シャープペンシル

西陽クロ

シャープペンシル

 中学生になると学校でシャープペンシルをつかってもよくなる。


 小学校では鉛筆じゃないとだめだった。だからシャープペンシルは、もう子どもっぽい小学生じゃないんだと実感できる象徴的なアイテムで、中学校にあがるとみんなか鉛筆をやめてシャーペンをつかう。私たちはもう中学生のお姉さんになったんだって気分にさせてくれる。


 シャーペンには鉛筆と違っていろんなデザインのものがある。かわいいキャラクターもの、ラメの入ったもの、機能性重視の武骨なもの。おしゃれをしたい盛りの私たちにとって、シャーペンは個性を表すためのファッションアイテムでもある。でも好きなものを選ぶわけじゃない。あざとい女子はかわいいものをつかって男子に媚びる。カースト上位の女子より派手なものはつかわない。シャーペンはコミュニケーションツールでもあった。


 私も、中学校に入るとシャープペンシルを買った。私のキャラに派手なものは似合わないから、シンプルだけど少しかわいいものを。


 だけど私は今、鉛筆をつかっている。シャープペンシルはうまくつかえなかったから。芯を出しすぎてしまってポキポキと折れるし、少ししか出さないとすぐに減ってしまって何度もカチカチと押し出さないといけない。


 それに、シャープペンシルはなんだか楽しくない。鉛筆をつかっていると芯がすり減って文字に変わるのを手で感じられて、それがなんだか勉強してるって感じがする。鉛筆が短くなるとその分だけ鉛筆の芯が文字に変わったんだと思えて、それが好きだった。シャーペンだって同じはずだけど、なくなった芯がノートの文字に変わった感じはしなかった。


 だから、シャープペンシルは子どもっぽい小学生から垢抜けられるアイテムかもしれないけど、私は鉛筆をつかうことにした。つかいやすいと思わないのに大人ぶるためにつかうほうがよっぽど子どもっぽい。私はそんなに安直じゃないから、周りの目を気にせず自分の気に入ったものをつかうんですって大人のポーズ。わざわざそんな言い訳を用意してしまうのが周りの目を気にしてるってことだけど。


 ◇

 

 中学校で鉛筆をつかう子は異質な存在で、変わった子という枠に入れられる。仲良しの友達とは変わらないけどカーストは下がって、たまに当てこすりみたいなことを言われたりもする。それでもほかの部分でうまくやっていれば最下位まで落ちることはない。ハブられるほどじゃない。


 鉛筆をつかう子はほかにも何人かいて、私はその人たちを心の中で「鉛筆組」と呼んでいた。「鉛筆組」は大抵カースト最下位だった。真面目ちゃん、根暗、そんなレッテルがペタペタと張り付けられている。


 隣の席の浅野くんも「鉛筆組」の一人。浅野くんは休み時間に本を読むようなおとなしい男子で、その上鉛筆をつかっているのが根暗というイメージに拍車をかけている。浅野くんは馬鹿にしてもいい存在で、彼に投げつけられるいろんな言葉を私は隣で聞いていた。かわいそうだとは思わない、彼はきっと憐憫れんびんなんて求めていないから。ただ、それが私ではなく彼に向くことに少しばかりの罪悪感があった。それは私が彼を利用しているのが原因だから。


 浅野くんは抜けていて、いつも鉛筆削りを忘れてくる。そして私はこれみよがしに彼にそれを貸してあげる。根暗で間抜けな彼にものを貸す私は、その行為でお人よしのイメージを手に入れていた。私は「鉛筆組」のマイナスをカバーするのに彼を利用していて、それは我ながらずるいやり方だと思ったけど、忘れ物をするのを助けてあげてるんだからwin-winだよねと言い訳する。それに「鉛筆組」が嫌ならシャーペンをつかえばいいんだ。


