第22話 丘の怪物

「ダイク、あれはやばい奴なのだ……」


「あれは、見て、分かります」


 クワガタのハサミのような鋭い形をした頭を持つ獅子のようなモンスターがその背に生えた翼を地面に擦り付けていた。


 さっきの振動はどうやら奴が仰向けになった拍子のものだったようだ。


「なんか、砂遊びでもしてるようですね」


 などとぽろっと余計な一言を口に出すくらいには動転していた。

 声に反応したわけではないだろうがハサミの下についている眼がぎろりとこちらを睨んだ。


 ぼくらは蛇に睨まれたカエルのように、圧倒的な恐怖に震え上がるままその場に硬直していた。先ほどのカメレオンなど比じゃない圧迫感が肌にビリビリと伝わってくる。


「ど、どうしましょうヤンカさん」


「ダイク、あれはギリフォンというグリフォンの亜種なのだ。討伐推定レベル30のチョー大物なのだ。絶対に戦ってはダメなのだ!」


「それは本能でわかりますけど、逃げさせてもくれなさそうなんですけど。見て下さいあの眼」


 ぼくは助けを求めるようにヤンカさんに視線だけ向けると、猫耳美少女は渋柿を食ったような困った顔でこちらを見ていた。


 ぼくはなるべく目前の敵を刺激しないように視線をそっと戻し、心中でどうしようと泣き叫んだ。


 あれは勢いなどでどうにかできる相手ではないのが金づちで殴られたように本能的に分かっていた。


 砂遊びをするように翼を地面に擦り付けていたギリフォンがむくりと立ち上がり咆哮を上げた。

 

