消したい過去

沖田の瞳が見開かれる。笑った筈の千夜の目から流れた涙は、綺麗に一筋となって落ちていく。今の今まで、"総ちゃん"そう呼んでくれた彼女。


一線を引かしてしまったのは、間違いなく、僕だった————。


「……千夜さん?」

「部屋に帰りましょうか。すいません。起こしてしまって。」


気を張る彼女。唯一、気を抜ける場所を奪ってしまった……。彼女を探る様な事を聞いてしまったから。


『総司、お前に頼みたい事があるんだ。

あの女から"ケイちゃん"が誰か聞き出してくれねぇか?』


僕は、嫌ともいいとも言えなかった。自分自身、知りたかったのかもしれない。彼女の事を一つでも……


「千夜さん。待ってくださいっ!」


腕を引き、彼女を抱きしめるも、今までとは違い、身を固くさせる彼女に悲しみを覚える。


「大丈夫です。私は、此処から居なくはなりませんから。」


笑ってるのに、違和感しか無く、


「ただ、貴方だけは、他の人と違うと

————思っていたかっただけです。」


他の人から向けられる優しさとは違うと思いたかった。罪悪感から来るものだと思いたくなかった。結局は、彼は皆と同じ。


「千夜、さん?」


彼は、何も悪くは無い。彼は、彼の仕事をしただけ。


「風邪を引いてしまいます。部屋に帰りましょう。」


私に敵は居ないのに、私に味方は、誰も居ない。分かってくれなくていいと言ったのは自分なのに、勝手に胸を痛める自分は、案外貪欲な生き物だったのだと思い知らされる。


全て、分かっていた事なのに……。


自分の存在が無いこの場所で、生きていく手立ては、容易には見つからない。此処にいる為なら手段なんて考えない。例え、鬼に身体を差し出してでも、此処に居たい。


繋いだ手は温かいのに、全てが冷たくなっていく。辺りは暗闇で、小石を蹴る音が響き消えていく。


ふらり身体が傾いて沖田が支えるも、彼女は頑なに「大丈夫。」だと言い続ける。八木邸の門まですぐの筈なのに、部屋に着いた時には、辺りは優しく日が注いでいた。


「千夜さん。寝てください。」


言われるがまま布団に横になった千夜に、最早拒む事も言い返す体力も残っていない。ただ、薬を口にし、倒れる様に布団へと倒れた彼女の顔色は、決していいものでは無く、置きっぱなしにしてあった手拭いを固く絞る。


そんな沖田を視界に入れた碧い瞳。


「……どうして、そんなに必死なんです?」


甲斐甲斐しく世話をする沖田の心中は、全く見えない。だからか、ふと口に出てしまっていた。


「分かりません。」


丑三つ時に起こされたのに文句を言わず、今も手拭いを額に置いたのに寝る様子もない。


「……自分の事じゃないんです?」


腕を伸ばし、彼の心臓の辺りをトンッと軽く押す。


「あの、貴女を傷つけたのは謝ります。でも、コレが僕の仕事です。」


自分の仕事に誇りを持っている彼の表情は、凛々しく勇ましい限りで、小さな疑いを向けられた自分は、勝手に傷付く自分勝手な存在にしか思えず、小さな溜息をもらしてしまう。


「知ってますよ。見知らぬ人間が屯所に居る。疑うのは普通の事です。疑いが晴れるまでその視線は変わらない。」


己の手を見つめた千夜を見つめる男の視線が痛かった。


「苦しいんですよ。

貴方達を知ってるから、どうせなら、私の記憶すら消し去ってから此処に連れてきて欲しかった。過去は過去。貴方達は、私の知る彼らとは違うと、どんなに言い聞かせても、どうしても過去が消えてはくれない。」


悲しげに揺れる彼女の瞳に、気づけば手を取っていた。その手は温かく、熱も覚めぬまま話をしてくれた。その小さな喜び。先程、彼女を探る様な言葉を掛けてしまったのに。だ。


「あの、貴女の過去は、消さなくともいいんじゃないでしょうか?貴女の過去があるから、————今があるのでしょう?」


その言葉が、胸に染み渡っていく。

それはきっと、彼自身に心の傷があるからで、


「あの、実は、僕も消したい過去があったんです。」


ふと思い出したのは、一人の女性の姿。


「……お孝……。」


その名を口にした途端、彼は表情を曇らせた。


「本当に知ってるんですね。」


悲しげに揺れる瞳が全てを物語ってくれる。

「お孝は、助からなかったんですね。」


「知ってるんですか?彼女がどうして亡くなったのか……。」


それを口にするのは気が引けた。


「彼女は、ある人に想いを告げ、振られてしまいました。その後、彼女は自らの首を斬りました。」


何故なら、ある人とは目の前の彼の事だからだ。


「……そうです。

あれから、女の人が怖くなりました。」


彼は、その事を誰にも言わずに今まで生きてきたのだと言った。


「暗くなってしまいましたね。こんな話しして、すいません。熱もあるんで、寝てください。」


慌てた彼の手を掴んだ千夜は、天井を見つめたまま、


「お孝の想いを伝えますね。

私は、沖田総司が好きでした。貴方のそばに居たかった。想いを告げ、恋仲になる夢を見ました。でも、それは叶いませんでした。私が死のうとしたのは、想いを遂げられ無かったからではありません。卑怯な女だと言われても、貴方の記憶から消えて欲しくなかった。消し去って欲しくなかったから、私は死のうと思いました。」


歪んだ感情の果てに彼女は死を選んだ。


「……それは?」


「私の過去では、お孝は生きていました。私が彼女から直接聞いた言葉です。貴方を恨んで死んだのではありません。貴方が自分を責める必要は、何一つ無いです。」


ぽとり。ぽとりと生温かい物が手に落ちる。

横を見れば、彼の頬には、止めどなく流れる涙が伝い、千夜の手をぎゅっと握りしめる。


「……怖かったんです。ずっと。

あの光景が目に焼きついて、お孝は、自分を恨んで死んだのだと、思ってました……。」


この世界の彼女が同じことを考えたのかは、知らない。だが、あの言葉は、彼女から聞いた本当の話し。彼がほんの少し前を向けたのなら、話して良かったとも思う。


「ありがとうございます。千夜さん。」


泣き続ける彼に、

「私の過去が役に立ったなら良かったです。」

そう告げれば、睡魔が襲ってきてしまい、未だ泣き続ける彼の腕を引く。


「————っ!!千夜さん!?」


体勢を崩した沖田は、布団へと倒れ込み、掛け布団を掛け、口の前に指を一本置く。


「寝ましょうか。」


「……あの、それは、泣く男を見たく無いという意味で?」


掛け布団まで掛けられた沖田は、不服そうに倒れたまま問いかける。


「男だって、泣く時は泣きますよ。

私は、眠くなったので寝ます……。」



「ひとつ聞いてもいいですかね?

僕、男として見られてるのでしょうか??」


「…………。」


彼女から聞こえてきたのは寝息だけで、沖田は掛け布団を退かし彼女を見るが、スヤスヤと眠っていて、


「…………寝てるし。寝つき良すぎでしょうに。」


そう、文句を言う。


「人の前で泣いたのなんて、いつぶりでしょう?」


そんな事を考えて居たら温かい感覚に睡魔が襲いくる。鳥のさえずりが聞こえてきたな。と思いながら、彼の意識は遠ざかっていった。



数刻後、沖田の目蓋はゆっくりと開かれ、隣に眠る彼女に目を細めていく。彼女と一緒にいると、何故だか心が安らぐ。手拭いを水に浸け、絞れば水音が部屋に響く。


「不思議な子。だよね。」


自分の過去など話そうとも思った事は無い。

冷たくなった手拭いを額に置き彼女の目尻にあった涙の跡を指で拭った。


彼女がよく口にする名は、【よっちゃん・総ちゃん・烝】で、拷問していたあの時もその名を呼んでいた。彼女にとって、この三人の存在は、絶対的な存在である事は明白である。


夜中に話した時は、"沖田さん"だった。探る様な事を言ったのが原因であるが、アレは、仕事だった訳で、モヤモヤしたモノが胸の中に漂うばかり。


「に、しても、京に来てから暇だなぁ〜。」


道場にいた時は、指南をつけたり忙しなかったのに、京に来たら来たで、する事など自主的に剣術をするぐらい。


畳の上に大の字に寝転がってみるも、暇というものは変わる事すら無く、時折彼女の寝息だけが耳に届くだけ。


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