 ◇


 今日も浅野くんは鉛筆削りを持っていなかった。彼の鉛筆の先が少し丸くなっているのを見て、私はわざとらしく声をかける。


「鉛筆削り、つかう?」


 彼は別に貸してほしいなんて思ってないのかもしれない。少しくらい鉛筆を削らなくても字は書ける。だけど私は押し付けがましく鉛筆削りを貸してイメージ向上に利用する。我ながらずるいと思いながら、それは私が「鉛筆組」でありながらカースト最下位に落ちないためには必要なことだった。


「ありがとう。借りるね」


 私の女子っぽい鉛筆削りを彼がつかっているのは私から見ても違和感があって、小学校の図工の時間に絵の具の筆を洗ったときの濁った水の色みたいな、ミスマッチで綺麗じゃないおかしな姿だった。


 みんなからもたぶん気持ち悪いって思われていて、だから彼は私から鉛筆削りを借りてつかうたびに馬鹿にされる。それでも彼は断ることもなくそれをつかって、「ありがとう。助かったよ」なんて言って返してくれる。助けてなんてない。鉛筆削りを貸すたびに、彼は馬鹿にされ私の評価が上がる。


 そんなことはたぶん浅野くんも気づいていて、なのに感謝するのは彼の無意識の優しさなんだと思う。


 きっと助けられているのは私のほうで、だからいつも少しばかりの罪悪感があって、断ってくれたほうが楽だと言いたいけど、断っても彼は私を無碍にした罪でクラスから裁かれるから、私から貸してあげようとする限り彼は利用され続ける。


 それでも文句を言ったりしないどうしようもなくお人好しなその行動が、私は好きだった。私は今日も彼を利用して、自分の立場を守る。それに、言葉だけでも感謝されるのは気持ちが良くて、罪悪感を覚えながらも彼の優しさに甘えていたかった。


 隣に座っていれば、ノートの字も見える。浅野くんの書く字が好きで、それはやっぱり優しい字だった。


 みんなは彼を馬鹿にするけれど、私はきっと、彼が好き。でもそれを態度に出したり誰かに言ったりはしない。「鉛筆組」の私が今のカーストを保つためには必要なことで、それを捨ててまで駆け落ちみたいなことをする勇気はない。私の好きは、その程度でしかない。それに、今のようにしていれば私は鉛筆削りを貸すたびに好きな人から感謝してもらえる。


 利用している罪悪感と感謝される気持ちよさのミックスは、炭酸の刺激と甘さが混ざりあったコーラのようにたまらなく甘美で、私はその心地よさを手放せずにいる。


 ◇

 

「ハル、さっきも浅野に鉛筆削り貸してたけど、浅野に色々貸すのやめたら?」

 

 リーダー格の女子にそう言われたとき、嫌な感じがした。たぶんこれは、警告。


「うーん、でも鉛筆つかってるの私くらいだし、困ってるのほっとくのもどうかなあって」


 一応、自分のキャラをつかってそれらしいことを言って優しさに見せかけた抵抗をしてみるけど。


「鉛筆つかってるからって浅野なんかに優しくする必要ないんじゃない? 持ってこないのが悪いんだからほっとけばいいんだよ」


 やっぱり、あまり意味はなかった。


 カーストに敏感な私は、これ以上浅野くんになにかを貸すことがどういう意味を持つか、はっきりとわかる。つまり、カースト最下位にならないためには私はもう彼に鉛筆削りを貸せないし、甘美な心地よさは手放すしかない。


 きっと浅野くんはそれでも困らないだろう。都合のいいやり方をしていた報いがやってきただけ。私は選ばされる。カーストか、快楽か。私の答えは決まっている。いつだって、それが私だ。鉛筆をつかうのをやめなくていいなら、浅野くんとの「鉛筆組」という共通点は、カーストを捨てなくても持ち続けられる。それは悪くない話だった。


