大名行列と高杉晋作

「ねぇ、総ちゃん?」


いたくご機嫌な彼女が、自分の顔を覗き込みながら声を掛けて来る。


「はい。」


「何で人は、腹を立てると思う?」


そんな問いに、沖田は困ってしまう。


「……何故でしょう?」


剣術ならまだしも、人の心理にも似た事は、苦手中の苦手であり、腹を立てる原理を知るはずもなく、どうして自分にそれを聞くかも謎で、首を傾げる。


「核心を突くと、人は怒りを見せます。触られたく無い。自分を守る為に怒りはあります。要は、自分を大切に思っていない。そう感じる言葉に、人は怒りの色を見せる。」


ご機嫌な彼女は、そう言うが、全く意味が理解出来ぬままで、


「成る程。怒りは、人を挑発する時に使えますからね。これから、京で不貞浪士の捕縛の時に役立ちそうですね。」


と、前を歩いていた山南が、僅かに振り返りながら口を開いた。


「そう言う事です。」


田んぼばかりの壬生を出れば、すぐさま凄い人混みがあり、護衛と言えど正式にの出動ではない壬生浪士組は、人の波に行く手を阻まれる。


千夜は、笠が邪魔過ぎて何度取れそうになった事か。少し細い通路で、


「私、此処に居ますから、どうぞ行って来てください。」


と言い出す程に、人だかりは何処までも続きそうな程凄く、


「これ、将軍様の籠すら見えないんじゃ……。」


と、沖田が泣き言を言い出す程だ。


「どうする?かっちゃん。少し前に行くか?」


「あぁ。もう少し先に行ってみるか。」


そこの前に出る事は、不可能だと判断した近藤は、川の方へと行ってみる事を提案したが、


「テメェは、そこに居るのか?」


と、土方が千夜に確認を取る


 テメェ呼びは、いつ辞めて頂けるのか疑問に思いながらも、千夜は、そこにとどまる事を告げる。


「動くんじゃねぇぞ。探すの面倒だからな。」


「はいはい。此処に居ますから。」


皆が背を向けて川の方へと足を向ける中、千夜は、右の太腿を摩る。


「……これ、肉離れだな。」


体重をかけると痛む。歩ける事から軽度だとは思うが、今、怪我をしている場合では無いのに……。


 痛い。と思えば更に痛みがひどくなる感覚に、近くの木にもたれかかって待ち人達を待つ事にしたのだが、将軍の籠も歓声すら聞こえない。


(今日、なんか起きるんだっけ?)


と、どうでも良い事を考える千夜。しばし暇を持て余し、以蔵がくれた根付に手が伸びていく。丸いそれは、袴の腰紐につけられて、その先に大事な鈴を括り付けた。


パカッと開ければ、女の仏が顔を見せる。それをジーっと見つめるも、


「……何で女の仏なんだろ?」


そんな疑問しか無い。無駄に胸が強調してあるソレを男の仏とは誰も言わないだろう。沖田でさえ、"女の仏様"と、口にした。


「良く分からないな。こういうの。」


からくり付根は、珍しいな。とは思うものの、仏とかは信じない性分で、何の仏かも分からない。


「まぁ、いいか。」


と、付根を腰紐へと戻した時、歓声が聞こえて来た。それにつられて視線を籠が通る道へと向けるが、その時思い出したのだ。


(今日、確か……。)


見えてきた籠は、きっと天皇。将軍・家茂は馬に乗って従い、その横には護衛の姿。


「いよお、征夷大将軍」


沿道の中から甲高い声が聞こえてくる。それは、自分が居たすぐ近く。逃げ出すように、振り返り、走り出した男に自分は、会った事がある。


そのせいか、痛む足を忘れ、足を踏み出していた。


辺りは、声を上げた男を視線で追いかける。大名行列の通行にあたって、むやみとこれを妨害したり、からかったりする様な事は厳に禁じられている。つまり、それを行えば、無礼打ちである。


