26.「罪と十クロナ」
羊のように群れる人々の間を、すり抜けるように駆け抜ける。
その気になれば勇敢な牡牛のように人々をなぎ倒すこともできたが、カレンから民間人への被害は極力避けるよう言い付けられていた。時には避けきれず肩と肩が接触してしまうが、ボウリングのピンみたく弾き飛ばされるよりマシだろう。
当の二人と言えば、今も屋根上で熾烈なレースを繰り広げていた。
文字通り地に足つけたあなたは少しづつ距離を詰めていたが、双方の距離は未だ近くはない。カレンの軽やかな身のこなしは目を見張るものがあるが、フィンチは更にその上をゆく。その軽やかさたるや……まるで極東の伝説に聞くパルクールの達人、ニンジャのようだ。
思わずブラスターガンをぶっ放したい衝動に駆られたが、ぐっと堪える。確かに脚を失えば走れなくなるだろうが、同じように生命も失われるだろう。生け捕りが必要なのだ。生首を持って来いとは誰も言っていない。
――と、そこであなたは天啓を得た。
何も、武器はブラスターガンだけではないのだ。
思い返せば自分でも奇妙だが、どういう訳かあなたはブラスターガンに固執していた。あなたの後ろ腰には、ベルトに挟まれたS&W M36があるではないか。
S&W M36は装弾数五発の小型リボルバーだ。用いられる.38スペシャル弾は良好な精度と扱いやすい反動を持つ弾薬であり、魔物や大型の野生動物を相手取るには力不足だが、人間相手では――非装甲の目標なら尚更――十分な威力を期待できる。
脚を狙うといっても、大動脈などの急所を傷付ければ死んでしまうので、可能な限り掠らせるように撃つのがベストだろう。必死で走る人間の脚を狙い撃つのは、狙撃というよりは最早曲芸の域であるが、射撃の腕には覚えがある。
何も物理法則に逆らおうという訳ではないのだから、不可能ではないだろう。つまり、これはいつも通り、あなたの腕次第なのだ。
道具はある。自信もある。足りない物は何もない。
あなたは足を止め、片膝を突いてS&W M36の撃鉄を起こし、まっすぐ腕を伸ばした。万が一にも間違いのないように落ち着いて、運動直後の跳ね回る心臓をコントロールする。
群衆があなたの持つ奇妙な道具と行いにざわめいているが、あなたには聞こえていなかった。
極度の集中状態の中、あなたは引き金を引いた。
放たれた弾丸は、見事に与えられた役割を果たした。
◇ ◇ ◇
「今日は助かりました――まさか発砲するとは思いませんでしたが」
結果からいって、仕事は無事に完了した。
脚が傷ついたフィンチにカレンが体当たりして諸共水路に転落したり、謎の爆発音を聞きつけた憲兵隊に職務質問を喰らったり、縄で縛られて尚べらべらと喋るフィンチを肘打ちで黙らせたりしたが、まあ終わり良ければ総て良しだ。
身柄と引き換えに賞金を得たので、現在は取り分についての相談を公園のベンチに腰掛けて行っていた。都会の一角に申し訳程度で整備された公園には大した動物などおらず、地面の雑草を啄む茶色い小鳥と、時折ため池から顔を覗かせる鯉だけが住民らしい。
頭上の太陽は燦々と輝き、ため池の静かな波がきらきらと輝いている。それが何だか眩しくて、あなたは帽子を深く被り直した。
「それで、報酬の分配ですが」
報酬は必要ない。あなたの働きは銃を一発撃った程度のもので、屋根から情けなく転げ落ちた――正確には落ちていないが――挙句、追跡の大部分をカレンに頼ったのだ。報酬はカレンの懐に収まるべきだろう。厭らしく聞こえるかもしれないが、あなたは金に困っていないのだから。
「懐事情は関係ありません。共に働いたのですから、報酬も分け合うべきです。ここは譲りませんよ」
カレンが少し強硬的な態度を見せた事は、あなたを少しばかり驚かせた。温和な彼女がそう言うのなら、きっと譲らない筈だ。
で、あればだ。
あなたは報酬の入った巾着袋を受け取ると、中から一枚の銅貨を取り出してポケットに入れた。
これで結構。十クロナあれば、きっと飴玉くらいは買えるだろう。
「いえ、ですが」
これで良いのだ。これ以上は一銭も受け取らない。
あなたの態度でこれ以上の議論は無用と受け取ったのだろう。カレンは渋々といった様子で巾着袋を懐に収めた。
……とはいえ、年の離れた少女を不機嫌な気分のまま帰すのはあなたの流儀に反する。
代わりに一つ頼みがあると言えば、多少機嫌も良くなるだろうか?
「頼み……はい、何でしょう」
ただ、これからも偶に仕事を回して欲しいのだ。
犯罪者を追いかけまわすのは存外に楽しかった。保安官になりたい訳ではないが、暴力に大義名分が生まれるのは気分が良い。今日みたく合法的にフィンチみたいな奴を殴れるなら、ストレス解消にぴったりだ。更に、なんと信じ難いことに金まで貰える。
もし……もし良ければ、の話だが。
今日の不甲斐ない働きに弁明が許されるならば、相手が悪かった。正面からぶつかり合う機会があるのなら、きっとあなたは役に立つ。
欲を言えば、生死問わずが一番ありがたい。とにもかくにも、危険な荒事に気軽に呼んで欲しいのだ。
あなたは、たとえ死の影の谷を歩こうとも恐れはしない。何故なら、あなたが谷で一番の悪党だからだ。
「……正直、もうこの仕事が嫌になったかと思ってました」
そう言うカレンは、若干の驚きを浮かべていた。
「でも、そう言って貰えるのはとてもありがたいです。またお願いしますね」
カレンこそ、あなたの暴力性に対する信頼を失ったかと思っていたが……何はともあれ、名誉挽回の機会が得られたようで良かった。
「連絡手段はどうしましょうか。私は魔術が使えませんから、手紙か直接出向く事になりますけど」
あなたは滞在している宿の住所をメモに書き、カレンに渡した。
大抵そこで会えるだろうが、もしタイミングが悪ければ書置きを受付に残してくれれば良い。その日のうちにあなたの目に入るだろう。
「分かりました、そうします」
カレンは立ち上がると、佇まいをさっと正した。
「ではこれで失礼します、今日はありがとうございました」
礼儀正しく礼をすると、カレンは去って行った。
公園に一人残されたあなたは、これから何をするか考える。
手元の懐中時計は少し遅い昼時を指していた。空腹だし、昼食には良い時間だ。今なら混雑を避けて食べられるだろう。
そうと決まれば、これ以上公園にいたって仕方がない。偶には空腹に身を任せ、気の赴くままに街を散策するのも良いものだ。そうやって見つけた店は大抵おいしいし、もし不味くても誰かを責めずに済む――精神が十分に成熟していれば、の話だが。
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