第18話 黒曜の蜂蜜
「アダマントンは森深くにある洞窟で遭遇することが多いと言われてるのだ。きっとジメジメした場所が好きにゃのだ」
「森深くっていってもいったいどの程度なんでしょうか?」
ぼくらはアダマントンが生息しているであろうと予想される地点を地図で検討をつけていた。森は竜の眠る地を最深層として深層、下層、中層、浅層に森の地図を見ると分けられている。
それによると今ぼくらがいる小屋は森といってもまだ浅い地点にあるようだ。
ただ浅いと言っても中心地から見ればの話で、町からすればここでも充分に森深くに位置するとのことだった。
「ヤンカさん。この深層やら下層やらっていうのはどういった意味合いを持つんですか? ただの距離的な意味で線引きされているんですか?」
「ん? 違うのだ。これはモンスターの強さを示しているのだ。深層に近づくほどモンスターのレベルがあがるのだ。竜の眠る地に行くには少なくともレベル30はないと無理と言われているのだ」
あっけらかんと言うその猫耳美少女に疑心に満ちた目を向ける。
「ちなみにヤンカさんのレベルっていくつですか?」
「レベル7にゃのだ」
ヤンカさんは胸を誇らしげにドンっと叩く。
「ちなみに最深部、竜の眠る地にヤンカさんはどうやって行こうと思ってたんですか?」
「ダイクできるできないじゃにゃいのだ。やるかやらないかにゃのだ」
「え、バカなんですか」
「にゃ!?」
森の中心地が竜の眠る地になっており、そこを最深部とすると、アダマントンが生息しているかもしれない洞穴はいくつか点在しているようだ。一番近い地点でも中層にある。浅層区域にはないようだ。
ならば目指すは中層にある洞窟だ。できればそこにいてくれると助かる。――のだが。
「それでヤンカさん。ぼくらはまず中層にある洞窟を目指すべきはずなのですが……」
「しっダイク。黙るのだ奴らに気づかれる」
ぼくらの目の前には大樹にぶらさがった黒曜蜂の巣があった。巣には入れ代わり立ち代わり働き蜂が忙しなく蜜を運んでいる。
隣を見れば猫耳美少女はその金色の瞳を恍惚に染め、口からはよだれをだらだらと垂らしている。
もう彼女の目には巣しか映っていないらしく、舌は蜂蜜を舐めるようにレロレロと揺れ動き、心は甘い蜜に支配されているようだった。
「知ってのとおり黒曜蜂は花の蜜と唾液を混ぜて蜂蜜を精製するのだが、その唾液がとても特殊らしく、精製された蜂蜜は黒曜の名の通り黒曜石のように黒く綺麗で一なめすると脳がとろけるほど甘いと言われているのだ。ああ、その黒曜蜂の蜜が今、目の前に、とっても美味しいのだ~」
なっ!? 美味しいだと? すでに脳内で食しているというのか
ぼくはヤンカさんに畏怖の念をもった。
そして、黒曜蜂蜜を手に入れないことにはここからてこでも動かないことを察していた。
まあ、約束したからな。
だけど……。
「本当にやるんですか?」
巣の周りには何十匹も黒曜蜂が敵の侵入がないか監視するように飛び交っている。
あの蜂の群を巣から引き剥がさないとどうにもならない。
だったらどうするのかと言えばぼくを囮として蜂を引き付けることが崩し的に決まっていた。
ちらりと隣を見ると、ヤンカさんはキラキラと目を輝かせ、頼むぞ? といった表情をしている。
以前逃げた際にはあのお尻の針で突き刺されそうになったのを思い出す。木の幹にぐっさりと刺さるのだ。それに加えあの針から滴る毒をくらったらと想像すると背筋が凍る。できれば囮などになりたくない。
「あの、ヤンカさん他に手は」
「頼むぞダイク。ヤンカあの蜜が手に入ればダイクの言うことを何でも聞くのだ」
何でも――?
その言葉がぼくの脳裏に駆け巡り猫耳美少女とのあらゆる妄想を掻き立てる。それは童貞にとって最強にして決して抗うことのできない魔法の言葉。しかし、一欠けらの理性という名の天使がいやいやちょっとまてヤンカさんはそう言った意味で言った訳ではないと忠告してくる。
――が。
「しょ、しょうがないなー。まったく今回だけですよ?」
ぼくは、すっと立ち上がった。
まったく、女の子に頼られたら、行くしかないだろ?