この男が皆の視線を浴びるのは、将軍を馬鹿にしたからであり、良く言った。と称賛される事では全く無かった訳で、


「捕まえろっ!!」


と、遠くで土方の声を確かに聞き、すぐさま男の前へと身体を動かした。


だが、千夜にとって笠というものは邪魔でしか無く、相手のが背が高いが為に顔が全く見えない。首を持ち上げれば、


「……巫女……。」


その声に、不味いと笠を手に下を向く。その声の主は、高杉晋作。奇兵隊を指揮する幕末の風雲児。


 こんな人混みの中、髪を晒す訳にもいかないが、逃げてる男からすれば、自分は、ただ前に立った邪魔者であり、


「ちっ。」


っと、舌打ちする音が聞こえてくる。

そして、引き抜かれた刀を視線で追い、すぐさまそれを振り下ろした男の口元は吊り上がる。


クナイでソレを受け止めれば、金属音が鳴り響く。そんな音を聞けば、当然の如く叫び声が上がった。


男の力に敵わない事は、重々承知をしていたし、この男を捕まえられる訳にもいかない。


刻一刻、近づいてくる壬生浪士組をどうしたらいいか考えて居た時、笠の顎紐を引かれた感覚と、ズレていく笠。次第に鮮明に目の前の男の姿が映し出されていく。


人の気さえ知らぬ桜色の髪は、結われたままサラサラとなびき、その色を主張していく。


「————っ!巫女やっ!!」


そんな声が、やけに耳障りで、男の刀をクナイで弾き間を開ける。落ちた笠に、最早意味は無く、拾い上げる事すら面倒で、脇に見えた道を見つけ、男に顎を小さくしゃくった。


人混みにより、浪士組の到着は遅れ、未だに遠くに見える。男が足を踏み出せば、自分も細い路地へと追いかける。


其処には、人は居なかった。表にはあんなに人が居たにもかかわらず……。


「何のつもりだ?巫女殿。」


「単なる気紛れだけど?さっさと逃げた方がいいんじゃない?」


人の親切心など知らぬ男は、路地に入った途端、不機嫌そうな声を上げ、逃げる事をしない。さっさと逃げて欲しいのに、だ。


「————あの馬鹿!何処行きやがった!」


切れ長の美男子が怒る声は聞こえてくるも、この路地の存在に気付かないのか、入ってくる様子は無い。


「私に構ってる場合じゃないでしょ?

早く行きなよ。」


人が捕まらない様にしてるのにも関わらず、


「巫女は、幕府寄りじゃねぇのか?」


そんな事を問う男を睨み付ける。


「だから、そんな事言ってる場合じゃ————っっっっ!!!」


近づいて来た男は、痛む足を鷲掴む。その痛さに耐えられず、叫び声を上げその場にくずれる。案の定、それが壬生浪士組に場所を教える事になり、


涙目のまま、男を見るも、口角は上がったまま。


「巫女なんて、ブッサイクなもんかと思ったが、気に入った。」


何とも失礼な事を言い放った高杉


「————千夜さんっ!!」


沖田の刀が高杉に向かって振り下ろされるも、難なく交わした男は、


「千夜っつうのか。」と、確認する辺り余程余裕がある訳で、


「借りは必ず……。」耳近くで囁かれ、


「じゃあなっ!!」


まるで何かを断ち切ったかの様に男は、後ろの塀を軽々と越えて姿を消す。


 よく考えてみたのだが、自分が彼と会ったのは、病気の時で、健康体の今、自分が気にかけて逃す必要は、全く無かった事に気づき、深く深く息を吐き出す。


「千夜さん、大丈夫です?」


「……はい。」


足は痛いものの、特に何かをされた訳でもなく、そう返事をしたのだが、頭上に感じる怒りの色に、視線を向けたくもなく、


「テメェは、何してんだよっ!!」


そう怒鳴られるのは、男を逃したからか、元いた場所に居なかったからのどちらかしか無く、


「……すいません。」


と、不貞腐れた様に謝るだけ。


「やっぱり、足痛かったんじゃないですか。」


立ち上がらない千夜に膝を付き言う沖田の優しさは、いつも彼女の胸を痛める。


「いつまで座ってんだ?」


「将軍様、見えました?」


土方の心配を他所に、そんな事を言う女。その頭に拳骨が降ってくる。


「————痛っ!!」


「歳、何も拳で叩く事はないだろうに。

将軍様は、見えたんだが、すぐにあの声が聞こえてね、引き返してきたんだ。」


「……そうですか。」


折角、将軍が見られたのに、ほんの僅かしか見れなかった近藤が可哀想に思える。


「怪我は……。


「怪我してねぇはずねぇだろ。叫び声が聞こえたんだから。」


「…………。」


痛いとか辛いとか、そう言う類の事を言うのは、嫌い。自分の弱さを認めたく無い。

————女である事も、認めたく無い。


「ほら、何処が痛えんだ?」


でも、自分は女で、彼が心配してくれるのは、少なからず自分が女であるからだ。


自分が男であるなら、こんなに優しくはしてくれないだろう。


「…………あ、し…が。」


認めてくれなくていいと言った。信じてくれなくとも良いと……。


(自分は、大嘘つきだ。)


