27.「TANSTAAFL」
料理という存在以上に、その国の特色が表れるものもそうそうない。
森の国ならキノコやベリーなどの森の幸。草原の国ならエキゾチックな香辛料に畜肉。海の国なら宝石の如く輝ける魚介類が主役となるだろう。
では、あなたのいるこの国はどうだろうか?
そう、ここは川の国である。
民族的な怠惰から道路整備を長い間怠ってきた我らが王国は、古くから河川を主要交通網として用いてきた。神の粋な気遣いによって過不足なく張り巡らされた大小様々な河川は、人と物を運び民族融和を後押ししただけではなく、素晴らしい淡水魚までもたらしたのだ。
川魚は料理の中核を成す重要な要素であり、それなくして歴史を語る事は出来ない。歴史上重要な働きをした英雄たちも、みんな淡水魚を食べて育ったのだから。
この世界の何処に目を向けても、我々より淡水魚の扱いに長けた民族はいないだろう……。
――と、あなたの手元の本には記されていた。
題名に『伝統的料理のレシピと付随する歴史』と書かれたハードカバーの分厚い本だ。文明を学ぶより破壊する方を得意とする、あなたのような男が何故そんな本を読んでいるのか。それは、ここ数日の行動に起因する。
といっても、事情は複雑ではない。
あれからカレンと何度か賞金稼ぎの仕事をこなしていたあなただが、刺激的な日々にも慣れてきたある時、唐突に料理がしてみたいと思い立っただけのことだ。
思い返せば、あなたは食べるのは好きだが料理を凝ったことは一度も無かった。ウェイストランドでは豊富な食材など手に入りようもないが、それでも趣向を凝らした料理を作る人間は一定数いたものだ。
幸運にもここは自然豊かな異世界で、それも国中から食材が集まる王都だ。少し歩いて市場まで行けば、大抵の物は手に入る。あと必要なのは料理の腕前とキッチンだけだ。
そう、キッチン。問題はそこである。
あなたには自由に使えるキッチンなどない。今の住処は安宿なのだ。ダメ元で一度頼み込んでみたが、怪訝な眼を向けられた後あっさりと断られてしまった。
その時は多少むっとしたものだが、冷静に考えて客にキッチンを貸す宿などあるはずもない。これはあなたに非があるだろう。ここの所、どうも沸点が低くなってしまったようだ。戒めなければ。
キッチンなしに料理は出来ない。野菜は生で食べられても、肉や――特に魚を生で喰おうなど正気の沙汰ではないし。
調理器具を担いでキャンプに行けば出来ないこともないが、毎食そうするのは厄介だ。最終手段として家を買っても良かったが、ここに永く住むかと問われれば疑問符が浮かぶ。
結局何を解決するでもなく、今日もあなたは食べ歩きに出るのだった。
◇ ◇ ◇
第一印象からして王都の治安は良くないと思っていたが、まるっきりそうという訳でもないらしい。
治安が悪いのは所々に点在する貧困層が多く集まる地区――所謂スラムで、殺人や強盗などの凶悪犯罪が多発するのもそこだ。
今あなたが歩いている場所は一般層向けの食事処が多く集まる大通りで、ここなら後ろから殴られたり殺されることもほぼ無いと言って良いだろう。厄介な連中もいるにはいるが、やってることはスリや万引きなどのチープな犯罪だ。それも憲兵の多いこの辺りでは、大抵すぐに捕まってしまうのだが。
勿論、あなたにとってそんな連中は脅威にならない。
王都に来てから既に四回のスリ未遂に会ったが、その全てで指をへし折ってやったのだ。痛みに喚く姿は実に面白く、幾らか金を払ってもやってもいいと思えるほどだった。
実際そのうちの一人にショー代として金を渡したのだが、彼は怪物を見る目であなたを見ると、脱兎の如く走り去ってしまった。
一体、あなたの対応の何が悪かったのかさっぱり分からない。今度メイベルに会ったら聞いてみようか。
そんな事を考えながら歩いていると――
「あら、元気してた?」
人混みの中に、友人の姿を見つけた。
◇ ◇ ◇
