第2話 異世界

「うーん。あー頭がぼーっとしてる」


瞼をひらく。薄暗い。ここどこだっけ?

確か、そう1度死んだんだ。いやギリギリ死んでないんだったか? それで、そうだ意識高い系の女神様がいて・・・!


「異世界!」


 そうだここは異世界だ。頭が急速に覚醒していく。

 見渡すと薄暗いけれど所々に穴がありそこから光が流れ込んでいる。そのおかげでここが住居であることがわかった。切った丸太が椅子代わりなのかそのまま転がっている。テーブルは横倒しになっている。


 もう少し光が欲しい所だ。軽く周囲を見回したときに壁に窓枠が取り付けられている所があった。きっとあれは窓だろう。ガラスは使われてなく木の板が使われているようだ。

 体を起こすとゴトンっと何かが落ちる音と腰のあたりにガチャリと音がした。


「何だ……? あっ」


 落ちたものは仕事で使っていた愛用のインパクトドライバーに腰からの音は仕事中に着けていた腰袋に入った工具類だった。


「ははっ、なんだよお前もついてきちゃったのか」


 ぼくはインパクトドライバーを拾いあげ、腰袋のホルダーへと引っかける。

 そこで初めて自分が横たわっていたところが寝台であることに気づく。藁が敷き詰められその上に麻布がかけられているようだ。


 壁穴から流れ込む光を見て外は夜ではないことを知る。

 寝台から飛び起き散りばめられた光へと近づく。

 足元がギシギシと軋んでいる。中々年季の入った建物のようだ。

 窓枠の中心に手をつけると、カタンと動く感触がした。そのまま押すと板が開き、たくさんの光が入り込んできた。


「う――っ」


 急激に視界を埋め尽くす暴力的な光に目蓋を閉じ、強烈な青い匂いが鼻孔を刺激する。

 目蓋をひらくとそこは森林が広がっていた。嗅覚をこれでもかと刺激する匂いはあさつゆに濡れた草木の香りだ。

 

 崩れたレンガ塀が建物の周りを取り囲み、その先にある森林との境界線を作りだしている。

 見たこともない木々が鬱蒼と生い茂る森が広がっていた。


「ここが、異世界――」


 胸の奥から、子供の頃よく感じていた初めて訪れた景色に果てのない想像を膨らませ思い浮かべたときのような充足感が満ちてきた。きっとこの先にはまだ見ぬ景色や出会いが待っていて、ぼくを楽しませくれるのだというあまりにも自分勝手で純粋な真っ白な想い。


 こんな気持ちは何十年ぶりだろうか。


 ぼくは両開き窓を光とともに景色や異世界の匂いを取り込もうとするかのように、めいいっぱいに広げた。


 ぼくが目を覚ましたのは一人用の寝室のようであった。部屋は埃だらけ。ぼくが寝ていた寝台にはまるで殺人事件現場のようにテープか何かで遺体をくっきりかたどったような痕が残ってしまった。


「女神様の話では転移先には助力してくれ人がいるって話なんだけど……」


 寝室の扉を開けると外からの明かりが陰を押し流す。

 薄暗くはあるが見えないわけではない。何故なら寝室同様壁に穴が開いており、光の線をそこら中に落としている。

 すぐ近くに暖炉がある。部屋の中央にはテーブルと椅子が横倒しになっている。

 とりあえず明かりを入れるために窓を開いていくと床に溜まった埃が舞い上がり、咳を誘発させる。


「ゲホゲホっ……とても人が住んでいるとは思えない。何年も放置されたような家だ」


 壁には作り付けのおそまつな棚に食器の類が並んでいる。それと、何かの毛皮。触ると毛の一本一本が硬い。まるでハリネズミの毛のようだ。ただハリネズミより遥かに大きい。


「これ、この世界のいわゆるモンスターか何かの毛皮だろうか? それにしてもでかいな」


 奥は台所になっているようで、釜戸がある。埃がたまりこちらもしばらく使われた形跡がない。


「あの女神、もしかして転移させる場所失敗してるとかじゃないよな。まさかねハハ」


 ひと回り見て得た感想は猟師か何かの掘立小屋。

 外もひと回りしてきたが庭には荒れ果てた畑と蜘蛛の巣まみれの納屋。そして井戸があった。


 外にでれば周りに人が住んでいる民家があるのかと思ったが、見えるのは森だけだ。


 他に民家は一切見当たらない。


 先ほどの感動の余韻はどこか消え去り、だんだんと不安が膨れ上がってくる。


 人の気配が一切ない。


「嘘、だろ?」


 この住居は森の一角を切り開いて作られているようだった。

 周りは見渡すかぎり森だ。

 ここは異世界なんだぞ。

 あの森の奥に何が潜んでいるかわからない。いや、きっとあの毛皮の生物は間違いなくこの森にいるんじゃないだろうか?