「頼むぞダイク。でりゃああ!」
「ん?」
猫耳美少女ヤンカさんは地面に落ちていた小枝を思いっきり巣に投げつけていた。
「ちょ、はやっ」
攻撃を受けたと判断した黒曜蜂の群がブンっと羽音を響かせ一瞬にして森を黒く染め上げた。奴らは森の中に一人ぽつんと突っ立っているぼくにガチガチと歯を鳴らし始める。どうもこいつが我らが城に攻撃をした敵だと威嚇しているようだ。
ぼくはちらりとすでにほふく前進でこの場から離れ、迂回して巣を狙っているヤンカさんを見た。白い尻尾をゆらゆらさせながら離れゆくその後ろ姿にぼくは少し寂し気な視線を送った。彼女はこちらの視線に気づくと最高の笑みで親指を立て、あとは任せたぞとアイコンタクトで伝えてきた。
せめて、心の準備をさせてよ。
〇〇〇
「だああああああ! もう何なんだよ! あのバカ猫、食い意地が先行しすぎだろ! 準備よ。心の準備は大丈夫か? くらい聞いてくれよ! それがイベントを進めるためのプレイヤーに対しての配慮だろ!」
乱立した木々の間を走り抜け、迫る羽音から必死で遠ざかる。以前のぼくであれば、あっさりと囲まれ串刺しのめった刺しにされていただろう。
今のところ逃げきれているのはこれはレベルアップの恩恵としか言い様がない。
以前ほど黒曜蜂の動きが捉えられないわけではない。確かに早いけれど目で追いきれない早さじゃない。なによりすばやさが増したことでなんとか逃げおおせている。
あとは彼らから逃げきれば作戦は成功であるが、さすがに多勢に無勢、八方から襲い来る攻撃を避けるのに手がいっぱいであった。
一瞬、木の根元に躓き体制が崩れる。
「しまった――」
黒曜蜂が尻の針を突き刺そうと突撃してくる。まるで銃撃のように飛弾する針を間一髪避ける。
その攻撃が木の幹にズガリと突き刺さった。動きが止まった。一瞬を見逃さずインパクトドライバーのトリガーを引く。
ドリルが高速回転し黒曜蜂を逆に串刺しにする。
『経験値を20獲得』
『スキル【抽出】により、毒針を獲得しました』
引き抜くと同時に別動隊が飛来する。瞬間、腕に激痛が走る。
「――がっ」
激痛によりインパクトドライバーを落としてしまう。
まずいっ。見れば、黒曜蜂の針が腕に掠ったのか腕の感覚がマヒしてきた。掠っただけだったので毒は全身に行きわたっていないらしく腕がマヒするだけで済んでいるようだ。こんなもの直撃した日にはどうなることか。
「くそっ――」
インパクトドライバーを左手で拾い上げ、猛獣に追いかけられる草食動物のようになりふり構わず逃げ続ける。
黒曜蜂はこれだけの障害物のある森で少しもスピードを緩めることなく追跡してくる。
足場の悪い森の中、こっちは確実に体力は奪われていった。背後の黒曜蜂の攻撃を避けるために神経を徐々にすり減らしていく。
大きな二本の木が見えてきたところで、ダイクは二本の間に這った根っこに躓き地面に倒れてしまう。
「ぐう――っ」
地面を這いずるように二本の木の間を抜けるとふらふらしながらなんとか立ち上がった。
「はあはあっ――、もう走れない。おい黒曜蜂、ぼくはもう疲れた。あとはもう勝手にしてくれ」
降参だというようにぼくは黒曜蜂に向き直る。
その獲物の行動にようやく黒曜蜂の群が獲物を追い詰めたとダイクの眼前に扇状に広がり、その尻からでた鋭い針をすべてダイクに向けた。
そして動きを止めたダイクに黒曜蜂の群が一斉に串刺しに襲いかかる。
瞬間。黒曜蜂の針はダイクの目前ですべて止まっていた。黒曜蜂は何かに絡めとられていた。
それは赤いネットであった。
「うおおお。ギリギリじゃないか」
ぼくは目前で止まった何十という針からのけ反るように離れ、二本の木の幹に縛られた赤い糸をヤンカさんに借りたナイフですばやく切り離した。
