3
「あっ!!もー、逃げちゃったじゃん!」
「間違いなく僕のせいではない」
虫あみという脅威から一匹のセミが飛び去った、脅威を振るった暴君は僕に落ち度があったと言いたいらしいが。
虫取りの才に恵まれなかっただけだろう。
「いや間違いなくさっくんのせいだよ、セミに何かしらの合図送ったでしょ!」
「セミに目配せが通用するとは思えないんだが」
真夏のカンカン照り、山の木々にはセミが張り付いて性懲りも無く合唱している。舗装された道をそって進んでいるが、どこにたどり着くかは把握していない。
「だからあれだよ、超能力的な」
「セミに思念を飛ばせる超能力か、便利だな…」
「便利ではなくない?」
そんなに鳴くなよ、と優しく語り掛けてあげればセミもきっと鳴き止むことだろう。
何が悲しくてセミはそんなに爆鳴きするのか、生物学的に言うと恋人ができなくて鳴いてるのかな。
いや逆に、恋人を作るために鳴いている?
鳴き落としで告白を成功させる生き物、それがセミなのか。
「はあ、立派な神社だなあ」
セミに思いを馳せているうちに階段を登りきった僕達は、石造りの鳥居の向こうに社を見つけた。
鳥居をくぐったと同時に、さっぱりとした冷ややかな風が首筋を撫でる。
「そうじゃろう?少しボロっちくて小さくとも存在感は立派なのじゃよ」
木々の葉がざわめく音に混じり、幼い女の子の声が聞こえた。礼鳴の声とは別の、おっとりとした声。
「狐ちゃん!おはよー!」
「うむ、こんにちはじゃな」
振り返ると鳥居の柱から突然現れたように、黄金色の髪の少女が歩いていた。
椿色の和服を着こなしていて、黄金色の長髪には桜の髪飾りが。
そしてその髪飾りよりも気になるのが、ピンッと張った狐耳と大きなしっぽだ。もふりたい。
「狐さん、ねぇ」
「そうじゃ、いい加減覚えたらどうじゃ?」
初対面のはずが何故かそう責められた、いやまて、もしかするとどこかであった事があるのかもしれない。
それとも狐さんの人間違いなのか。
「まあそのおなごに夢中じゃったからのう、妾の話も聞いておらぬかったのじゃな」
「そうなんだよー、さっくんたら私に夢中で周りが見えなくなることがあってねー」
「もしそれが本当なのだとしたら、僕はここから出たあと精神科に通うことにする」
確かに夢中になって周りが見えなくなることがあるかもしれない、しかし出会った人を忘れるほどに熱中できるものを僕は知らない。
というか、勝手に人の事を礼鳴に夢中な変態みたいな感じで言い表さないでもらいたい。
「というわけで容疑者候補その1、狐さんです」
礼鳴はそう言いながら狐さんの頬をつつく、おもむろに嫌な顔をする狐さんだが礼鳴がそれに気づく様子は無い。
とりあえず、挨拶でもしよう。
「どうも、初めまして
「……」
僕の紳士的な挨拶にしかめっ面で答える狐さん、相当何かが気に食わないらしい。
「ほら、狐ちゃん、自己紹介的な」
「妾の名は
礼鳴に促されて、狐さん、ではなく隻さんは無愛想に自己紹介を済ませた。
気難しい人なのだろう、すると次に僕がする質問はあまりよろしくないかもしれない。
しかし、僕は聞かなければならない。
「狐か、とりあえず尻尾もふっていいか」
「ダメじゃ」
「そんな普通に断らなくても……」
もうちょっと悩むか、もう少しユーモアのある返しをしてくれてもいいんじゃないか。
もしくは嫌そうな顔をするとか、そんな無みたいな顔で断られるとなかなかメンタルがえぐられる。
「しかたない、私をモフることを許可しよう」
「どこをモフれと…」
礼鳴の気遣いを受け取って、一応頭を撫でる処置はとるが。やはりもふもふという感触とは程遠い。
まあ狐を撫でるとエキノコックスとか怖いから別にいいし、エキノコックスはホントに洒落にならない寄生虫だからみんなも気をつけよう。
「えっと、あぁ、こういう時に刑事はなんて聞くかな」
「ご職業は?」
「それ職質だろ」
いや職業を聞くような気もしてきた。普段刑事ドラマをみているのはこのときのためだろ?思い出せ僕の脳みそよ。
ちなみに僕は、もちろん職質を受けたことは無い。
「職業は、ここを守っておる、ことかの」
「自宅警備員ってことか」
「狐ちゃんニートだったんだ」
「何を言っておるか分からんが、バカにしておるのは分かるぞ」
