25.「重力には勝てない」

 酒場を出て、目的地のホテルを目指して大通りを進む。


 露店や屋台が多く立ち並ぶ厄介な場所だったが、カレンの後を進めば幾らか楽に歩くことが出来た。


「急ぎましょう、賞金首は早い者勝ちですから」


 言葉通り、カレンの歩みは早い。とはいえ、あんな小者を大勢の賞金稼ぎが追っているとは考えにくかった。掛けられている賞金もせいぜい夕食三日分位のもので、労力の方が高く付きそうだ。


「ええ、まあ……実は研修みたいなものなんですよ。あなたの力を疑っている訳ではないんですが、一応ですね」


 やはりそうか、薄々そうではないかと思っていたのだ。強大な敵を追うには、組んだばかりのこのチームでは不安が残る。


 まずは簡単な課題でチームの動きを確認し、十分であれば更に難しい課題に取り組む。それが定石だ。


「泥棒だ! 待て!」


 どん、と肩がぶつかった。


 必死で走る男の後を、複数の男が追いかけていった。文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、あの様子では近い内に十分な制裁を受けそうだ。


「治安が悪いでしょう? 嫌になりますよ。故郷が懐かしくなります」


 うんざりした声音でカレンが言う。あなたの産まれ育った世界はもっと治安が悪かったが、あなたにもカレンの故郷――ベレズニキが懐かしく思えた。


 あそこは住民が互いに慈しみを持ち、支え合って生きている。ところがここはどうだ? 隣人が困っていようと知らんぷり。誰が困っていようと知ったこっちゃない。人間の数こそ多いが、孤独で孤立している。


 地獄に焼き網は必要ない。ただ多くの人間を集めさえすれば良いのだから。


「都会はよく分からないことばかりです……みんな肉をわざわざ買うんですよ? 街を出て少し歩けば森があるのに」


 自給自足が基本だったであろうカレンからすると、その辺りの感覚は理解が難しいのかもしれない。ただ、手を汚したくない人間もいるだろうし、誰もがカレンのように弓の腕に長けている訳でもないのだ。


 そう言えば、今日のカレンは弓を持っていない。矢じりを丸くすれば大きな傷を与えずに生け捕るにはうってつけだと思うのだが。


「流石にこの人混みで矢を撃つ度胸はありませんよ。百発百中って訳じゃないですから」


 小さな兎を射止める腕前があるのだから、十分いけるのではないかと思ったが。しくじって縛り首になっては世話ないけども。 


「着きましたよ。ここです」


 カレンが指差す建物は、赤いレンガ造りの四階建てだった。立派な看板に『グレイブ』とこれまた立派に印字されているものの、壁の所々にヒビがあり、割れた二階のガラスに至っては木の板で塞がれている。


 言っちゃ悪いが、犯罪者が隠れ蓑にするのも頷ける建物だ。


「私が話します」


 そう言ってカレンは扉を開け、中へと向かう。

 受付に立っているのは、眼鏡を掛けた若い女性だった。


「お客様、申し訳ありませんが現在満室でして……」

「いえ、我々は賞金稼ぎです。このホテルの二〇五号室にフィンチと言う名の男はまだ滞在していますか?」

「しょ、賞金稼ぎ?」

「そうです。確認して頂けますか?」

「ええと……少々お待ちください」


 受付の女性はカウンターに置いていた帳簿を開き、指で一行一行なぞりながら確認を進める。都会だけあって、場末のホテルでもそれなりの出入りがあるらしく時間が掛かったが、やがて女性が小さく声を上げた。


「はい……はい、確かにフィンチ様は二日前から宿泊しておられます」

「では現在も部屋にいるんですね? 買い物や宿泊に出る事もなく?」

「ええ、先程部屋にお食事を運びましたが、その際もいらっしゃいましたよ」


 それを聞いてカレンが振り返り、カウンターに飾られていた小物を弄んでいたあなたと目を合わせる。“やりましたね”といった様子で微笑んだ。


「良かった。鍵をお貸し願えますか?」

「鍵を?」

「もしお貸しして頂けなかったら、真に遺憾ながら蹴破ることになります。幾ら賞金首を捕まえる為とは言え、可能な限りご迷惑をおかけしたくないのですよ」


 蹴り壊すと聞いた途端、女性の顔がさっと青ざめた。


「これ以上修繕費用が嵩むのは困ります! お貸ししますよ」

「ご協力感謝します」


 部屋に向かうようだったので、弄んでいた小さな猫の像を元の場所に返す。


 さて、どうしてやろうか? 脚目掛けてナイフでも投げてみようか。いや、誤って動脈なんかを傷付けたら面倒だ……そんな事を考えつつ階段に足を掛けようとした時、女性があなた達を引き留めた。