反動で黒曜蜂の針を受け止めているそのネットが黒曜蜂を包み込む。黒曜蜂が藻掻けば藻掻くほどネットは絡まっていった。
「以前どこかで蜂は赤色を認識できないって聞いたことがあったけど、よかった異世界の蜂もその点は同じだったようだ。ホームセンターで取寄せた鳥獣用のネットに《スライム液》を付加させた特殊ネットです。ちょっとやそっとの衝撃じゃ引きちぎるのは難しいですよ。しばらくここで大人しくしててください。はあ~、まったく蜂蜜取りも楽じゃない。腕の傷はヤンカさんに治してもらわないとな」
〇〇〇
日の光に照らされた蜂蜜はまるで黒い宝石のように、艶々に輝いていた。
「いただきますのだ~」
目の前で黒い水晶のようなとろりとした液体を恍惚の顔で口に含むヤンカさんがいた。手にたっぷりの蜜をつけそのまま口にぱくり。
目がカッと見開き一時停止するように止まった。
「美味しいのだーーーーーーー! 口に含むとじわっと甘さが舌に広がってきて浸透していくのだ。何より森で取れる果物をぎゅっと圧縮したような芳醇な香り。この香りがまるで森のなかで寝転がっているような錯覚をさせるのだ。とろとろの蜜がヤンカの隙間隙間に沁み込んで、体中に甘さが染みわたっていくこの感覚は他じゃ味わえないのだ。あ~幸せにゃのだ。ヤンカこの蜂蜜をお風呂いっぱいに入れて一生浸かっていたいのだ~」
いや、べとべとになるよ?
ぼくは捕らえた黒曜蜂たちはそのままに場を後にし、小屋でヤンカさんと合流していた。獲物を見失った黒曜蜂たちはそのうちネットを抜け出し棲み処へと戻っていくだろう。これだけ貴重な蜂蜜を生産できる蜂を倒してしまったら森の恵みを一つ失うことになる。森で生きることを選んだぼくとしてはそれは絶対避けたいことである。なので彼らを倒すことはしなかった。
蜂蜜が溜まったらまたおすそ分けさせていただこう。蜂蜜はとても貴重な栄養素なのだから。なのでヤンカさんには全部を取るのではなく自分達が食べる分だけときつくいっておいた。
ヤンカさんは少し不満そうであったが、合流すると満足そうな顔をしていた。その手にはビンに並々入れられた黒い蜂蜜が宝物のように抱えられていた。
「ヤンカさん。ぼくにもひと舐め」
そっと手を差し出すと、さっと蜂蜜の入ったビンが遠ざかる。
「??」
ぼくは額に汗をたらりと流し「ん?」とヤンカさんを見やる。
ヤンカさんはさっと背中を向け、ビンに手を突っ込み再び口に含んでいるのか「んー、最高にゃのだ~」
と、歓喜している。
その様子は、この蜂蜜は全部自分の物であると暗に主張されている気がした。
いや、まさかね。
「ちょっと、やだなー、ヤンカさん。ぼくにもくださいよ。その蜂蜜を手に入れることができたのは、ぼくのおかげですよね?」
「やなのだ」
ぼそりと、しかしはっきりと拒否してきた。
「ちょっとちょっとヤンカさん。待ってくださいよ。ぼくがどれだけ危険な目にあったか。危機一髪ですよ? 危機一髪? ひと舐めくらいいいじゃないですか。ねえ。ぼく、この世界に来て甘いものをまだ食べたことがないんですよ」
「ヤンカはダイクの腕の傷を治してあげたのだ!」
ヤンカさんは蜂蜜のビンに向かうぼくの手をバシっと払い、かっと威嚇するように言いはなった。
そして、音もなくすっと立ち上がった。
「あとは明日に取っておくのだ~」
とっとと、この場を去ろうとしている。しかし、その肩にぼくは手を置いた。待て待てと。ヤンカさんはそっとぼくの手を払うと、全速力でこの場から駆け出した。
「全部ヤンカのものにゃのだーーー!」
「おいいいいいいいいいいいいいいいいっ」
しばらく森で全力の鬼ごっごが繰り広げられた。
とにかく明日こそはアダマントンの捜索だ。
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