「「――っ」」


 閉じられた翼がばさりとひらくと、羽についていたであろう砂粒が開戦の合図のように宙を舞った。

 ぼくらに緊張が走る。


 ――来るっ。


 大きくひらかれた翼が羽ばたき顔をだしていた太陽を覆いつくす。

 ギリフォンの影はぼくらの頭上へと到達するとホバリングするようにその場で止まった。

 立ちすくむぼくらに標準を合わせるように眼が向けられると羽ばたきとともに急降下した。


 稲光のような雄たけびとともに飛翔するギリフォンのその圧倒的な存在感に飲まれこの場を飛び退こうとする思考さえも吹き飛ばされる。

 本能が叫び命の危機を訴える。


「ダイクっ!」


 はっと我に返ったときにはぼくは真横に吹き飛ばれていた。ぐるぐると転がる視界に地面が爆発したように土埃が広がる。


 勢いが落ち体の自由を取り戻すと、反射的にさっきまでいた場所に視線を向ける。


 土埃がおさまるとギリフォンの頭が地中にめり込んでいるのが目に入ってきた。

 背筋に悪寒が駆け抜ける。

 もしヤンカさんに突き飛ばされずにあのままあの場所に立っていたら確実に串刺しにされていた。


「あんなのとどうやって戦えば……っヤンカさん! 無事ですか!?」


「だ、大丈夫、なのだっ」


 声が聞こえてきた。その声にぼくは安心する。土埃で姿こそ見えないが無事であるようだ。

 ヤンカさんのおかげで串刺しにされずにすんだ。


 しかし、森の中層に入っただけであんなモンスターと出くわすなんて、この先いったいどんなモンスターが待ち受けているのか考えるだけで億劫になっていく。


 ただ、今は億劫になっている暇もない。

 本能がここから逃げ出せと叫ぶ。

 とにかくヤンカさんと合流だ。


 ぼくは声のした方向に走りだす。土埃がおさまり視界が明けていく。

 その先には蹲るヤンカさんの姿が映った。


「――っ!」


 足から血が流れ苦悶に顔を歪めている。

 ぼくの身代わりに彼女はギリフォンの攻撃を受けていたのだ。

 蹲る彼女に駆け寄る。


「ヤンカさんっ」


「だ、大丈夫なのだ。かすっただけなのだ」


 彼女の太ももはギリフォンの刃に裂け、どくどくと血が流れていた。


「これのどこかかすっただけなんですか。ひどいケガじゃないですかっ」


 一刻も早く手当しなきゃいけない。


「ヤンカさん回復の魔法は自分には使えないんですか?」


「使えるのだ。でも、この状況じゃ気が散って集中できないのだ」


 ぼくらは土埃の中心に視線を向ける。すでにギリフォンは地面から頭のハサミを引き抜き、再びぼくらをターゲットとして視界に捉えていた。


 あいつから離れなきゃいけない。

 ぼくは胸が抉られる痛みを振り払い声を出した。


「歩けますか?」


「当たり前のだ。これでもヤンカは歴戦の冒険者なのだ!」


 その強がりを言えればまだ余裕はあると少しだけ安心する。

 だがダメージは大きいようで、一歩足を進ませるごとにヤンカさんの顔が苦悶に歪む。

 この強がりをどこまで僕自身も持たせることができるのかは、立ちはだかる敵を前にしては疑問だった。


 ギリフォンは再び翼を羽ばたかせ飛び上がった。


「ヤンカさんちょっと失礼します」


 ぼくはヤンカさんを抱きかかえた。


「――ふぇ?」


「こっちのほうが早いです」


 いわゆるお姫様抱っこだ。


 レベルが上がっているために腕にかかる負荷は特に感じない。

 逃げることに全力を注げばなんとかなるかもしれない。

 森に逃げ込めば木々が邪魔をし追ってこれなくなるかもしれない。


「ちょっ、ダイクダイクっ、こ、これはさすがに、ちょっと――」


 猫耳美少女はギリフォンに受けたダメージの所為で混乱してるのか顔を真っ赤にさせ目をくるくると回し動転しているようだ。

 

 自体は一刻を争う。


「行きますっ」


 ぼくは足に全神経を集中させ、爆発させた。


 背後からギリフォンの金切り声のような奇声が轟きそのプレッシャーに押しつぶされそうになりながらもとにかく逃げることに全神経を集中させる。


「あわわわわわわわ――っ」


「口を開けてると舌噛みます!」


 丘を駆ける。今だけは視界が良好なのが逃げる身としては辛い。背後から襲いかかってくるギリフォンに取ってみれば恰好の的としてぼくらは映っていることだろう。


 森に入られれば仕留めにくくなると分かっているのか、ギリフォンは金切り声のような奇声を上げ滑空してきた。背後から空気を切り裂く音が飛来する。


「やばいやばいやばいやばいっ――」


 避けなければ――右か左か? いや避けるときに飛べば、ヤンカさんのケガが着地の衝撃に悪化してしまうかもしれない。


 なんとか回避をすることなく避けるには――。

 そういえば奴は羽を地面に擦り付けていた。それはまるで鳥の砂遊びの習性のようだった。


 ギリフォンが仮に鳥だとしたら?


「ヤンカさん! さっき森のなかで採集したヒカリゴケあれをぶちまけてください!」


「ーー?!」


 猫耳美少女は言うが早いか小箱に保存していたヒカリゴケをこの青空のもと蓋を開け散布した。


 ヒカリゴケが頭上にぶちまけられ太陽光を反射し視界がキラキラと煌めく。


 ヒカリゴケは太陽の光を浴び、その身に光を蓄えるらしいが、太陽の光が当たっていたとき、かなりキラキラと輝いていたのを思い出した。


 この瞬間だけ効くかもしれない。


 背後に迫っていた恐怖がぎりぎりのところで金切声が上がる。


 ビシビシと感じていたプレッシャーが遠ざかっていく気配がした。


「やった! ギリフォンがあっちに逃げたのだ! すごいのだダイク!」


「園芸コーナーに引っ掛かってた鳥よけのホログラムふくろうを見て本当にこんなの効くのか? て疑問で説明書きを読んだんですけど、どうもキラキラと眩しさを与えて驚かすって書いてたんですよね。持続効果は望めませんけど、ともかく鳥は太陽光を反射したものを見ると驚いて飛び去るそうです。上手くいきましたね」


「ああ、ダイク! でもあいつ戻ってきたのだ」


「効果はそれほど続かないと書かれてましたから、でもこの一瞬だけ命拾いできれば――」


 目前はすでに森だった。


「森に入ればこっちのものー」


 草木の香りが鼻孔に流れ込む。太い木々を通り過ごす。

 背後から急降下してきたギリフォンが森の木々にぶち当たる音と金切り声が響いた。


「やった。逃げ切った、ぞ――?」

 

 ギリフォンの姿を確認しようと振り替えると目の前に大木が倒れてきていた。視界が大木に覆いつくされていく。

 ドスンっと地響きを立て、ぼくらのほんの数センチ隣に大木は倒れた。


「え? と、ちょっとこれは」


 少しでも右にそれていたら今頃ぺちゃんこである。


 倒れた大木の幹からギリフォンが頭のハサミをガシャンガシャンと奏でさせ、こちらに怒り狂った眼を覗かせていた。


「ああ、あの頭のハサミってこういう風に使うんだね……」


「ダイク、あいつさっきのキラキラのせいか怒っているみたいなのだ」


 ようやく森に逃げ込んだにも関わらずあのハサミでああもあっさりと大木を切り倒されたら……逃げ込んだ意味がない。


「あのハサミで斧でも作ったら木こりはさぞかし仕事がはかどるんだろうな」


「……同感なのだ」


 どうしようこの絶望的な状況。ダイクは心中で呻いた。

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