第27話 気持ち分かる。だけどいまは豪に入れば郷に従え
空がこんなにも青い。清々しい朝とはきっとこんな日のことを言うのだろう。
朝靄が下りた空気を大きく吸い込み寝ぼけた眼を擦る。
「朝か……」
「さあ、あんた朝ごはんが出来たわ。食べてちょうだい」
まな板のような皿の上に焼かれた骨付き肉とサラダが盛られた器が床にテーブルに置かれていた。
アデルの指には包丁で切ったのか包帯が巻かれていた。
きっと彼女は料理などやったことがないのだろう。
丸太椅子に座ると隣にはすでにヤンカさんが座っており、料理に手を伸ばしていた。
骨付き肉を取るとクンクンと匂いを嗅ぎはめる。
「アデルさん? このお肉ちゃんと火が通っていないみたいなのだ。もしかしてヤンカに生を食わせるつもりなのか?」
「え? あれ、おかしいわね。ちゃんと焼いたはずなのに。ていうかあんた匂いでわかるのか?」
「ふぅ~、まったくこれだから箱入り娘は。肉を焼くこと一つできないのだー。ダイクこれは手がかかるのだー」
ヤンカさんは肩を竦め、困ったものなのだと視線を向けてくる。
「わ、悪かったよ」
アデルはしぶしぶ謝っていた。
森の住人が朝の目覚めと共に鳴き声を響かせる時間、アデルは掃除を始めていた。その隣にヤンカがトコトコと近づいてきた。窓辺に鋭い視線を送っている。
「アデルさん? ここ、掃除はしたのか?」
「そこはもうやったわ」
「おやおや、これはたまげたなのだ」
ヤンカさんが窓辺の木枠を指ですーっと撫で、指の腹をアデルに見せる。
「ほら、こんなに」
指の腹に微かに埃がついているようだ。
「そ、そこまできれいにせずともっ」
「あー、これだから箱入り娘は困るのだー。もし来客があって神経質なお客だったらこの家は掃除もろくにできない嫁を娶ったのかとダイクの評判を落としてしまうのだー。そこが分かってないのは致命的なのだー。なぁダイクぅー?」
「ぐぬぬぬ」
アデルは我慢しているようだ。
その後アデルは川で洗濯をした衣服を庭で干していた。そこにトコトコとヤンカがやってきた。
「……こ、今度はなんだ?!」
ヤンカが干している洗濯物に視線を向け、肩を竦めアデルに呆れたような笑みを向けた。
「アデルさん? これじゃあ乾いたあとに皺が残るのだー。それともダイクに皺だらけの服を着せるのか!? それじゃあダイクは集落の笑い者なのだー。ああ、嘆かわしいのだ最近の若者は洗濯一つできないのだー」
ヤンカさんが青天の霹靂だと言わんばかりに天を仰いだ。
その後、二人は視線をバチバチとぶつけ合っていて怖かったです。
「ダイク! こんな女とは早く別れるのだ!」
「あんた! この女なんなんだい!」
ぼくに嫁と姑ができました。
〇〇〇
次の日の朝、ぼくはアデルとヤンカさんから逃げるようにオーク達の集団につき従っていた。
その先頭には、このオーク達の頭である浅黒肌のオーク、ギースがのし歩いていた。
これから狩りをするということである。
「いいか新入り。森はお前が考えているような優しいもんじゃねー。一瞬の油断が命とりだ。それどころか兵がとちりゃ隊を巻き込む」
どこかで聞いたセリフをぼくの前を歩く若いオークから聞く。
「あ、は、はあ……」
隊は無言で森を練り歩き張りつめたような空気が伝わってくる。前を行くオークが獲物の微かな気配を感じとったのか、ギースに何事か耳打ちし、指示を出しはじめる。
各々が慣れた動きで散開した。
若いオークがぼくを振り返ると顎をくいっと動かし合図を送ってくる。
その合図に頷きぼくもまた後についていく。
森の奥から嘶きが上がったかと思うと地響きが近づいてきた。
