第1話 セカンドライフはどこか遠くで

 いつものようにホームセンターで仕事をしていた。社員になって何年目だったろう? 十年目だったろうか。いつものようにバイトのおばちゃんに頼まれた仕事をやっていた。内容は重量物の合板などを置いておく頑丈な什器の柱に商品を並べたいからとちょっとした棚を取り付けていた時だ。


 上司からホームセンターで勤務するならこれくらいの物は持っておかないとねと勧められた(どうも月末の予算達成のために買わされた)愛用のインパクトドライバー(五万円もした)で作業をしていた。


「危ないっ」「――ん?」


 声に振り向けばすでに視界は合板で埋まっていた。どうもフォークリフトで合板の山を上から降ろしていたようで、ミスをしたようだった。

 本能だろうか、ああ、これは死んだと、理解した。

 意識が途絶え目を覚ますと


「ようこそ選ばれし勇者よ。私はこの世界の女神」


 目の前に意識高い系の女の人がいた。周囲は白一色の世界で、中央に浮かぶ彼女だけに目が引き付けられた。ついでに言えばぼくも浮いているようだ。

 ここはいわゆる死後の世界というところだろうか? 想像していた世界とは随分違う。天国には見えないし、もちろん地獄にも見えない。


「ぼく死んだんですか?」


「察しがよろしいようでその通りです。あなたは落ちてきた木材の下敷きになりぐちゃりと潰れて死にました。それはもうあっさりと」


 意識高い系の女は大仰に手を広げ答えてくる。

 ああ、やっぱりそうか。うだつの上がらない人生だったな。まさか合板の山に潰されて死ぬなんて。


「そうですか。やっぱりそうなんですね。まあ、三十年の短い人生だったけど、まあ、いいか。しょーもない人生だったし。だったら早く行きましょう。ぼくには未練なんかないですしね」


 ぼくはさっさと事態を納得し、半ば惰性で生きていた人生に終止符を打つことにした。しかし納得しているぼくをよそに彼女はずっと手を広げ目を瞑ったまま上を向いている。どこか自分に酔っているようだ。

聞こえていないのだろうか?


「あなたは死神か何かでぼくをあの世まで送ってくれるんですよね? だったら早く行きましょう。ぼくには未練なんかないですよ」


 意識高い系の彼女のこめかみビクっと痙攣した。


「……死神じゃありません」


「……は?」


「こんな絶世の美女が死神のはずないだろ?」


 彼女はそれはもう冷酷に告げてきた。


「あ、あ、ご、ごめんなさい。すいませんでした」


 彼女は「チッ、私は女神よ。勇者人事の仕事の唯一の優越感に浸ってたのに。失言は慎むように」と舌打ちをし、どこからか学習ノートを取り出しペラペラと捲りだした。


「め、女神、様? 人事? あ、あの?」


 どちらかと言えば会社のエリートキャリアウーマンにしか見えない。でも確かに女性に対して死神は失言だったかもしれない。もしかして、セクハラとかモラハラとか言われる部類に入るのだろうか。

 えーと、死神のイメージだともっぱら骸骨だから、無駄な肉はないしいい様によってはスレンダーともとれるから……むしろ誉め言葉か?


「あ、でも死神は、むしろ誉め――」


「その口を閉じろ」


 ぼくは素直にこれ以上口にすることは止めた。だって女性に対してしつこく容姿のことを言うのはあまりいいことではないからね。いくらこちらが好意を持ってそれを伝えようとしても、それを本人が望んでいるかはまた別の話で関係が良好になる可能性は否定はできないけど敢えてチャレンジする必要性もここでは見いだせないしかといって――。


「えー、こほん。あなた名前は佐藤タケル? 図々しい名前ね。年齢は三十、彼女なし、童貞、仕事はホームセンター勤務、万年平社員、バイトのおばちゃん達からは体のいい小間使い、後輩からは舐められ、唯一の趣味はエロゲー、……」


 なんだろう。急に個人情報がかなり駄々洩れているし、言葉のナイフが心をぐさぐさと突き刺さしてくるんだけど。

 彼女は事務的にページをぺらぺらと捲りそこに書かれている情報を淀みなく垂れ流している。そして、ページを捲る指が止まり、ノートから視線を離すとぼくを見る。

 その顔は苦虫を嚙み潰したような何とも言えない顔をしていた。


「……まあ、あのまま生きててもろくなことなかったでしょうから、ここらで死んでよかったんじゃない」


「女神様、ちょっと言葉のナイフが鋭利すぎやしませんか? さすがのぼくももう一度死にますよ?」


「あらやだごめんなさいつい本音が出ちゃったのよ」


「本音って言葉が逃げ道を無くしているよ」


「それに厳密に言えばあなたはまだ死んではいないわ」


 意外な言葉に一瞬思考が止まりかける。が、すぐに正常に動き出す。仮にまだ死んでいなくて、生き返ったとしても待っているのはあの生活だ。

 帰りたいだろうか? 

