第9話 信頼

「すごい。まるでプールくらいの広さがあるんじゃないかな」


 近づくとその巨大さが分かる。ハスの葉のような縁のある葉っぱが水をたっぷりため込んでいる。大小さまざまな緑の葉が陽の光を受けエメラルドグリーンに輝いている。これは天然の貯水庫である。


「ウィッチプレートっていう植物にゃのだ」


「魔女のお皿ですか?」


「そうにゃのだ。なんでもこんだけでかい植物、きっと魔女が変な魔術を使ったからこんなにでかくなったんだってことでつけられた名前にゃのだ。まあ、通説ではでかくなった原因は競争の激しいこの森で雨水を確保するためにお皿のような葉っぱに進化したためって言われているのだ。ま、諸説あるのだ」


「へー。なんか面白いですね。それにしてもよくこんな所知っていましたね?」


「知っているも何も森の地図に川が描いてあるから分かるのだ」


「……ちょっとその地図見せてもらってもいいですか?」


 猫耳美少女からその地図を見せてもらう。そこには確かに川の線が記され、それを上流に辿っていくとこの植物であろうマークが記されていた。

 そして、ぼくが最初に召喚された小屋の位置も描かれていた。


「あのこの地図そもそもどこで?」


「ん? ギルドで依頼を受けたとき依頼人にこの地図もらったのだ」


 最初からこれを見せてもらえば良かったことに今更ながら気づきちょっとこの場に突っ伏しそうになる。


「……はあ、まあ良しとしよう」


 気を取り直し、大樹のごとき植物を見上げた。

 ぼくは改めてここが異世界であることを認識した。底の知れないエネルギーがこの世界には渦巻いているようで畏怖の念を感じるとともに、そのエネルギーがぼくの中にも入り込み強制的に全身をふつふつと沸き立つように震えあがらせた。


 怖さだけではなく胸が躍るような感覚だ。


 幹に触れる。硬い。でも手のひらから脈動する何かを感じ取っていた。この幹にすさまじい生命のエネルギーが行き交っている。そう思えた。


「すごいですね。ヤンカさん」


「??。そうだにゃ、これだけでかいのはヤンカも初めて見たのだ」


「でもこれだけ水と高さがあれば全然水が引けます。この葉結構分厚いですね。ドリルで穴をあけて、ホースを通して固定すれば……うんうん。あとは回りをコーキングなんかで埋めれば……いける。ん? なんかグニョッとしたものが……」


「ダイク離れるのだ!」


「――な、なんだ?」


 すばやく手を引っこ抜く。水が膨れ上がり視界を覆いつくす。迫る水に慌てて飛びずさった。

 膨れ上がった水は葉っぱの端っこに覆いかぶさった。グネグネと蠢めいている。それはゼリー状の物体だった。

 これはまるで。


「スライム?」


「そうにゃのだ! ダイクそいつから早く離れるのだ!」


 ぼくはどこか脱力したようにその物体をじっと見た。スライムは葉っぱの縁でぐねぐねと動いている。そして、ピタリと止まる。どうも獲物を捕食し損ねたことに気づいたようだ。

 スライムはゲームのなかで一番初めに出てくる最弱モンスターである。その前知識があった為にヤンカさんが何をそんなに焦っているんだろうとぼくは理解ができなかった。


 なんとなく悟った。きっとこのスライムを倒せないと思っているからじゃないだろうか? だったら問題ない。何故ならぼくにはこのインパクトドライバーがあるのだ。攻撃力50以上である。あの赤八目蜘蛛ってモンスターも一撃で倒したのだ。


 スライムごとき楽勝である。


 ぼくは手早くインパクトドライバーにドリルチャックを装着し口を回転、特大のドリルをすばやく固定する。


 逃げた獲物を探しているのか、ゼリー状の体をカタツムリの触覚のように伸ばしグネグネとこちらを探っている。そして、その触覚がぼくの方でピタリと止まる。触覚がひゅっと縮こまり、バネを解放したようにスライムが飛び掛かってきた。