木々をなぎ倒し現れたのは頭に大きな角を生やした巨大な猪のモンスターだった。
「出たぞ一角猪だ! 射てー!」
声に応えるように草葉の陰に隠れていたオーク達が槍や矢を放つ。
ぼくもそれに倣い持っていた矢を放つ。
レベルが上がっていたからか素人にも関わらず矢はそれなりに真っ直ぐに一角猪に向かっていった。
槍や矢がぐさぐさと一角猪に突き刺さっていく。
猛り狂った猛獣は群のリーダーを見極めたかギースに向かって突進した。
「仕留めそこなった!」
「なーに見てろ新入り」
その勝負受けて立つと言わんばかりにギースは一角猪の進路に立ちふさがった。
「むんっ――」
一角猪がギースに激突する。
激突の衝撃に砂埃が舞い空気が振動する。
砂埃が収まると、ぼくは目を驚愕に見開いた。
そこには一角猪の体当たりをギースは両腕で掴み抑えていた。
「……す、すごい」
「むんっ」
ギースが一角猪の角を掴み力任せに捻り倒した。巨体が地面に叩きつけられる。
オーク達から歓声が上がる。
「さすが頭だ!」「ギースの頭は最強だ!」「ギースの頭はなんたってアダマントンの体当たりだって止めたって伝説があるからな!」
ギースの武勇伝が飛び交う。
「……アダマンとん!? ちょ、その話もっと詳しく――」
「お前ら! さっさと止めを刺せ!」
「頭の命令だ!」
そんな中ギースは何事もなかったかのように指示を飛ばす。
「あっ、ちょっと――」
オーク達が一斉に動き一角猪に次々と槍を突き立てていく。暴れていた四肢が動きを止めた。
そう思った瞬間、一角猪ががばりと起き上がり刺さっていたはずの槍や矢を身震い一つで降り放ち、雄叫びあげオーク達を吹き飛ばし逃げ去っていった。
「くそっ、またかよ!」
「この武器じゃやっぱ仕留められねーよ」
オーク達は力尽きるようにその場にへたり込み愚痴を溢していく。
「泣き言は聞かない。獲物が取れなければ集落のみなは餓えて死を待つだけだ」
「槍が……いくらあの猪の体皮が分厚いといってもあんなにあっさり振り払われるなんて」
はっとオークの主婦さんの言葉を思い出した。
「ちょっとその槍見せてくださいっ」
「あ? なんだよ。おいっ何すんだそれは大事な――」
ぼくはオークの槍を掴みその刃先に視線を集中する。
刃先は刃こぼれでボロボロであった。
「やっぱり――」
「おいっ、放せよ。こりゃ大事な槍なんだ」
「でもそんな刃こぼれしてる槍じゃまともに狩りなんか無理ですね」
ぼくの言葉にあからさまに不快感をあらわにするオークは舌打ちをし槍を引く。
「そんなことは言われなくてもわかってんだよ! でもどうしようもねー俺たちは武器や道具の扱いに長けているが、その手入れはからっきしなんだ。3年前までは――」
「浅層に住んでいた木こりに頼んでいた?」
「……なんでお前がそんなこと知ってんだ」
「オークの主婦さんに聞きました」
「知ってんなら言うんじゃねーよ」
ぼくはため息を一つ吐き、腰袋に手を入れた。
「Do itYourself……からっきしなんて言い訳せずにやってみて下さい。戦士なら自分の武器のメンテナンスも面倒見るのは当然です。貸してください」
ぼくは腰袋に手を突っ込んだ。
『スキル【ホームセンター】を発動』
記憶の棚を展開し目的の物を選択する。
「yes」
ぼくは腰袋から1本のヤスリを取り出し、抗議の声をあげるオークの槍を半ば無理矢理に奪い取る。
槍の刃先にヤスリを当て、引く。シャッと擦る音を立てる。
「おいっ、何すんだっ――」
オークの抗議を手で制する。
何度かそれを繰り返し、刃先を返し問題がないかじっくりと注視し指を這わせる。