「……そりゃスリしようとした男にお金渡されたら戸惑うでしょ。普通に頭おかしいと思うけど」
隣を歩くメイベルはそっけなくそう言った。
「指折っただけで済ませたのは褒めてあげるけど、目立つなって言ったわよね? バカみたいな事してんじゃないわよ」
何やら結構なことを言われているが、もう慣れた。人の発言で傷つくようでは生きていけない。とは言え、メイベルとはこれから昼食を共にする事になっている。折角だから、ここは食事が美味しくなるような話をしたいものだ。
「あー……はいはい。じゃあ何が食べたいの」
なんでもいい。そう言われるのが一番困るだろうが。
「分かってるんなら言わないでよ……じゃあ、あの店は?」
メイベルが指差した先にはオープンテラスのある小洒落た店があった。そこそこ賑わっているようで、開放感のあるガラス窓にはチョウザメのスープと書かれたチラシが貼られている。
あの店は行った記憶がある。見かけはいいが、それ程美味しくはない。
「じゃあ、あっち」
次に指差したのは古き悪き西部時代を思わせる造りの酒場だった。朽ちかけた木のスイングドアの向こう、薄暗い空間に陽気な男達の姿が見える。
あの店も行った事がある。酒は安くて良いが、料理の味は酷いものだった。よくもまあ皆平然と食えるものだと感心する。泥酔した客には味など関係ないのかもしれないが。
「……あっちは?」
次、ログハウス風のカフェ。緑色の屋根と小さな煙突が可愛らしい。
勿論行った。美味しいが、もっとガツンと来る物が食べたい。
「……うっざ! あんたなんでもいいって言ったでしょうが!」
言った。なんでもいいとは言ったが、なんでもいいわけではない。
そう言いかけたが、火に油を注ぎそうだったので喉の奥に押し込めた。
「もうあんたが選びなさいよ。私もなんでもいいから」
本当にそんなことを言ってしまっていいのか? あなたは譜面通りに受け取り、忖度などしない。都合が悪かろうと――今しがたあなたがやった事だが――キャンセル不可だ。
あなたはしばらく歩き、ふと目に入った建物を提案した。
真珠の如き輝きを放つ純白の豪華な建物だ。一見して教会かと思ったが、よく見ると玄関先の小さな看板にはメニューが記されている。
見た目に違わず良いお値段するが、二人とも財布の中身はリッチなのだ。思うに、あの店が最善の選択肢ではなかろうか。
「あれは絶対ダメ。悪いけど」
思わぬ出会いに顔を綻ばせるあなたと対照的に、メイベルは浮かない顔だ。
一体どうしたと言うのだろう。もしや高級店アレルギーなのか。
「あんたは知らないだろうけど、偉大なる男達って厄介な連中がいるのよ。あの店は奴らの根城なの。どれだけ食事が美味しくても、余計なトラブルは御免でしょ?」
偉大なる男達。確か、カレンが話していた気がする。メイベルと同じく、厄介な連中という趣旨の話だった。
成程、それなら近づかない方が良いだろう――あなたとしては彼らが昼食でも構わないのだが、彼女はそうでないだろうし。
「そ、ご理解いただけて何より……もう適当にさっさと決めちゃわない? 早くしないと席が埋まるわ」
一度そうと決めたら行動が早いらしく、メイベルはあなたを置いて早足で進む。どうやら、さびれた大衆食堂が目的地らしい。
いまいちぱっとしない、探せば幾らでもあるような店だ。恐らく、味も想像の範疇を超えないだろう。
折角余裕があるのだから高級料理、あるいは甘美な同族を口にしたいところだが、ここは彼女に従った。
聞く所によると、良い食事に必要なのは優れた食材でも調理法でも空腹でもなく、気の置けない友人だそうだ。
確かに、他の物は金で買えても、最後のそれはおいそれと手に入らない。どことも知れぬ異世界で友人に恵まれたのは、あなたの人生の数少ない美点なのだから。
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