 ぼくはすかさずドリルを突き入れる。


「くらえええ――っ」


 手から稲妻のような衝撃が走り、トリガーを引く。ドリルが高速回転し、スライムの体を中から引き裂いていく。透明の体はドリルの回転でブクブクと激しく気泡を出吹き出させ、穴を穿つ。

 スライムはあっさりと倒れるはずだった。

 しかし特にダメージを受けたように見られず、開いた穴も回転が収まると塞がり、そのままインパクトドライバーを包み込んできた。

 腕も透明の体が包み込んでいく。


「――なっ?」


 ダイクの手に痛みが走る。「――っ」。スライムの透明な体が更にダイクを包み込もうと視界に覆い被ってくる。


「ダイクっ! 武器から手を放すのだ!」


 襟元をぐいっと引き寄せられ、地面に転がる。


「――っぐ」


 インパクトドライバーがスライムの中に取り込まれてしまった。


「な、なななっ、ヤンカさんあれ、本当にスライムなんですか!? 攻撃が効かない――いっつつつ。な、なんだ手がまるで火傷みたいに」


「当たり前にゃのだ。スライムに物理攻撃は効かにゃいのだ。スライムを倒すためには核を打ち砕かないと」


「――核っ?」


 ゼリー状の体に青い球体が浮いている。

 あれか――。


「スライムは自分の体に取り込んだものを強い胃酸をだして消化するのだ。あのまま引きずり込まれたらダイク、スライムの中でも消化されてたところにゃのだ」


 その光景を想像しゾッとした。

 危なかった……。


「ちょっと腕を見せるのだ」


 ヤンカさんがぼくの腕を引っ張る「――痛つつっ」。手に感覚がなくなり、痛みだけが増していく。


「我慢するのだっ」


 ヤンカさん目を瞑ると歌のような旋律を紡ぎだした。


「最上にして最愛なる女神アスラよ。願うはルクの恩恵、我が祈り信仰において、闇と戦いしか弱き者に、癒しの光を――ヒール!」


 ヤンカさんの体が淡い緑の輝きを灯し、ぼくの腕を包み込んだ。

 じんわりと温かい光が沁み込んでいく。痛みが徐々に和らぎ、火傷の後も消えていく。


「――へ?」


 ぼくはヤンカさんを驚きの表情で見た。


「ダイク、スライムを倒すにはまずは水場から引き離し、火の魔法で体の水分を蒸発させるのが定石にゃのだ。そして水分がなくなった所で核を狙うのだ。でもヤンカは火の魔法は使えない――」


「すごいっ! ヤンカさん回復の魔法が使えるんですか!? うおお、魔法だ。しかも回復魔法すごい!」


「にゃう!? そ、そうか? こ、こんなの大したことにゃいのだ。……すごいかにゃ?」


「すごいですよ! ヤンカさんのキャラからこんなことができるなんて誰が予想できますか!」


「……どういう意味にゃのだ?」


 ヤンカさんは苦々しい顔をした。

 と、そんな二人を包み込もうとスライムがシャボン玉のように膨れ上がり覆いかぶさろうとしていた。


「――だああっ」「にゃうー!」


  間一髪避ける。


「ガスバーナーじゃ、ダメですよね?」


「あれじゃ、火が当たるところだけしか蒸発しにゃいのだ。とてもあの体の水を蒸発なんかさせることできにゃいのだー」


 スライムはぼくらを捕食するために水場から離れていた。不幸中の幸いか水場から引き離すことに成功した? あとは水分を飛ばして核までの距離を縮めれば核を砕けるのだけど……。

 逃げるか? 


 ダメだ! ぼくはその考えに頭振る。これくらいの危機で逃げてちゃこの世界で生きていけない。


 考えろっ。水分だ。水分を飛ばせばいい。そうだ――!