 だからあっさりと言った。


「まあそうかも。別に貸す義理もないしね。やめようかな」


 簡単な選択だったはずなのに、口から出したその言葉と共に、何か大事なものを手放した気がした。もうあの心地よさは戻ってこないんだという喪失感。どこまで行っても自分のことばかりの私のズルさは、優しさとは真逆の位置にあるもので、カーストを捨ててまで私に優しくしてくれた浅野くんは、優しいだけじゃなくて自分の芯を持っているんだと思う。鉛筆の芯は折れたりしなくて、でも私の芯はシャープペンシルのように簡単に折れるし、見た目はそのままで芯を入れ替えてつかい続ける。


 私はシャープペンシルで、浅野くんは鉛筆だと思った。


 私も鉛筆になりたいと思った。


 ◇

 

 次の日から私は浅野くんに鉛筆削りを貸さなくなった。


 「貸してほしい」と言われることもなくて、やっぱり貸してあげる必要なんてなかったんだなってわかった。本当はわかってたことだったけど、現実になると自分のこれまでの押し付けがましさが嫌になった。そこにあるのは罪悪感だけで、炭酸水を飲んだみたいに甘さのない痛みだけがあった。


 浅野くんは何日かに一回鉛筆を削った。ごく普通の、小さな青い鉛筆削りだった。私もそれに合わせて鉛筆を削るようになった。何も言わずに淡々と鉛筆を削る、その時間が楽しみだった。同じものを共有している気がした。でも、それも長くは続かなかった。


 浅野くんは「鉛筆組」をやめてしまった。


 その日、浅野くんは鉛筆も鉛筆削りも持ってきていなくて、代わりにシャーペンをつかっていた。持ちやすいとかって宣伝されてるようなちょっと太くて飾り気のないもの。今の浅野くんは、鉛筆ではなくシャープペンシルに見えた。私と同じように、芯を入れ替えられるシャープペンシル。そんな浅野くんを、もう好きとは思わなかった。鉛筆じゃない浅野くんは、魅力的ではなかった。


 ある日、授業中に浅野くんはノートに引っかき傷みたいな跡をつけていた。浅野くんはシャーペンの芯の予備を持っていなかったようで、芯がなくなったようだった。そんな様子を見ていたら、不意に浅野くんが声をかけてきた。


「シャーペンの芯持ってないかな」


 持っているはずがなかった。だって私は「鉛筆組」だ。


 そんな当たり前ことを言うと、彼は少し残念そうだった。その顔には、少しだけ以前の優しさが見えた。


 どうするのかと思ったら、彼はペンケースから鉛筆を取り出した。持ってきていないと思ったのに、奥には鉛筆が確かに入っていた。だけどその鉛筆にはキャップが付いていなくて、芯が折れてしまっていた。


「鉛筆削り、貸してくれないかな」


 そう、言われた。リーダー格の子に言われたことが気になったけど、私は初めて浅野くんから頼まれたそれを断らなかった。利用している罪悪感もなくて、オレンジジュースみたいに甘酸っぱい味がした。それはコーラとは違う心地よさだった。シャープペンシルの芯を持っていれば、それを味わえるのかもしれないと思った。たくさん味わいたいと思った。

 

 ◇


 だから私も「鉛筆組」をやめた。


 シャープペンシルは相変わらずつかいにくいけど、何日かに一回、浅野くんから「シャーペンの芯持ってないかな」と言われるようになって、そのたびに私はオレンジジュースの心地よさを味わえた。


 私も浅野くんもシャープペンシルをつかうのが下手だったから、何度もポキポキと追ってしまって、鉛筆を削るのと同じくらいのペースで芯を補充することになった。私が持っていた一箱の芯は、すぐになくなってしまった。


 それに浅野くんにシャープペンシルは似合っていなかった。私は浅野くんに興味をなくしていたのに、それでも鉛筆の浅野くんが恋しかった。シャープペンシルの浅野くんは、なんだか無理をしているように見えた。無理をして、たくさん心を折ってしまっていると思った。やっぱり浅野くんには鉛筆であってほしかった。


