、身体が頑丈にできているのか。生憎、手加減という線はなさそうだ。メイベルの様子を見る限り。


「次は右目を潰すわ」

「分かった分かった、少し静かにするよ」


 店員が透明な液体の入ったボトルを持ってくるやいなや、フィンチは栓を景気よく飛ばし、ラッパ飲みでぐいぐいと飲み始めた。パーティと勘違いされたのかショットグラスは三つあったが、この様子を見るに不要だったようだ。


 それよりも、本当に何故この男がここにいるのか。お礼参りなら喜んで受けて立つが、今の所そういった兆候もないし。理由に全く心当たりがない。


「飯でも食おうと思ったお前らがいた。それでちょっと顔見せただけだ」

「ここで食べないでよ。それ飲んだらとっとと帰って」

「勿論そうするさ。俺だって暇じゃないんだ」


 暇じゃない。はて、どう暇じゃないのか。また空き巣でもやるのか、はたまた思い切って殺しか? どうでもいいが、命が惜しいならそろそろマトモな仕事を見つけるべきだ――あなたの言えた事じゃないが。


「もうここ王都じゃヤマは張らねぇよ。そろそろ縛り首になりそうだ」

「あんた空き巣で捕まったの?」

「食い逃げもしたが、どれも現行犯じゃない。憲兵やら賞金稼ぎやらの動きは手に取るように分かるからな。鈍間な連中だぜ」


 ボトルの半分ほどまで飲み、フィンチは得意げに鼻を鳴らした……が、アルコールの所為で出血が始まり、再びハンカチで鼻を覆った。


「……俺も昔は賞金稼ぎだった」

「で、今は追われる側にまで堕ちたって?」

「楽しんでるだけだ。気付いたのさ、俺が求めていたのはスリルだって。少しの悪事でも、首に値段が付けば奴らは全力で追ってくる。その興奮を味わうと……もう他じゃ満足できない」


 愉快犯。あなたの嫌いなタイプだった。


 悪事は誠意を持って粛々と行われるべきなのだ。興奮や快楽が生じたとしても、それは過程として結果的に得られる物であり、それ自体を目的にしてはならない。人間として、最後のストッパーだ。


 フィンチがハンカチを取ると、もう血は止まっていた。使い物にならなくなったハンカチを床に捨て、懐から小さな箱を取り出す。


 蓋が開かれ、それが煙草であると分かった。フィルターのない、両切りの煙草だ。


「誰か火持ってないか? 灰皿は……ああ、あったあった」

「これ以上長居する気?」

「この一本を吸ったら帰る」


 大きく嘆息。不機嫌な様子を隠しもしないメイベルが右手の人差し指をぴんと立てると、そこに綺麗な翠緑の炎が灯った。


 フィンチが咥えた煙草を近づける。緑色の炎が煙草の先端に移り、見慣れた燈に色味を変えた。


 実に旨そうに吸うものだ。そういえば、あなたも昔は喫煙者だったということを思い出した。なんでも健康に悪いそうなので、とっくの昔に止めたが。


「煙草より人生の方がずっと有害だぜ」


 細く吐き出された煙が、立ち上る紫煙を掻き乱す。


 特に会話は無かった。そのまま一分、二分と時が経ち、煙草の四分の一程が灰になった頃。


「そーいやぁ、お前と組んでた子……カレンとか言ったか? あの子の親父を知ってるよ。同期だった」


 そんなことを言い出した。


「へぇ、あの子の父親。元気なの?」

「何年か前に死んだよ。高値の首を追って」


 ずっと、そんな気はしていた。直接聞いたのは初めてで、そのことに多少ショックを受けた自分にあなたは驚いた。


 人は死ぬ。それは自然の摂理で、今までそれに感情を持ったことは無いのに。


「かなりこっぴどくやられたらしい。空の棺を埋めたらしいぜ」


 それはつまり、死体を回収できなかったか、人様に見せられる状態ではなかったいう事を意味する。この世界にエンバーミング技術などあろう筈もない。


 しかし……かつて家族だった肉の塊と空っぽの棺、別れを告げるならどちらがマシだろうか。あなたには分からない。


「……残念ね」

「まあ、本人もベッドの上で死ねるとは思ってなかったろ。家族に弔って貰えただけ幸せってもんだぜ」

「本人の前で同じことが言える?」

「おいおい、今更善人ぶるのはやめようや」


 半ばまで燃え尽きた煙草を灰皿に押し付け、ぐしゃりと揉み消した。

 フィンチは残りの酒を一息に飲み干す。


「一人の男がこの世から消えただけだろ。美人さん、結構な魔術師とお見受けするが、それなら殺しの経験もあるよな?」

「……えぇ」

「どれだけ殺したかは問題じゃない。誰かを殺した時点でクソだ。その背後の家族やら大切な人やらに感情を向ける権利はないぜ」


 このフィンチという男……思ったより、面白いかもしれない。


「さて、そろそろ失礼しよう。煙草の残り、あんたにやるよ。もう会う事もねぇだろうしな」


 煙草の箱が差し出される。見ると、まだ十八本ほど入っていた。もう禁煙したのだが、貰えるものは貰っておこう。


 あなたがポケットに煙草を放り込むと、「ここは出してやるよ」と言ってフィンチは去って行った。テーブルに迷惑料を上乗せした金を置いて。


「……はぁ、失礼な奴だったわね」


 面白い男だと思ったが。


「あのテの人間は嫌いなのよ。あーあ、二件目いこ二件目。気分悪いわ」


◇ ◇ ◇


 あなたとしては適当に帰るつもりだったのだが、ずるずると遊び回り……宿に帰る頃には日はどっぷりと沈んでいた。


 アルコールでややふらつく視界の中、宿の扉を開く。随分と遅くなってしまった。


「ああ、お客様。お手紙が届いていますよ」


 受け取ると、蝋で封じられた封筒の裏にカレンと書かれていた。あなたに手紙を書くのなんて、彼女かメイベルぐらいしかいないだろうけど。


 部屋に戻り、蝋の封を破り本文に目を通す。

 それはデカくてワルい、高値の首。大きなヤマへのお誘いだった。

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