「いけるかもしれない。でも、水分を無くしたとしてもインパクトドライバーを奪われて核への攻撃が……」


「ダイク!何か手があるのか!だったら任せるのだ。水分を飛ばしてくれればあとはヤンカが止めを刺すのだ。これでも三ツ星冒険者にゃのだ」


 ヤンカさんが腰から短刀を引き抜く。


 脳裏に元の世界の記憶が甦る。

 人に頼ることができずずっと1人で仕事をしていた記憶。

 ぼくは人を信じるのが怖かった。でも、この人は何度もぼくを助けてくれた。この人に頼らないのはこの人に対する侮辱かもしれない。


「ヤンカさん――」


 ぼくはヤンカさんに作戦を話した。

 ぼくらは頷き、二方向に散る。


「こっちだスライム!」


 ぼくは腰袋に手を入れる。取寄せるのは――


『スキル【ホームセンター】を発動。通路番号12から土嚢袋コーナーを選択。検出開始――棚番1の棚段4段目から簡易土嚢を特定。簡易土嚢――取寄せ可能』


      yes?  no?


「yes!」


『承諾しました。SPを消費します』


 指先に感触が生まれ、引っ張り出す。

 それはワンセット10枚の布袋。

 でもただの布袋じゃもちろんない。


 ぼくは糸をほどき襲い来るスライムに向き直る。


「くらえーーー!」


 その一枚を投げつけた。

 スライムの体に袋が取り込まれていく。


「水で膨らむ吸水式の土嚢袋だ! 膨らむのに二分から三分。それ一枚で20キロにはなる。つまりその分の水分をスライムから切り離すってことだ」


 問題はあの胃酸である。袋がしっかりと吸水しきるのが先か、それとも溶かしてしまうのが先か――。


 ぼくは手持ちの袋もすべてにスライムに投げつける。

 そして逃げる。

 ひたすらに逃げる。

 膨らみ切るまで逃げる! 


 スライムの中で袋が揉みくちゃに揉まれ、膨らみだすのが見える。同時に胃酸で溶けているのかスライムの体に気泡が生まれていく。


 気泡がスライムの体全体に行きわたっていく。逃げるぼくにスライムは何度も飛び上がり襲い掛かってくる。それを間一髪避けつづけていくうちにスライムの動きが少しずつ遅くなっていくのに気づく。

 そして、ぼとんっと何かが落ちた。それは取り込まれたインパクトドライバーと膨れ上がりパンパンになった土嚢袋だった。


 スライムが動くたびに、ぼとりと膨らんだ土嚢が体から落ちてくる。

 次第にその体が縮んでいく。


「やったぞ」


 しかし土嚢をすべて体外に放出したスライムはその分軽くなり素早さが増していた。

 その早さに戸惑っているぼくの隙をつきスライムが飛び掛かってくる。


 やられる――っ。


「にゃうー!」


 白い尻尾を靡かせた猫耳美少女が風のような速さでスライムに飛び掛かった。


「――ヤンカさん!」


 スライムのゼリー状の体に短刀が突き立てられる。

 青い球体に短刀の刃先が届き――打ち砕いた。


 核を失ったスライムはビクンと跳ね、ヘドロのように地面に沈みピクリとも動かなくなった。


「倒した……」「やったのだ!」


 ぼくはへとへとになりながらインパクトドライバーを回収し一息つくために腰を下ろしかけた。


「スライムにこんなにも苦労するだなんて」


 ふと気になることが浮かんだ。

 

 ヘドロのようになったスライムに近づき青い核に手をそっと触れてみた。


『スキル【抽出】により、スライム液を獲得しました』


 やっぱり。


 この【抽出】というスキル。モンスターが死に絶える時に手を触れるとそのモンスターの特性を持った素材を手に入れることができるようだ。


 ただぼくは今日この日スライム液なんかよりももっと大事なものを獲得した。


 ヤンカさんに目を向けると、にっと笑顔で親指を立てていた。

 ぼくもそれに応えるためにニコッと笑い親指を立てた。


 ぼくはこの日、初めて人を信頼した。

 

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