第23話 正念場

 縦横無尽に這った木の根を飛び越えながら森を疾走する。


 ギリフォンが大木を切り倒しながらこちらとの距離を詰めてくる。

 切り倒された大木がまるでドミノ倒しのように次々に倒れ、ぼくを踏み潰そうと迫ってくる。

 それをなんとか寸前で避け続けていく。


 一瞬でも気を抜けば、倒れてくる大木にこちらに来る寸前の記憶をぶり返させ、心臓を握りつぶされるような感覚に陥ってしまう。


「また下敷きになんかなってたまるかっ」


 尋常じゃないそのハサミの驚異を背に感じ身震いしながらも心が折れてしまわぬようにぼくは腕に抱くヤンカさんに話しかけた。


「ヤンカさん、大丈夫ですからねもうすぐ安全な場所まで辿り着きますから」


 そうヤンカさんに呼びかけることでぼくはきっと逃げ切れる生き残れると自分に暗示をかけるように言い聞かせていた。


「大丈夫、ヤンカは、ダイクを信じているのだ」


 ヤンカさんは眉をへの字に弱々しく笑みを浮かべそう言った。


「……っ」


 時間が経つにつれヤンカさんの顔が青ざめていく。

 ケガがひどくなっていることが伝わる。ぼくに心配を掛けない為に痛みを我慢し無理やり笑顔を作っていることがわかる。


 早く安全に回復できる場所に、ギリフォンから遠ざからなきゃっ。


 どうにかこの状況を打破したいと考えようとするが、すぐそこまで迫っている死の恐怖にどうしても考えが散って浮かばない。

 脳裏に浮かぶのはあのハサミによって胴体真っ二つされる2人の姿だけだ。


 逃げなければ、逃げ続けなければと恐怖がぼくを急かしてくる。

 ギリフォンの打ち倒してくる大木を寸前で避け、地面に盛り上がる木の根に躓かぬように神経を尖らせる。


 幸いにしてギリフォンはいまだ追いつけないことにイラついているのかハサミで大木を切り倒す前に前進しようとして大木に体当たりをかましている。


「やっぱり森に逃げ込んだのは正解だ。見て下さいヤンカさん少しずつですけどギリフォンとの距離がひらいています」


 このままギリフォンが怒り狂って暴れてくれればそれに乗じて、もしかしたら逃げ切れるかもしれない。


 そんな考えが一瞬過り、注意がおろそかになった。

 次の瞬間、森の奥から空気を切り裂く音と共に飛来した何かが頬を掠めた。


「――っな?!」

 

 カッと木に何かが刺さる音が聞こえる。

 同時にぐにゅりと何かに足をとられ視界が頭上を映した。


「――っ!? しま」


 一瞬視界に入った足元には、木から落ちたであろう熟した果物を踏んでしまっていた。


 ふっと一瞬、景色がスローモーションに映る。ギリフォンに切り倒された木がちょうど真上に倒れてきていた。


 このままじゃ腕に抱えたヤンカさんもろとも下敷きになってしまう。

 ぼくはありったけの力を体を回転させることに使った。ぐるっと回転し地面に背を打つ。その衝撃に口から息がきゅうっと漏れる。


 瞬間、ずしんと隣に大木が地面に跳ねる。大木はギリギリで避けられた。

 衝撃にヤンカさんがぼくの体で跳ね、転がる。


「――ヤンカさんっ!」


 なんとか大木は避け窮地は脱したが、ヤンカさんは投げ出された恰好のまま横たわりぴくりとも動かない。


 慌てて駆け寄り抱き起こし呼びかけるが、彼女の顔は真っ青になり心なしか唇も青く変色している。流れる血が邪魔して傷の深さは分からないが、これは思ったより深手であったことに今更ながら気づいた。


 どうする!? どうすればいい!?


 がさりと音がする。聴覚が何かが飛んできた先から複数の気配を、森の奥から感じとる。


 別のモンスター?

 はっと頬に伝う生暖いものに触れる。

 

「……血だ」


 先ほど音がした木を見ればそこには矢が刺さっていた。

 

「……まずいぞ」


 目の前には切り倒した大木からギリフォンが姿を覗かせている。

 また背後からは別のモンスターの気配を感じている。


 ――挟まれた。


 終わった。


 そんな言葉が脳裏に浮かんだ。背後から迫ってくるモンスターがどれだけ強いのか未知数だが、少なくとも目の前の敵は化物である。

 ぼくなんかで敵う相手じゃない。

 じゃあどうするんだ? 戦うことも敵わない。逃げることも叶わない。

 他に手は? この状況を打破する手は? 何かないのか?


 ここがぼくの異世界人生の終着点なのか?

 

 その短すぎる人生にぼくは悔しさとともに涙が流れてきた。これからこの異世界で自由に自分の人生を満喫するはずだった。

 ヤンカさんと出会い、他人を信頼することを知った。これからぼくはこの異世界でDIYで新しい人生を歩むはずだった。


 ぼくは腕に抱いたヤンカさんを見る。

 いざという時はわが身を呈してぼくなんかを救ってくれる食い意地のはった彼女。せめて彼女だけでも助けたい。

 視線に気づいたのかヤンカさんが辛そうに目蓋をあける。


「ダ、ダイク、ヤンカは後で追いつくから、ヤンカを置いて逃げるのだ」


 彼女も森の奥の気配を感じ取っているのか力なく笑う彼女はぼくの目から流れる涙をその手で拭いながら言ってくる。

 この人はきっと自分でも気づかないくらい優しい人なんだ。


「置いてなんかいかない! 一緒に逃げるんですよ!」


「分かっているのだ。だからダイクが先に逃げて、ヤンカは後で逃げるのだ。なんたってヤンカはベテラン冒険者なのだ。これくらいの危機、今まで何度となく乗り越えてきたのだ。言い方は悪いけどダイクはまだ経験が少ないから足手まといなのだ。ヤンカ一人だったら逃げ切れる。後で合流すればいいのだ」


 こんな状況でそんな嘘が通じるわけないじゃないか。


「こんな時に変な自己犠牲ださないでくださいよ! なに、バカなこと言ってるんですかそんなの全然ヤンカさんらしくないっ。いつものヤンカさんは死ぬ間際でさえ食べ物のことを考えて、他人の安否なんかに頭の容量を使うわけもない、そんな自由奔放キャラなんです!」


「いや、ダイク。さすがにヤンカもそこまで食い意地――」


 ぼくは拳を握りしめる。

 まったく。


「ヤンカさん。ぼくにとってヤンカさんは黒曜蜂の蜂蜜を分けてくれなかった食い意地のはった友人です。ぼくは友人を死なせはしない。少し待っていてください。あいつ今からぶっ飛ばしますから」


「……ダイク~?」


 ヤンカさんはまだ根に持ってたの? といった苦虫を噛み潰したような瞳で見つめてくる。

 ぼくはニコリと笑み、そんなヤンカさんから視線を逸らし、大木を切り倒し金切り奇声を上げ近づいてくるギリフォンに向かって立ち上がる。


「さあ、――正念場だ」


 腰袋のホルダーに下げられたインパクトドライバーを抜き取った。

 まずはギリフォンを倒すことだけを考える。そして、ぼくにできるのはDIYだ。

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