「……よしっ。さあ出来ました」
ぼくは槍を手渡す。オークは疑わしそうに槍の穂先を見つめ、とりあえず手近な木に視線を向けた。槍の柄を持ち切付ける。
スパッと豆腐でも切ったようにほとんど抵抗を感じることもなく木を切ってしまう。
「……なっ!?」
これはぼく自身も驚き、いくらギリフォンの顎を元にして作られた槍だとしてもこれ程の鋭さは想定していない。
「す、すげー! 槍を生き返らせちまった!! ダイクお前すげーな!」
「あ、いや、これはぼくが凄いのではなくて、このヤスリのお陰です。これでちょっと刃を研いであげれば簡単に切れ味を取り戻せるんですよ。いやでもこれは切れすぎ?」
「で、でも使いこなすには技術が必要だろ?」
「そりゃ完璧に仕上げようと思えばそれなりにコツが必要ですけど、研いであげるだけだからそんな特別な技術は必要ないですよ。これ差し上げますからやってみて下さい」
「く、くれるのか!?」
「Do itYourself。自分でやる、です」
「いたぞ!!」
どこからか声が上がった。
はっと顔をあげると目前の木々が爆発したように突き破り一角猪が現れた。
「――でっ、でかい!」
「か、頭! こっちだー!」
若いオークが叫ぶが時間がない。
「やるしかありません!」
ぼくの言葉にさすが若いながらオークの戦士。槍をすぐさま構える。
「ぼくが奴を引き付けます。隙ができたらその槍で」
「頼んだぞ。なーにこの槍の試し斬りにはちょうど良い獲物だ。武器が生き返れば負ける要素は何一つない」
腰のホルダーからインパクトドライバーを引き抜き、一角猪の注意を引き付けるためにトリガーを引く。
森にドリルが回転する音が木霊する。
「こっちだ!」
音に反応した一角猪がこちらをギロリと睨みつける。その足が土を掻く。
どうやら標的を決めたようだ。
気分はスペインの闘牛士ならぬ闘猪士だ。
ぼくは背後をちらりと見る。
勝負は一瞬だ。
「さあかかってこい!」
一角猪が雄叫びを上げ突進してきた。
腰袋に手を突っ込む。
『スキル【ホームセンター】を発動』
脳裏に棚を展開し、選択する。
「yes」
腰袋から抜き放つ。
一角猪の視界に2メートル角の青のシートが広がる。
取り出したのはブルーシートだ。
「猪は急には止まれない」
突然視界を失った一角猪はぼくの背後にそびえる大木へと激突した。
ズウンと大木が振るえ猪は一瞬動きを止めた。間髪いれず上から槍を構えたオークが落ちてきた。
「上出来するぜダイク! 止めだー!!」
一角猪の頭部に槍が深く突き刺さる。
森が息を止めた。
再び呼吸が再開されるように一角猪の膝が崩れ、地面にその巨体を横たえた。
○○○
「……疲れたー」
「たくさん遊んでお腹すいたのだー」
オークにあてがわれた住居にある椅子に腰を下ろすと自然と言葉が出た。
「おかえり! ダイク今日はすごい活躍だったらしいじゃないか。それに一角猪なんて大物久しぶりだよ。集落のみんなも喜んでいるぞ。今日はご馳走だ」
そこにはアデルが甲斐甲斐しくエプロンを身に着けぼくの帰りを待っていた。
テーブルの上には美味しそうな料理が並んでいる。
指は包帯だらけである。きっと見えないところで努力したのだろう。
鼻孔に漂ってくる香ばしい匂いに思わず生唾を飲み込む。
「こ、これは美味しそうだ」
ぼくは丸太の椅子に着席し、テーブルに並べられた料理に釘付けになる。
「ふんふん。今日のご飯はまあギリギリ合格点のようなのだ」
「そうかい? じゃあ夕飯にしようか。今日は腕によりをかけたからねきっと美味しいはずさ。ただ、その前に――」