 そして少しだけ、勇気を出した。


「ちょっと鉛筆貸して」


 借りた鉛筆で鉛筆で付箋に書くのは私の気持ち。浅野くんの鉛筆の黒鉛を、私の気持ちとして文字に変える。これを伝えるのは、鉛筆じゃないと嫌だと思ったから。


『もうシャーペンの芯持ってない。鉛筆つかいなよ。私も鉛筆つかう。鉛筆をつかってる君はいいなって思う。シャーペンつかってる君はいいなって思わない』


 それを渡すと、彼は嬉しそうな、そしてどこかホッとした顔で「そうする」と言って、その付箋を大事そうに、宝物みたいに自分のノートの最後のページに貼り付けた。私はちょっと恥ずかしかったけど、勇気を出して良かったなって思えた。ジュースでは例えられない、不思議な、本当に不思議な味がした。それはきっと、恋の味。


 私が鉛筆削りを貸さなくなったから彼は「鉛筆組」をやめたのかもしれない、なんてのは思い上がりだろうか。浅野くんは私が鉛筆削りを押し付けるとき、いつも少し嬉しそうだった。貸してほしいならそう言えばいいと思うけど、私がコーラの心地よさを感じるみたいに、浅野くんも私から声をかけられることに心地よさを感じていたのかもしれない。


 付箋をノートに貼り付けた彼も恋の味を感じてたかもなんて、都合のいい妄想かな。そう思っていてほしいとも、妄想であってほしいとも思う。私が書いた文字を特別に扱ってくれたことで十分だと思った。


 ◇

 

 そうして私たちは再び「鉛筆組」に復帰した。


 「鉛筆組」に戻ってからは、私から鉛筆削りを貸してあげることもあったけど、浅野くんのほうから頼んでくることも増えた。リーダー格の子に言われたことを無視したからカーストから脱落したと思ったけど、やっぱりかわいそうだから貸してあげるとか言ったら「ハルってやっぱりお人よしなんだね」なんて言われて、それだけだった。私も自分の芯を通して、少しだけ鉛筆になれた気がした。お人よしキャラを利用しているから、半分はシャープペンシルだけど。


 私は変わらず彼を利用していて、そこには罪悪感もあるけど、浅野くんのほうから頼んでくるときにはそれはない。コーラとオレンジジュースが一緒に味わえるようになった。それはあまりにも甘美で甘酸っぱくて、味わったことのない心地よさだった。


 「鉛筆組」に戻った浅野くんは優しい鉛筆の姿に戻っていて、前よりもずっと魅力的だった。少しだけ鉛筆になった私は、浅野くんのことを好きだとはっきりと思った。けれど、半分シャープペンシルの私は、この気持ちを誰かに言おうとは思えなかった。


 好きってはっきり言える日に、私はシャープペンシルから鉛筆になるのだろう。


 そのとき私は、自分の気持ちを、自分の鉛筆で文字に変えようと思う。付箋じゃなくてちゃんと自分で選んだ便箋に、私という鉛筆で、好きって気持ちをしっかりと焼き付けたい。浅野くんは、それも大事にしてくれるだろうか。してくれればいいなと思う。そのためには、まずは私が鉛筆になるところから。


 きっと遠くないうちに、私は鉛筆になりたい。


 ◇


 シャープペンシルは大人のアイテム。外見を着飾ってどれだけつかっても同じ見た目のままつかえるそれは、他人からの見え方を自分でつくれる大人の振る舞い。鉛筆の恋の先には、シャープペンシルのような恋があるのかもしれない。それは今の私が望むものではなくて、私はやっぱり鉛筆になりたいけれど、いずれシャープペンシルの恋もするのだろう。


 だけど、私はまだ鉛筆の恋がしたい。シャープペンシルはうまくつかえないから。

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