認めて欲しい。信じて欲しい。仲間だと思って欲しい。自分は、貪欲な程に、そう望んでいる。


「あぁ?」


「足が痛いよ。よっちゃん…。」


甘えたい。気を張るのも疲れた。いちいち使い分ける事すら疲れた。


手を伸ばせば、やれやれと苦笑いした男は、自分へと身体を向け、救い上げる様に女を包めば、白い腕は、何の警戒心もないままに首へと回される。


 甘えた相手は、自分にとっては父の様な、兄の様なそんな存在。溶けてしまいそうな程に甘やかされ育った。その癖、剣術や隊務になると、それは許さない。普段は、過保護で甘いと周りが言うくらいなのに。


鼻を掠める匂いに誘われて、頬擦りすれば、焦った様な声がする。


「————っ!お前なぁ!」

ただ匂いを嗅ぎたかっただけで、他意など全く無い。


「だって、この匂い好きなんだもん。」


幼い頃から、この匂いの近くに居た。安心するのは、その所為。家に帰ると我が家の匂いが有るのと同じ。


「…………。俺は、どんな匂いなんだよ。」

「煙管と……、後よくわかんない。」


煙管は分かるが、後はよく分からない。汗なのか……。とりあえず、安心する匂いは変わらない。


「加齢臭じゃない?土方さんの場合。」


現状が気に入らない沖田は、素知らぬ顔をしてして、年寄りだと嘲笑う。


「……で、何処が痛いんだ?」


こう言う時の沖田に何を言っても無駄だと千夜の痛む場所を問う。視線は、足元へと行き着き、「どっちだ?」と問えば、「右」だと返答。なんの迷いもないままに、袴へと手を進めていく。


少し冷たい土方の手だが、流石に袴の中へ手を入れられるのは、周りの視線も宜しくないのでは?と、


「……あの……。」


と声をかけるも「動くんじゃねぇ。」と、一喝される。


「触られるのは大丈夫なんですけど、コレ、襲われてる様に見えませんかね?」


細い路地、傷を見る為とはいえ、袴に手を突っ込む土方。彼女の髪を見て、叫ぶ人が居た事を思い出す。


巫女は女だ。男に巫女なんて呼ばない。


「……歳。将軍様の警護に来たのに……。」


「俺にやましい事は、微塵もねぇだろうがっ!」


「人の目というものは、怖いものです。変な噂が立つ前に、帰った方が良さそうですね。」


と、千夜の頭に乗った笠。


「はぁ〜。しちめんどくせぇ。」


「だけどよ、巫女を知ってる奴が多いのは、なんだろうな。江戸じゃ聞いた事ねぇんだけどよ。」


と、永倉が口を開き、

「綺麗な髪色だから目立つっちゃあ、目立つがな。」

「巫女って何なんだ?」


と、藤堂が言うものだから千夜は、クスリと笑う。


「……千夜、また笑ったな?

なんで、俺の時ばっかり!!」


「だって、平ちゃん可愛いなって。」


にこやかに言い放つ女に悪気なんてモノは感じないが、二度目のコレに、


「またかよ……。」

「まただな。」


永倉と原田は、息を吐く。


「俺は、男だって言ってるだろっ!?」


「可愛いのに。」


彼女の可愛い定義がいまいち掴めない原田と永倉は、再び藤堂を宥める役を押し付けられ、彼女は、沖田を見てにっこり笑う。


「総ちゃんも可愛いけど。」

「…………そんな事いうの、ちぃちゃんぐらいです。」


聞き慣れない呼び方に、次第に視線を感じ、赤くなっていく沖田。呼んでみたものの、場を間違えた。と、後悔の真っ只中、


「総ちゃん可愛い。」


更に赤みを帯びていく彼に、とどめの様な言葉を浴びせる。


「————っ!な、なんでそういう事さらっと言うんです?僕、これでも……って、聞いてます?」


沖田に張り付いた千夜に、皆が目を見開いた。

「足痛いんで、運んでください。」


「分かりました。」


抱き上げる沖田。皆が見てる理由は一つ。彼は、女が怖かったのを知っているからだ。沖田と千夜を同室となったのもコレがあったから。


「総司、克服したのか?」

「いや。ちゃうと思うんやけど。

嬢ちゃんは、平気みたいやねんけどな。」



と、八木邸へと向かう途中、二人の様子を見ながら、試衛館の面々が話をしてる事など知る由は無かった。

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