 女神様は厳密にと言った。それは裏を返せば死ぬ一歩手前だろう。だったらこのまま死んでも別にいいかもな。


「女神様いいですよ。ぼくこのまま死んでも。例え生き返ったとしても別に喜んでくれる人も特――」


 肩を竦めてしゃべっていると、女神様が無言で近づいてきた。その瞳は深い青で見つめられるとどこまでも沈んでいき海の底に包まれていく気がした。

 ぼくははっと彼女が女神であることを思い知らされた。

 言葉がどんなに辛辣であったとしても、彼女は女神なのだ。その母性は海よりも深い。

 女神様が腕を振り上げる。


「め、女神さま、ぼ、ぼく――ごっ」


 女神様の振り上げた腕から突き出た二本の指がぼくの両目を突き刺した。


「話は最後まで聞きなさいよ」


「つっーー、目、目はやめてくださいよ、おお、リアルに痛いっ」


 地べたで悶え苦しむぼくをよそに女神様はノートに目を落とす。


「まあ、碌な人生を送っていなかったけど、あなたが望めば別の世界へ転移させてあげられるわ。ついでに少しだけ若返らせてあげられるわね。これは特典ね。一度は願ったことあるでしょう? このままの知識で過去に戻れたらもっとマシな人生送れるのになって。ほら、童貞にはよくあるじゃない根拠のない自信に酔ってできもしないこと誇らしげに語るやつ」


「一言多いな」


 でも確かにこのままの知識で過去に戻るって話はよく友達と喋っていたものだ。そしたらぼくはもっと違うことをしていたなど。今の知識をいかして一発当てていただの。そんな大した知識でもないくせに、確かによく酒の肴にしゃべっていたものだ。

 ただ――。


「女神様若返えらせてくれるのはありがたいですけど、別の世界って」


「ええ、別の世界。つまり異世界です」


「異世界? 異世界っていわゆる剣や魔法が存在している異世界ですか?」


「その通りです」


 そうか異世界か。

ぼくは悪くないなと思ってしまった。


「ちなみにぼくがそれを断るとどうなるんでしょうか?」


 女神は肩を竦めた。


「今現在あなたは先ほども言った通り木材の下敷きになっています。断るのなら私はあなたの意識を元の世界に戻すだけ。今は私の力によってあなたの意識をかろうじて止めているだけですから。戻れば、その瞬間、あなたには本当の死が与えられ意識は消え失せます」


 女神は淡々と告げた。つまり選択肢はこのまま死ぬか、それともぼくという意識のまま異世界で第二の人生を送るかってことか。

 それは別の世界でもう一度自分の人生をやり直せるってことだ。

 ぼくは女神様の瞳をまっすぐに見つめる。


「もちろん。ただってわけじゃないんですよね」


 女神はこくりと頷く。


「あなたを転移させる条件、それは――魔王討伐です」


「魔王!?」


「ええ、あなたはその世界で魔王を倒す勇者となるのです」


「ぼくが勇者!?」


 女神はにこりと微笑んだ。やっぱり碌な条件じゃなかった。つまり異世界に転移させてやるから、その世界の魔王を倒せってことだ。


「本当に魔王がいる世界ってあるんですね」


「あるんですよ。これでもこの仕事も結構大変なんですよ。異世界に送る月のノルマを達成するだけでも大変だし、上からいったいいつになったら魔王討伐できるんだってプレッシャーかけられるし」


「なんか大変そうですね」


 女神は「まあね」と肩を竦める。

 結局はどの会社で働こうとも大して変わり映えしないのかもしれない。要はどれだけその環境においてうまく立ち回り利用するのかが人生の分かれ目なんだろうなと世知辛いものを感じてしまった。


 そしてぼくは思った。異世界へ転移しさえすれば、あとはこっちのもんだと。

前の世界ではひたすら真面目に働いたんだ。女神様には悪いけど、ちょっとくらいのズルは許してもらってもいいはずだ。


 魔王討伐そっちのけで異世界生活を楽しもう。


「女神様。その条件、飲みました。魔王討伐引き受けます!」

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