「あの! フィンチ様……賞金首は危険な方なんですか?」

「いいえ、空き巣と食い逃げのしょっぱい犯罪者ですよ。危険は危険でしょうけど」

「……早く、捕まえて下さいね」


 その言葉に、カレンはただ笑うだけだった。

 改めて階段を上り、二階の二〇五号室の前へ。


「静かに、素早く済ませましょう」


 カレンが鍵を鍵穴に差し込む。あなたは拳を握り臨戦態勢だ。


 ガチャリ、小さな音が響いて錠が開く。体当たりするかのように一気に扉を開き室内へ雪崩れ込む。


 部屋の中は――


「……誰もいない?」


 全くの無人。誰一人いなかった。

 部屋はもぬけの殻で、開け放たれた窓でカーテンが風に揺れていた。


「逃げた……ふむ」


 裏路地に面した窓から外を眺めると、逃げられそうではあった。飛び降りられない高さではないし、多少身軽であれば隣の建物の三角屋根にも飛び移れそうだ。


 いつあなた達を嗅ぎ付けたか知らないが……勘が優れているのか、単に運がいいのか。


「これを見て下さい」


 カレンに従いテーブルの上を見る。深皿には茶色いシチューがまだ残っており、触れるとほのかに温かい。もう一つの小皿には、半分齧られた丸いパンが残っている。


「これを見るに、直近までここに居た筈です。逃げたという線も考えられますが、もう少しこの部屋を探す価値はあるかもしれません。隠れる場所は多少なりともありますし」


 だとしても、どちらか片方が外に出るべきではないだろうか――あなたは地理が分からないので必然的にカレンになるが――もしフィンチが逃げたとしたら、ここで時間を使う間、距離は広がるばかりだ。


「逃げたとしたら、もう追いつけません。この人混みですから。ですがあの手合いは習慣的にに犯罪を行いますから、近い内に私達の耳にも入るでしょう。またその時追えば良いのです」


 ホテルに泊まって食事を頼む位だから、財布にはそれだけの金があるのだろう。こういった所は先払いなので食い逃げもできない。空き巣で得た金銭で豪遊しているのか、とあなたは推察した。だとしたら良いご身分だ。


「財布に余裕があっても盗みや食い逃げを働く人間は一定数いるのですよ。食うに困って罪を犯すのではなく、ただ緊張感やその場の興奮が目当てで犯罪を働く類の人間が。特に盗みは癖になるそうで、以前貴族の御息女を窃盗で捕まえた事があります」


 それはなんとも……なんとも、度し難い世の中だ。

 フィンチもそうなのだろうか? だとしても、やることは何も変わらないが。


「その通りで。さて、隠れる場所ですが……」


 こういった場合、屋根裏に隠れるのは良くある話だ。しかし上は三階なので、それは物理的に不可能。


 あなたは部屋をぐるりと見渡すが、家具は必要最低限しか置かれていない。

 シングルベッドにテーブルと椅子、クローゼット……


「ベッドの下は……いない」


 あなたは麻薬を捜索する捜査官のようにベッドを傾けたが、そこには埃と誰かが忘れたであろう小さなイヤリングがぽつんと残されているのみだった。


「クローゼットは――」


 その時だった。クローゼットの両開き扉がひとりでに開き、猫のような俊敏さで何かが飛び出した。


「バカ共が!」


 カレンはとっさにそれを掴もうとしたが、虚しく手は宙を切る。

 飛びかかったあなたはもっと悲惨で、壁に額を強かに打ちつけた。


「フィンチ! 待て!」


 クローゼットから現れた男、フィンチ。

 彼は窓枠に足を掛けると、驚くべき身軽さで軽々と反対側の屋根に飛び移った。


 カレンも機敏な動作で同じように飛び移る。


 やや遅れて体制を立て直したあなたもそれに続くが、屋根の雨どいに手を掛けた途端、ぐにゃりとねじ曲がってしまった。二人に比べ、どうやらあなたの体重は重すぎるようだ。 


 手を放せば地面へ真っ逆さまだ。誰だって重力には抗えない。


 落ちた所で打ち所が悪くなければ死にはしないだろうが、カレンの仕事の役に立つどころか足を引っ張るのは確実だ。


 あなたは必死の形相でもがき、どうにか身体を屋根の上に押し上げた。何枚かの屋根材が、あなたに蹴られて落ちてゆく。


 傾いた三角屋根の上で姿勢を整えた頃には、二人の姿はずっと遠くへ行ってしまっていた。


 二、三歩と踏み出すが、その歩みは酷く緩慢だ。一生やったって追いつけないだろう。ここは癪だが、一度下に降りてそこから追跡した方が良い。地面と屋根、上下で追い立てる算段だ。


 飛び降りるのは、よじ登るよりずっと簡単だった。

 あなたは危なげなく着地し、それから二人を追い始めた。

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