第10話 伏線の効果

 今年の11月に、久々にフルマラソンに参加します。練習は再開しているのですが、この暑さでかなり辛い。大会に申し込んだ頃は、「自己ベストを更新するぞ!」と息巻いていました。ところが最近は、


 ――完走できる体を作るだけでも精一杯なんじゃないだろうか


と、思い始めています。大会まであと3カ月しかありません。コツコツと練習をするしかない。


 フルマラソンの魅力って、なかなか伝えづらい。誰かに話をしても、「へー」で終わってしまいます。僕なりに感じているのは、手軽に自分の限界に挑戦できることだと思います。


 ――これ以上は、無理!


 そんな気持ちにさせられることって、普通に生活をしていれば、なかなか無いことだと思います。練習をしていない状態で人間が走り続けた場合、30キロ程走るとガス欠を起こします。どんなに素晴らしいスーパーカー{表現が古い}でも、ガソリンがなければ走れません。人間もそのような状態になるのです。


 若い時、初めてのマラソンでこのガス欠を経験しました。前半の折り返しは、1時間半くらいだったと思います。このまま走り続けたら、3時間。自分でもびっくりのタイムです。ところが、30キロを過ぎた頃、それまで羽のように軽かった体が、足枷を付けられたように重くなりました。急激に腹も減ります。足もつりました。太ももの前と後ろが、ひっくり返るのです。これでは立つことすら出来ません。地面に転がって、しばらく休みました。


 ――どうしよう。走れるのかな?


 走ることは出来ませんでしたが、立ち上がって歩きました。給水所に到着すると、空腹を満たすためにバナナとチョコレートをガツガツ食いました。後半は、全て歩きました。走るなんてとても出来なかった。ゴールに近づくと、知らない人たちからエールを送られました。「頑張って~」って。精神的にかなり追い込まれていたので、そうした言葉が嬉しかった。ゴールした瞬間、泣きました。とても嬉しかった。


 僕はこのマラソンで、スタート地点を出発して、同じ場所に帰ってきました。同じ景色を見ているのに、スタートとゴールでは、全く違う気持ちにさせられています。これって、面白くないですか。スタート地点は、何も変わっていない。変わったのは、僕なんです。フルマラソンを通して、僕に大きな変化があったから、同じ景色でも感じ方が変わったのです。


 物語で登場人物の成長を表す時、「成長しました」と書いただけでは、読者に伝わらない。様々なテクニックがあるのでしょうが、僕は二つの同じ事象を表現して比較させることをしました。実は、初めの頃は、意図せずに使っていました。面白がって色々なパターンを試していました。シチュエーションであったり、小物であったり、言葉であったり。兎に角、二つ用意して比較させることを意識しました。広義的には、これは伏線というテクニックだと、後から知りました。


 一般的には、ミステリー小説で使われる伏線が有名です。伏線が目立たなくて、巧妙であればあるほど、伏線が回収される時のカタルシスは大きい。「あー、そうだったのか」と、頷いてしまいます。もし、伏線なしで問題が解決されてしまったら、読者は納得が出来ません。ミステリーは、作者と読者との知恵比べを楽しむところがあるので、情報は公平に提示しておく必要があります。後だしジャンケンのようなやり方では、ミステリーになりません。


 伏線が効果を発揮するのは、ミステリーだけではありません。


 ――主人公が拳銃で撃たれた時、友人の形見のライターがその銃弾を防いでくれた。


 こんなテンプレートなシチュエーションがありますが、これも伏線です。友人からライターを受け取る場面がドラマチックであるほど、その効果は大きい。主人公を守ってくれたのは、亡くなった友人だからです。


 伏線というのは、過去と現在、二つの時間を繋ぎます。その経過した時間の中で、主人公は悩み苦しみ成長していきます。その成長した姿を、効果的に表現するためにも伏線の使い方を、もっと勉強したい――走りながら、そんな事を考えていました。

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