ビシッと人差し指を突きつけられ、刑事ドラマの犯人のごとく自白してしまいそうになった。
いや、海崖まで逃走するという手段もある。
人質をとって、隅まで行こう。
人質はもちろん。
「そんなに見つめられると照れちゃう」
「……先に海に投げ入れるか」
「何が!?」
わなわな震える礼鳴に優しく微笑み、僕は一気に本題へと足を踏み入れることにした。
「えっとじゃあ、率直に、何か悩みがあれば聞かせて欲しい」
「悩み、のう」
隻さんは目を細めて、顎に手を当て静かに思考を巡らせているようだ。
僕も目を瞑り、静かに思考を止めてしばし眠ることにしようかな。
「……妾は長く生きて、ここから街を見守ってきたのじゃ、今ちょうどここから見える景色が、何百年も、続いておった」
少しして、隻さんは語り始めた。
大昔から続く煤けた記憶を、ぽつりぽつりと紡ぐように。
「しかしな、時が過ぎるのが早いと気づくのは、時が過ぎ去ってからなのじゃ、気付けば慣れ親しんだ景色が灰色に犇めいておった」
下に見える緑の景色を、隻さんは愛おしそうに見惚れている。
「つまり悩みは、昔の方がもっと良かったなあ、みたいな感じですか」
昔は良かったというお年寄りの方々は、今の生活に満足出来ていないのだろうか。
いや、今の生活にではなく。今の自分に、満足出来て気ないのかもしれない。
「そうじゃの、妾の悩みは変化について行けぬことかのう」
「やっぱり妖怪って長生きなのか……見た目に合わずご長寿なのはわかってたけどさ」
喋り方からの判断だったが、やっぱりこの手の妖怪は見た目と年齢が合致していないことが多い。
人は見た目によらないというが、妖怪はその倍以上に見た目によらないのだ。
「何を言うておる、妾は
「ん?」
「さっくん何か閃いた?」
閃いたも何も、今根底から全て覆すようなことをこの狐は言った。
この時間の全てが、階段を昇ってきた労力が無駄になってしまうような一言を隻さんはあっけらかんと言ってのけた。
「神の類はこの空間作れないんじゃなかったか」
「え、そうなの?」
逆になんで僕でも知っているようなことを礼鳴は知らないんだ、僕が間違っているのか不安になるじゃないか。
いやでも、たしか昔の新聞紙の四コマで見た。
神の類はこの空間を作らない、いや作れないと。
「そうじゃな、悩みはあれどそちらの様な邪気のある欲は出さぬからの」
「早速容疑者から1人外れたな」
「ふっ、本気を出すまでもない、簡単な事件だったな……」
「まてまて、事件は解決してないし、本気どうのこうのの前に出だしから
重要な1人目の容疑者が完全に無実だった。
この展開は刑事ドラマや推理小説なんかだと、じつは犯人だったなんてオチになりがちだが。
これは刑事ドラマでもなければ推理小説でも無い。
そう、僕のひと夏の恋愛小説になるべき物語なのだ。忘れないでもらいたい。
「そういえばお主、雰囲気が変わったのう」
「はあ、どうも」
急に息の当たるほど近くに顔を寄せてきた隻さんは、僕の目玉を抉りとるように覗き込んだ。
背筋に冷たいものが這いずるのを感じた。
「そうじゃ、妾はラムネが飲みたいのじゃが」
「買えば、いいと思うよ」
神だからって何でもして貰えると勘違いしている隻さんに僕は、力なく笑いながらやんわり断った。
すると隻さんは明らかに不機嫌な様子になって。
「妾はここから離れることが出来ぬのじゃ」
隻さんはそう言いながら階段を背に向け、力を抜いたように後ろに倒れ込んだ。
がしかし、身体はなにか透明なものに支えられているようで、壁にもたれかかったようになっている。
空気椅子より高度な技術の賜物、の可能性もあるが。
「恩は売るものじゃぞ」
「まあ気が向いたら」
「さっくんお金あるの?」
「あ、財布ねぇや」
ここに来る前は持っていたような気もするのだが、ポケットを確認するも中には糸くずしか入っていない。
そんな僕を見て、礼鳴は不敵な笑みを浮かべた。
「ツケね」
「この場合それはこの人に言ってもらいたい」
そう言って隻さんの方に視線を送ると、その狐は僕と礼鳴を交互に見合わせた。
そして頬に手を当てて。
「うやん」
そう何故か照れくさそうに言った。
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