第12話 ゴブリン

 家の周りで何かがガサガサと歩いている。犬や猫じゃないことだけはその足音だけで分かる。

 ギイギイと耳障りな鳴き声と底意地の悪そうな嫌な笑い声。まるで何かを物色しているような気配が伝わってくる。

 

 壁板の隙間からそっと覗きむ。

 実際奴はこの家を物色しているのだ。しかもわが物顔で。


「……」


 気味の悪い笑い声。子供位の大きさの黒い影が辺りを探っている。

 雲が途切れ月明りが奴を浮かび上がらせた。


 肌は黒と緑を混ぜ込んだような色で、体は全身イボだらけその異様な姿は醜く、見るに堪えない。

 匂いで辺りを探っているのか長い鍵鼻をひくひくとしきりに動かしては耳元まで裂けたような口をひらき不揃いの牙を上下させ気味の悪い笑い声を響かせている。


 「ヤンカさん、あれってゴブリンですよね?」


 奴がくるりと顔を向けた。泥だまりのように濁った眼がその先の壁から覗くぼくの目と重なった。

 奴の眼が弓なりに歪む。


「――バレたっ」


 ぼくは叱咤の声を出すだけで、奴の眼に捉えられただけで頭が真っ白になり身動きできなくなった。目に映る剥き出しの悪意の塊にただ恐怖した。

 これが知性を宿したモンスターの悪意。ただ本能のまま襲ってくるモンスターとは違う。


 どうする? というよりも何故こうなった?


 脳が濁流のように記憶を遡っていった。


〇〇〇


 無事に我が家に水が引けた。猫耳美少女が恐る恐るタンクの蛇口を捻り水が出てくるところをじっと見ては「にゃうっ」と目を見張っては蛇口を締めを繰り返している。


 タンクの上に置かれたランタンの灯りのなかヤンカさんのその姿はとても可笑しかった。ちなみにこのランタンはこの小屋にあったものだ。蝋に火を灯す簡易的なものである。


「にゃう~。すごいのだ。こんな方法で水を引くなんて……。いや、でもポイントはあのホースっていう柔らかくて空洞になっている道具にゃのだ。あれどうやって作っているのだ? それにこの蛇口ってなんにゃのだ? 異世界にはこんなのがいっぱいあるのか? こんなの初めてみるのだ。捻ると水が出て、つまみを戻すと水が止まるのだ」


 そうか。この世界ではそもそもこんな道具はないんだな。そりゃそうか身分の高い人たちは魔法によって作られた貴重アイテムを使って水を出すそうだもんな。普通の村の人たちは川から水路を掘って引いているっていうし。それは労力もお金も掛かることだろう。


 ぼくの世界のようにこういった道具を使えば一人の普通の人間だけで水を引けるなんてこの世界の人たちからすれば驚倒ものかもしれない。

 でも、これくらいの道具はこの世界の技術でも作れそうなもんだけどな。それこそ魔法とかで。


 そこでぼくは、はっと気づいた。


「そうか。この世界には工場なんてないんだ」


 例え道具を作れるとしてもそれを大量に安価に生産できなければ広まりようがないんじゃないか?

 ぼくの世界にはこういった道具を個人でも手軽に手にいれることができる。それはよくよく考えれば途方もないことである。

 資源を採掘し生成され加工される。それを大量となるとシステム化された工場が必要になり、それこそ莫大な費用と人員が必要だ。


 なんとなく使っていたものがいかに莫大な費用の元に作られているのか今更ながらに実感してしまう。


「でもぼくはそれをSPを使うことでいくらでも出すことができるのか」


 そう。この世界では決して手に入れることができない道具をぼくはスキルという力で簡単に手に入れることができるのだ。

 例えば、このホースを大量にスキルで出し近くの村に持っていき、各家庭にお手頃な価格で水を引けば……。


「これは富の匂いが……」


 そこでグーっと腹の鳴る音が聞こえてきた。

 見ればヤンカさんがてへへっと頭を掻いている。

 そういえば腹が減ったな。


「よし、ヤンカさん。今夜は水を無事に引けたお祝いに豪勢にしますよー」


「待ってたのだー!」


 〇〇〇


 さっそく台所に引いた水を使ってみる。タンクの蛇口を捻ると水が出てくる。土間に落ちていた木のコップに注ぎ、匂いを嗅いでみる。


「クンクン。うん、匂いはしない」


 少し躊躇いながらもコップに口をつけ一口飲んでみる。


「うん。変な味もしない。スライム液が効いてるみたいだ。このまま飲んでも問題ないかもしれないけど、飲み水はやっぱり一度煮沸しよう」


 ぼくは釜戸に鍋をおき、そこに水をたっぷりと入れていく。

 釜戸に薪をくべ適当な枯葉などを突っ込みガスバーナーで火を起こす。しばらくすると薪に火が燃え移りゆらゆらと赤い炎が躍りだす。


「しかしこのガスバーナーというのも便利なのだー」


「鍋の水が沸騰する間に具材を用意だ」


 用意したものは昨日昼間に集めておいた乾燥した芋のようなものと木の実に大根に似た野菜と人参に似た野菜。

 ヤンカさんに確認するとどれも食べれるポピュラーな野菜だという話だ。安心安全のお墨付きを頂き、食べやすい大きさにカットしていく。


 きっとまな板に使っていたのだろうかなり硬い長方形の板によくみれば表面に無数の切り傷がついている。

 その上に洗った食材を乗せ、ヤンカさんの短刀でカットしていく。かなり文句を言われたが平謝りしてなんとか使わせてもらっている。

 そのうち包丁もなんとかしないとな。

 台所用品が出せればいいのだけど、残念ながら担当外だ。


 野菜をカットし終えればそのまま沸騰し始めた鍋に投入。そしてこのままではなんの味もないので干し肉を投入。一緒に煮込む。


「まあ、現実はこんなもんだよな。そんな都合よく調味料なんかあるはずないし……。ああ、味噌に醤油に出汁が恋しい」


 それでも、何もないよりマシである。


「あとは蓋をして煮えるのを待つだけ」


「出来たかー?」


「もうすぐですよ」


 しばし待つ。


 蓋がカタカタと音を出す。


「よし、いいかな。ヤンカさん出来ましたよー」


「やったのだー!」


 ランタンと鍋をテーブルの上に置き蓋を取る。

 熱々の湯気が立ち昇り、煮込んだ干し肉と野菜の香りがぼくのお腹を鳴らす。

 味付けは干し肉の塩気だけだけど、温かい食事というだけでありがたかった。なんだかずいぶん久しぶりのような気さえする。


 ぼくはそれを木皿にたっぷりとよそう。干し肉と野菜のごろごろスープである。

 ヤンカさんは木のスプーンを持ちじーっと木皿を見ている。

 ぼくはそれをヤンカさんの前にことりと置いた。


「にゃう!? いいのか! こんなにいっぱい」


「もちろんです。ヤンカさんには何度も命を助けて貰いましたしね。これくらい当然です。いっぱい食べてください」


「そういうことなら頂きますにゃのだー」


 いうが早いかヤンカさんは料理に顔ごとダイブするようにがっつきだした。

 その食べっぷりと言ったら気持ちいいくらいに獣である。


「おかわり!」


「はいはい。味はどうですか?」


「うん! 干し肉の塩気と野菜の味にゃのだ!」


「……素直ですね」


 うん。不味くはないのだろうな。分かっている。そもそも調味料がないのだから当然である。とても素直な感想だ。釈然としないけど。

 嘘でも美味しいといってくれても。


 ぼくも一口。うんうん。確かに。野性的な味? あ、でも干し肉はホロホロと柔らかくて美味しいな。


『スキル【抽出】により煮込んだ干し肉と煮込んだ野菜、スープを獲得』


「よし、ダイク! 水は引けたのだから明日は黒曜蜂の巣を取りに行くぞ!」


 ヤンカさんはお腹を満足そうに擦りながら言ってくる。


「それはいいですけど、森の調査はいいんですか?」


「何言っているのだ。それこそ後回しにゃのだ」


 むむう。さすがフードハンターと自称しているだけある。食い意地に関しては冒険者ランクってのも上位じゃないだろうか。


 と、そんなことを思っているとヤンカさんの顔が急に張りつめた。彼女はすばやくふっとランタンの火を消す。真っ暗闇が訪れる。


「や、ヤンカさん急に――っ」


「静かにするのだ。何か来たのだ」


 彼女の矢のように鋭い声で、異常事態が発生したのが分かった。ぼくは息をするのも忘れるくらい緊張する。


 ヤンカさんは忍びよるように壁に張り付き、壁の隙間に目を通す。


「いるのだ」


 ぼくもヤンカさんに習い壁の隙間から外を見た。


 〇〇〇


 ゴブリンの行動はあきらかに何かを探している様子だった。


「ヤンカさん。気付かれたようです! どうしましょう? ……ヤンカさん?」


「くっまさか、ここまで追ってくるにゃんて」


 ヤンカさんは眉間にしわを寄せ聞き捨てらないことを確かに言った。


「――え? ちょっとどういうことです――」


「ダイク! グズグズしている暇はにゃい。こうなったら応戦にゃのだ」


 

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