episode 29『岬の古城』
荷物を持たずにカフェを出て、そのまま歩いて海に入った。
白い波が砕けていた。波を跨いで立ち、小さなガラスの舟を探した。もしも私が人間だったなら、波を両手ですくい上げるこの目には、涙が浮かんでいただろう。
もう波に飲まれてしまったかもしれない。想像すると胸が痛んだ。ガラス細工の小舟は私という存在の留め金のようなものだ。このまま見つからなければ、私という存在は結束を失い、
こうしている今も、岬の古城には私の影が佇んでいる。
私の足は水を含んで重くなる。湿気を吸った躰の感覚が鈍い。このまま、冷たい海に溶けこんでしまいそうだ。波に揉まれるうち、私の躰はバラバラに分解されてしまうだろう。関節の金属が錆び、手足がもげるまで、数日とかからないに違いない。
岬の古城では私の影が徘徊し始める。私という存在が解け始めている。岬の古城にいる私の影は、ガラスの舟のことなど意に介さない。
私は両手で海水をかき回し続ける。だが、もう波に攫われていってしまった頃だろう。
私という存在から解き放たれた影。私とは違い、この不便な人形の躰を持たず、欲望のまま飛び回る怪物。欲望のままに生きて、醜く死んでいくことだろう。そう考えると、私の生命が私のものでないことが、口惜しい。
だが、分解を始め、混濁した意識の端で醜い獣を睨んでいることしか、私にはできないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます