episode 15『人面』

 少女は人の顔をした獣の絵が苦手だ。

 森の火事から鳥や獣が逃げ出しているという構図の絵だった。

(もし……。もし……)

 初めは気がつかなかった。だから呑気にその絵の前でお茶を飲んでいられたのだ。誰かにそっと声をかけられているような気配を感じて振り返った。

 そこにいたのは仮面を着けたように顔だけが人間のものになっている豚のような獣だった。

 思わず漏れそうになった声を飲み込んだ。

 進行方向に顔を向けた獣が多い中、その豚だけは明らかにこちらに視線を定めているのが異様だった。もう一体、隣りにいる鹿のような獣も人間の顔を持っていたが、そちらは樹上の鳥か何かを眺めているようだった。鹿の方は髭をたくわえているので男性と思われる。豚の方は女性だろうか。中年に差しかかった辺りの年齢。髪は伸び放題で泥のような目つきをしていた。あまり利発そうには思われない。

(もし……あなた……。こちらを……)

 一瞬目が合ったように思ったものの絵画越しではよく見えないのかもしれない。それとも画角の少し奥にいるせいで距離があるのだろうか。少女にはどうも女性が自分のことを呼んでいるように思われてならなかった。気味が悪い。

  そのまま気づいていない風を装った。静かにお茶を飲み干してカップを片付けにキッチンへ向かった。

「伯母さん、あの絵捨てた方がいいよ」

 並んで洗い物をしながら少女が言った。

「何かあったの? 旦那が若い頃に描いた模写なの。母さん家の蔵が焼けた時もあの絵だけ残ってね」伯母は大笑いして答えた。「気に入ったならあげるわよ」

 冗談じゃないと思いつつそそくさとその場を離れた。火事で焼け残った火事の絵なんて曰く付きもいいところではないか。

 何かを訴えるような獣の目が不気味だった。呼びつけて何がしたかったのだろう。まさかこっちへ来いというのでは……。少女は不吉な思いを振り切るように風呂から飛び出た。

 その夜少女は絵の中の森を歩いていた。逃げ惑う獣たちを掻き分けるうち、いつしか火の元へ向かっているようだった。泣きたいのを我慢しつつ足を動かし続けていたのは、すぐ横にぴったり寄り添うようにしてあの豚がくっついてきていたからだ。

「もし……あなた……」

 その続きは聞かないように感覚を閉ざしていた。手のひらに触れる獣たちの被毛も、肌を焼いて次第に強くなる熱気も何も感じないように。ただただ足にだけ意識を集中させて。



   〈了〉

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