「ちょっと、待ってよ……こんな森の中に1人転移させられてどうしろってんだよ」


 眼前に迫る森の前に立ち竦みぼくの心に絶望が広がっていく。

 耳をそっとすませば木陰に息を潜めぼくの血肉を狙っている魑魅魍魎どもの息づかいが聴こえてくるようではないか。

 いや、ここは異世界だからモンスターか。いきなり竜とか出ないよな? その想像にゾッとした。


「誰か! 誰かいませんかー!すいませーん!すいませーん誰かー!」


声に答えてくれる者はなくむなしく森に吸い込まれ消えていく。


「これ、ここからどうすればいいの? え?  既に積んでるってわけじゃないよね。異世界に来て何もせずにモンスターにやられるとか……」


 まだ見ぬモンスターに想像を馳せては、お尻からキュッと這い上がる悪寒に意識が途切れそうになる。


「いや、いやいや、そんなわけない。そうだまだ頭が混乱しているんだよ。初めての異世界で浮かれているんだ。そうだ、そういえばちょうど昼前に死んだから昼ご飯を食べていなかった。ご飯でも食べて一回落ち着こう……、弁当は、どこだっけ?」


 ぼくはそこで一瞬思考が停止しかけた。


「……あるわけない。あるのはこの腰に下げた腰袋に入った道具類と作業したとき手に持っていたインパクトドライバーと近くにあったビスやネジ類だけだ。弁当はロッカーの中だよ。あるわけないんだよ。待て待て待て、食べ物は? え? ちょっと待て」


 ぼくは小屋の扉を勢いに任せて開いた。勢いがありすぎたのか背後で扉が外れる音がした。でも今はそんなことに構っていられない。

 ここは森の中だ。しかもだいぶ深そうだ。食べ物がなければどこからか調達しなければならない。じゃあどうやって? 

 村か、町か、それとも街かで手に入れる、だ。じゃあ村でも町でもなんでもいいがそれはどこにある? きっとこの森を抜けた先だ。抜けた先にきっとあるはずだ。いや、そう信じたい。あってくれ。

 ただあったとしてもどうやってこの森を抜ければいいんだ? 森にはあの毛皮のモンスターなどがいるかもしれない。もっとすごいのもいるかもしれない。

 いやそうじゃなくても戦える気がしない。勝てないどころか、逃げ切って森を抜けられる自信がない。というより森で迷って遭難する自信がある。

 1人で森を抜けなければいけないなんてどんな罰ゲームだ? そんなの瞬殺だろ?誰にともなく吐き捨てたくなる。


「そういやなんで人がいないんだ? 外壁はあれだよな。経年劣化か何かで崩れているんだよな? 決して何かが襲ってきた結果じゃないよな……?」


 もし何かが襲ってきた結果、崩れたんだとしたら……。


「それが原因で家主はこの家を放り出して……逃げ出した」


 ぼくは荒れ果てた室内を改め見渡した。所々、穴が開いている。埃がたまっていたせいで分からなかったが外から吹き込む風が溜まった埃を飛ばしていく。よく見ればあちこちに食器が散乱し、割れている。


「ここ、人がいなくなって何年経ってるんだ……」


 人型が残るほどに溜まった寝台の埃。よくよく壁をみれば暴力的に殴りつけたような破壊の痕。散乱し割れた食器。崩れたレンガ塀――。


 周囲の森が一斉に産声をあげるように騒めいた。


「――ひぃっ」


 そして、止んだ。

 か、考えるのは後だ。それより今は――、


「だ、台所だ。台所が奥にあったはずだ。きっとそこに何か保存食が、保存食があるはずだ」


 改めて台所を見ると作り付けの壊れた棚は何かに壊された痕に見える。釜戸の埃を払うとモルタルに打痕だろうか罅が入っている。

 その近くにツボが転がっている。ツボは割れておらず蓋がされている。

 飛びつくようにそれを拾い上げた。


「頼む。何か入っていてくれっ」


 蓋を取った。


 中には何かの肉がぎっしりと詰まっていた。「……こ、これ、食べられるかな」どうも干し肉のようだ。食べられれば何日か持つ。少しだけ安堵した。


「ほ、他にも何か」


 しばらく台所をあさった。見つけたのは乾燥した芋や木の実が入ったツボがそれぞれ一つずつ。他はすべて割れていた。中の木の実などが散乱したのだろう台所の隅には芽が生えている。

 そして荒れ果てていた畑に育っていた大根に似た作物と人参に似た作物などがあった。ただほとんどが食い荒らされた痕があるけどきっと野生動物か何かだ。


「食べ物は、とにかく、これでなんとか確保だ」


 どっと疲れが出た。しばらく、何とかこれでしばらくは持つ。一番重要な水はこの庭に堂々とある井戸が保証してくれているし大丈夫だ。

 そういえば喉が渇いたな。

 ぼくは水を飲もうと井戸へ向かった。


 井戸の桶をおろす。――カンッ、カラカラカラと失望の音が木霊した。

 人は水なしじゃ四、五日で死ぬとよく耳にする。


 ぼくはその場に崩れ落ちた。


「ちょっと、これは、積んだ」



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