アデルが満面の笑みからすっと目を細め、ダイクの隣に視線を移す。
一瞬、アデルが戦士に戻ったような眼つきになった。それは彼女が戦士時代に培った勘のようなものだろう。
彼女はダイクの隣に陣取るヤンカの襟首をむんずと掴むとずるずると引きずっていく。
そして、外にぽいっと猫耳美少女を虫でも外に放り出すように投げ捨てられた。
ヤンカさんは青天の霹靂のような顔でアデルを見上げていた。
そして入口がさっと閉じられる。
「……なにするのだぁ!」
入口は葉っぱな為にすぐに激怒したヤンカさんが舞い戻ってきた。
再び、嫁と姑のバトル勃発か? そう思った瞬間、入口の葉っぱが開いた。
「おうダイク邪魔するぜ……なんだ、修羅場か?」
顔を出したのはあの若いオークだった。
「あ、えー、一緒に戦った……」
「ルーク、ルークだよ。そういや名乗ってなかったか?」
「父ちゃん!」
ルークの後ろに子供のオークがひょこっと顔を出した。
「分かってる。分かってるよ。ちょっと待ってろ」
ルークは頬をぽりぽりと掻きぼくに申し訳なさそうな笑みを浮かべながら、子供から手渡された物をこちらに差し出してきた。
「あ、あのよ、これ」
その手にあるのは木彫りの人形のようだった。その腕がポッキリと折れている。
「父ちゃんが踏んづけて壊したんだ! 大事にしてたのにひどいよ父ちゃん」
「だ、だからこうやってダイクのとこに直して貰いに頭下げに来たんじゃねーかっ、何度も謝ったのに文句言うんじゃねー!」
なるほどそういうことか。
事情を察した。ぼくは心中でため息を一つ吐き、しょうがないなとその人形を受け取った。
「す、すまねえ。なおるか?」
「くっ付ければ良いんですよね?」
「できるの!?」
ぼくは腰袋に手を突っ込みスキルを発動させる。取り出したのはおなじみの黄色いパッケージの木工ボンドだ。
キャップを取り、折れた腕の面にボンドを塗っていく。そして折れた部分にくっ付ける。
「直ったのか!」
「まだです。このまま引っ付けたまま1日は動かさずに放置して下さい。絶対に動かさないで下さいね。はい、今度はお父さんに踏まれないようにね」
子供が壊れないようにとそっと大事そうに手のひらに受け取る。
「ありがとうダイク兄ちゃん!」
屈託のない笑顔でオークの子供が言った。
瞬間、子供の頃の記憶が脳裏を過った。
そういやぼくも子供の頃この子のように超合金のロボットを壊されて近所のホームセンターに泣きながら持ってったんだ。
そこでホームセンターのお兄さんが接着剤で壊れた腕をくっ付けてくれたのを思い出した。
その時、将来ホームセンターで働こうと思ったんだよな。
あのお兄さんのように頼りにされる大人になりたいって。
ぼくは喜んでいるオークの子供を見て、悪くないそう思った。
ホームセンターで得られると思っていたこの充足感をぼくはこの集落で感じているんだ。
○○○
広場の中心。煌々と焚き火の灯りがそれを囲うオーク達の神妙な顔つきを照らし出してい。
オークの1人が言った。
「お頭。ダイクがいれば先祖代々の我らの棲みかを取り戻すことが出きるかもですぜ!」
その言葉にオーク達の視線が和の中心である頭のギースに集まった。
オーク達は彼の言葉を待った。
「明日。この群の頭であるこのギースの言葉を伝える」
にわかに沸き立つオークの戦士達。
ある者はその手に持つ槍を掲げ、ある者は怯えるように目を伏せ、ある者は家族の顔を思い浮かべた。
そして夜が明けた。
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