白と黒

「それは、本当だな?」


挑発する様に確認する土方には、すでに余裕など無かった。女を好いた訳ではない。

だが、背筋さえゾクゾクとさせる女に興味を持ち始めていたのは事実。


「嘘は、嫌いなの。」


その形のいい唇を―――塞いでしまいたい。

徐々に近づく男の顔


バシッ


「――――っ!」


鈍い音がして、目の前の男が頭を抱え悶絶した。


「何してんですか?万年発情期の土方さん。」


ドス黒いオーラを放った沖田の姿がそこにいた。彼が此処に居てもおかしくはない。此処は、彼の部屋だから。


「誰が、万年発情期だっ! !」


「貴方ですよっ!

たった今、鼻の下を伸ばしてたのに違うと仰るつもりですか?病人に、何するつもりだったんですか! ?」


「まだ、何もしてねぇだろうがっ!」


「僕が帰ってこなかったら、絶対してましたよね?」


言葉に詰まる土方に、言い訳も逃げ道もない。お膳を見た沖田は、千夜に掛け布団をかける。


「薬、飲みました?」


そう聞かれ首を横に振る千夜に手慣れた様子で薬を差し出し、竹筒を渡す。薬を飲んだ女は再び布団へと倒れ込む。


「寝てください。」


ゆっくりと頷いた千夜の目蓋が閉じていく。それを見つめる沖田の表情は、愛しい人を見つめる男のモノであり、土方は表情を固くしていく。


土方に身体を向けた沖田は、鋭い視線に顔を俯かせる。


「総司。」


この声色は、叱られる時に聞くものと同じで、拗ねた様に口を開く。


「……あの、僕、なんか叱られる様な事しました?別に彼女を逃がそうとした訳じゃないじゃないですか。」


「…………。」


無言を貫く土方に、自分の部屋なのに居心地が悪くなっていく一方で、視線を彷徨わせれば、桜色の髪が目に映る。


「仮に、彼女に気があるとして、何か問題でもあるんですか?」


「コイツには、間者の疑いがかかっている。」


未だそんな事を言う土方に、沖田は大きなため息を吐いた。


「間者の疑いがある女に、貴方は口付けしようとするんですか?」


「今は、お前の話をしてんだよ!」


言葉が出て来ない沖田は、視線を眠ってしまった千夜へと向ける。だがそれは一瞬で直ぐに男に向かい合った。こちらを向いた切れ長の美男子は、その目を吊り上げたままで、


「単刀直入に聞く。

お前、あの女に惚れたのか?」


予想通りの質問に、込み上げてくる笑いが先に顔に出てしまう。


「はぁ。そんな訳ないでしょ?

彼女の頬は、僕がやったものですし、近藤さんに頼まれた以上、ちゃんと面倒見なきゃでしょ?」


「本当だな?」


「嘘言ってどうするんです?」


「問いを問いで返すんじゃねぇよ……ったく。」


いつもの調子の声色に、内心ホッとしながら、小さく息を吐く。


己の中にあるモヤモヤとしたモノが恋というモノなのかは未だに謎。頬の赤みは若干消えてきているものの、完全に消えたら今のままなのかは自分ですら分からない。


ただ、言える事が一つあった。


「一つ言える事は、隊務を疎かにするつもりはありませんし、この子が間者であるなら、僕は迷わず、――――彼女を斬ります。」


それで文句はないでしょう?



そこまで言われてしまったのなら、引き下がるしか無く、土方は、お膳を手に部屋を出て行ってしまった。


酷く疲れを感じ、息を吐き出す。


「自分だって本当は、分かってるんでしょ?――――彼女は、僕たちに危害を与える人じゃ無い事ぐらい。」


間者なんて思っていない癖に、


「本当、素直じゃ無い人。」


自分の縄張りに入っただけで目を吊り上げる土方は、警戒心の塊の様。



「……総ちゃん……。」



寝てる彼女から聞こえた声に、沖田は頬を緩ませる。その名は、彼女の過去の人の名前だと分かっていた。


「僕は、此処にいます。」


綺麗な白い指に手を伸ばせば、ぎゅっと握り締めてくる。それだけで、心を温かいもので満たされていく感覚に、目を細めた。



日が高くなった刻限、千夜は褥の上に半身を起こし、腕に巻かれた晒しに手をかけた。


部屋の主人は、剣術をすると言って部屋を出ていった。


「————ッ。」


胸に痛みが走り、晒しにかけた手は、懐にある袋へといく先を変えた。竹筒へと手を伸ばした時、


「ほい。」


と声が聞こえて、視線を向ければ、そこには山崎の姿。


「薬、飲むんやろ?」


頷いて薬を口に放り込み、竹筒を受け取ってソレを飲み込んだ。


「……あり、がと。」


ずっと部屋に居れば姿を見せなかった男が、今日に限っては目の前に現れた事に身構える自分がいる。


「晒し、変えたる。」


「いい。自分で出来る。」


強がってしまう自分に息を吐きだすも、未だ胸の痛みは、千夜を襲う。


「痛いん?胸。」


襟元を掴み続ける千夜にそう声をかけた山崎は、彼女の近くに歩み寄る。


荒いままの息を整えようとしても思い通りにはならず、薬を飲んだから大丈夫。そう伝えるも身体さえ思い通りに動いてはくれない。


「家紋に嫌われた花を確認しに来たの?————山崎烝。」


手拭いを絞りながら苦笑した彼は、隠す事も無く頷いた。


「家紋に嫌われた花は2人や。」


さくらと椿。

確かに家紋に嫌われた花は、二人だった。


自分と双子の姉————。


そして、儚くも幼き頃に。そう言った芹沢。


この世界の千夜は、すでに死んでこの世に居ない。


「腹の傷を確認したかった訳か。」


そう言えば、山崎の瞳は見開かれていく。     

彼が確認したい傷は、丁度腰巻の下のあたり。子を宿す場所にある。それを知るのは、抱かれた男か、この傷が出来た事件を知っていて目にした者達だけ。


「いいの?土方歳三に私の正体を話さなくても。」


この男は、意外と律儀な性格である。

ゆるり首を横に振る山崎は、自分の素性を言うつもりはないと意識表示する。


「お前の事を調べても、なんも出てこんかった。」


何も出てこない事が白。という事では無い。存在もしない自分の情報が出てくるはずが無いのだ。


「そう。私は、江戸にいたからね。幼いときはほとんど…。」


きっと彼は触れたくは無いのだ。幼い頃の話しも、亡くなったはずの幼子が成長を遂げ、再び己の前に現れた事にも。


「安心して。君を縛る事はしない。」


「————ちぃ。」


彼は、確かに自分をそう呼んでいた。

懐かしさに微笑み返すも、彼の表情は曇ったまま。


正体などいつかバレる。

そんなモノはいつ明かされても構わない。とうに捨ててしまったモノなのだから。



その夜、丑三つ時を過ぎた頃、隣の布団から咳が聞こえた。それは苦しそうな咳で、浅い夢から現実へと引き戻される。


見慣れた天井に、ゆっくりと隣へと目覚めたばかりの視線を向ければ、隣で寝るはずの彼女の姿は無く、急速に脳が覚醒に向かい、慌てて半身を起こした。


ゴホゴホッ


部屋にまで聞こえてくる咳に、彼女が逃げたのではない事は理解したが、こんな時間に誰かに見つかったら、彼女の立場は悪くなる一方だ。遠ざかっていく咳を頼りに部屋を出る。


熱も下がって居ない彼女が、こんな時間に起きるのは、厠か、もしくは咳で僕を起こさない様にしてくれたか、どちらかであろう。


八木邸の門の手前で彼女が蹲っているのを見つけた。彼女の目的は、咳で誰かを起こしてしまわない様にする為の配慮であった事が明らかになる。


地べたに腰を着け、崩した裾からは傷のある足が見え、苦しそうに前方へと身体が傾いている。凄い咳をしながら、吐き出される息は白く変わり、肩で息をする彼女に歩み寄る。


「千夜さん。大丈夫ですか?」


襦袢一枚しか着ない彼女に声をかければ、肩が跳ねた。


「……っ…はぁっ……すいません。起こしてしまいました、ね……。」


どうして、此処まで出来るのだろう?

腫れた頬は、一日で治るはずが無く、未だに赤身を帯びている。


「咳なんて、気にする必要ないですよ。」


「————っ……。」


込み上げてくる逆流に彼女は顔を顰め口元を手で覆う。それに気づけば、背を優しく撫でながら逆流を阻止しようとする彼女に告げる。


「吐いて大丈夫ですよ。我慢する必要ありません。」


その言葉に、逆流するモノを阻止する事は困難を極め、とうとう地に吐き出した。口から透明の物が糸を引く。鼻をかすめる嫌な臭い。自分から出たモノであっても見たくもないと思うモノ。なのに彼は、それにも目もくれず、手拭いを差し出し


「井戸に行きましょう。口、気持ち悪いでしょ?」


そう言って手を引く。

千夜が立ち上がる時、足で土を掛けた音がした。優しさが胸に突き刺さる。


手を引かれ、井戸で口をすすぐ。

歩く度に身体には痛みが走る。それと同時に胸すら痛くなってくる。


「すいません。ありがとうございます。」


一線を引くのには、理由があった。

彼らの優しさは、全て、罪悪感から来たモノで、本来のものでは無い。それは、理解しているつもりだった。それとまだ彼らに一線引く理由は、千夜の中には存在している。


「いえ。千夜さん寒いでしょう?」


そう言われ、肩に掛けてくれた羽織りからは、彼の匂いがした。


「…………。」


その匂いを感じる度に、胸がつんざく様にいたむのだ。


「あ、そうだ。ちょっと僕、気になったんですけど、————"ケイちゃん"って誰です?」


胸が、痛かった。

自分が思っていた事が確かな事だと、知りたく無かった。彼は、彼だけは、心のどこかで違うと思いたかった自分を見つけてしまった。


冷たい風が、まるで自分を突き刺す様に感じながら、千夜は、羽織りを握りしめる。


「"ケイちゃん"は、私の従兄弟ですよ。沖田さん。」


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