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「でさ、そのさっくん?がここから出るための鍵だって?」

「そうそう、起きたらきっと何か良い事言ってくれるよ、起きた時の一言めに期待だよ」

「そりゃ楽しみだ」


 ひんやりした掛け布団、下は畳なようで。空気は冷蔵庫の中みたいにひんやりしていて、特徴的な匂いでエアコンが効いているのがよくわかった。

 閉め切られたガラス戸の外に縁側らしきものがあるが、ここからだと青い空と寂しげな風鈴しか見えない。


 そしてどうやら、僕は何故か漠然とした期待を寄せられているようだった。

 ここはご期待通り、皆があっと驚くような一言を言ってやろう。そう心に決めて、僕は曲線美を極めた腹筋をするようにガバッと起き上がって言ってやった。


「シロクマは一匹残らず左利きらしいぜ」


 誰かがエアコンの温度を下げたのか、なんだか部屋の空気が真冬のような冷たさになった。

 女性二人がこちらを、冷ややかな目で見つめてくる。

 まったく、ついさっき暑さで倒れたとは思えないぜ。


「あ、起きた」

「さっきの話やっぱりなしね」


 女性二人、片方は酒呑しゅてん礼鳴れいなだ。僕をここまで運んでくれたのだろうか。

 運んできたとしても、どうやって運んだのだろう。

 それはともかく、もう1人は知らない顔だ。


 橙色の髪を短く切って、みかんが描かれたシャツの上から革ジャンを(室内なのに)羽織っている。明るい雰囲気で、スタイルが抜群だ。

 もしかしたらモデルなんかをしているのかもしれないが、あいにく僕はその辺の話に疎くてね。


「そもそも僕に何を求めてるんだ」

「てへてへ」


 礼鳴に反省の色は見られなかった、そもそも反省の色というのはどんな色なのかを礼鳴も僕も知りはしない。


「とりあえず、麦茶でも飲めよ、な?」


 名も知らぬ女性はそう言いながら、麦茶が入ったグラスを僕に勧めた。


「どうも、えっと……」

司互他したがた古子ふるこ、吸血鬼だよ、ほら」


 クイッと指で押し上げられた口には、鋭く白い牙が見えた。

 吸血鬼というのは血を啜って、太陽から逃げ、コウモリのような羽根で空を飛び、怪力を発揮する方々のこと。

 太陽の陽射しを浴びて、灰になるようなことは無い。


「私お腹すいたから何か食べてくるね」

「ちょっとまて、初対面の女性と二人っきりにするつもりかこの薄情者!右に避けようとしたら相手の通行人も同じ方向に避けてきたのが6回続いた時くらい気まずいんだよ、分かるか!」

「長いからわかんない」


 開かれた障子から外の熱気が押し寄せる、うんざりというように身体を少し仰け反らせて外に出た礼鳴は外から障子をゆっくりと閉めた。

 火照った空気が、冷風に流されすぐに飽和する。


「それで、ここは」

「古民家、10日間くらいここで寝泊まりしてる」


 そう言うと古子さんはお盆に乗っていたグラスを手に取って、麦茶を注ぎ始めた。

 ちなみに僕はと言うと、アイスクリーム頭痛を危惧してちびちびとキンキンに冷えた麦茶を啜っている。


「この部屋には毎日決まった時間にそこのテーブルに料理が並べられる、時間は朝から7時、1時、19時だ」

「ほう、それはそれは」


 木製の短足テーブルだ、この部屋はとても広くそれに比例して机もとても長いものになっている。

 卓上にはグラスが乗せられたお盆、様々な小さなお菓子が入った小皿、麦茶の入った冷水筒には氷が浮かんでいる。


「そして裏の方に神社がある山、右のほう走ってったら小さい町がある」


 指が向けられたガラス戸の向こう、その空を眺めてみると真っ青な一面に入道雲が膨らんでいた。

 外は、紛れもない夏だ。


「町、店とかある感じか?」

「銭湯とか、駄菓子屋」

「それは、人が経営してるのか」

「妖怪が経営してる、天狗とかそういう奴ら」

「奇々怪々だな」


 モデルやアイドルにはあまり馴染みのない僕だが、妖怪や幽霊といった魑魅魍魎には何かと縁がある。

 礼鳴もその縁の一筋だ。


「それで、まあ、この空間から出ようと歩いていったらいつの間にか周り回って出ようとした前の場所に戻っちまう」

「出る方法は、あるよな、もちろん」


 一応最悪の答えを覚悟しながらも、脱出方法は何かしらあると確信はしていた。

 しかしこの自信に、根源はなかった。


「この空間から出たいなら、この空間を作り出した原因の奴を探して」

「探して?」


 古子さんはわざわざ間近まで顔を近づけて、意味深に間をためた。わざとらしく唾を飲み込んでみた。

 喉の鳴る音が緊張を演出して、本当に緊張してきた。


「そいつの、悩みを暴いてやるんだ」


 人差し指を立てて、厳かにそう言い放った。


「悪趣味だなぁ」

「まあそれは思うけど、ともかく暴かんと出れないんだから仕方ない」


 少し温くなってきた麦茶を僕は飲み干して、グラスを机に置いた。

 それを見た彼女は間を置かずに麦茶を注いで、太陽の様な笑顔を見せた。また熱中症になりそうだ。


「容疑者は何名だ?」

「8人、そこからあとから来たお前ともう一人を抜いて6人だ」

「6人くらいなら、全員から悩みを聞き出せば解決なんじゃ?」

「嘘つくかもしれねえだろ」


 古子さんは少しバカにするようにして言って、それから鼻で笑った。

 先程の笑顔からは想像もできないほどの生意気さ、服装相まってなかなかユニークな人だ。

 僕は声を荒らげることもせず、冷静に可愛らしく聞いてみる事にする。


「どうして?」

「あのな、この空間は作り出したやつにとって理想の、最高の空間になってるんだ、なかなかの強い意志がないと自分から言い出さないだろうな」


 小皿から海苔せんべいを引き抜いてきて、包みを裂きながら古子さんは語る。

 僕も小腹がすいて、小皿から小さなキャラメルクッキーを選び抜いた。それを見て古子さんも、僕と同じものを小皿から選んだ。


「やけに詳しいな」

「常識だろ」


 僕がこれからは新聞紙にきちんと目を通そうと、そう思った歴史的な瞬間だった。

 そんな歴史的な瞬間に立ち会ったことも露知らず、あくびしている古子さんの牙を、僕はなんとはなしに眺めていた。


 その時、障子が開いて礼鳴が倒れるように部屋に飛び込んできた。渋々と言ったように古子さんが障子を閉じる。


「ねえね!」

「あ、おかえり」

「裏山見に行かない?」

「あたしはいいよ、あんたら2人で行ってきな、デートだデート」


 そういえば、僕がこんなところに来た理由はデートだったんじゃないかと思い出してきた。

 ひと夏の甘酸っぱい思い出的な、青春的な、そういったものを求めて来たんじゃないかと、自分を問い質して礼鳴に視線を向けた。


 美少女とのデート、しかもミステリーを添えて。これはなかなか楽しくなってきたんじゃないかと、内心ワクワクしてきた。

 そんな僕の興奮を優位に超える勢いと迫力で、礼鳴が声高らかにどこから取り出したのか虫網を掲げて。


「山にいるセミ全部捕まえてやる!」


 そうどこかで聞いたような妄言を吐いた。


「バカ野郎」


 僕にはそれしか言えなかった。

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