第23話 新しい人生への第一歩

「あれ?彩花?」

アイツと別れてから5年の月日が流れた。

会社を辞めてから、抜け殻のようになった私を心配して、主人が猫を二匹貰って来た。

「俺達には子供はいないから、代わりにでもなれば……」

そう言って渡された小さな命。

私は少しずつ、日常を取り戻し始めた頃だった。

近所のスーパーでパートをしている私に、懐かしい人物が声をかけて来た。

「小田切!どうしたの?」

品出しをしていた手を止めて小田切を見ると、手にはベビー用品を持っていた。

「え!小田切、もしかして!」

私が微笑んで言うと

「違う、違う!これは三島のお祝いだよ!」

と叫ばれた。

『三島』と言われて、ドキリと心臓が高鳴る。

「お前が辞めた後、かなり荒れてたんだよ。それで、今はウチの営業所に居るんだ」

そう言われて心がザワつく。

「まぁ、何度か離婚の危機もあったみたいだけど、奥さんが必死に立ち直らせて、やっと今年パパになったんだよ」

と笑って話す小田切に、私も微笑み返す。

「そっか……」

そう呟いた私に

「なぁ……お前が会社を辞めたのって……」

と小田切が切り出したのを

「ほら!お祝いを包んでもらうんでしょう?」

そう言って背中を押して話題を逸らした。

「なぁ、彩花。お前はこれで良かったのか?」

ポツリと言われた言葉に、私は笑顔を返した。

「ねぇ、小田切。私にも可愛い子供がいるの」

私の言葉に、小田切が驚いた顔をした。

「まさかそれって……」

「見て!可愛いでしょう、うちの息子二匹!」

写メに映し出された猫二匹を見せると、小田切がびっくりした顔をしてから

「お前がそれで良いなら、良いけどさ……」

そう呟くと

「お前ら、本当に不器用だよな」

と言われて、私は泣きそうになった。

別れてからの5年間。

本当に辛かったし、苦しかった。

ようやく最近、ゆっくりとだけど歩き出したばかりだ。

「お前に会ったことは、言わないでおくよ」

そう言われて、私が頷くと

「三島な、来週から九州支社に異動になる。奥さんの実家の近くで暮らすそうだ」

と続けた。

「そう」

微笑んだ私に

「なぁ、彩花。三島な、花火が嫌いなんだそうだ。お前なら、その理由が分かるんだろうな」

そう言われて、あの日の花火を思い出した。

「さぁ……?」

小さく首を傾げて答えた私に

「お前が女の顔になるのは、アイツの事だけだな」

そう言い残して、小田切はゆっくりとサービスカウンターへと歩いて行った。

私は品出しを終えて、ゆっくりとバックヤードに戻る。

すると手が震えている事に気付く。

「そっか……、アイツもパパになったのか」

ダンボールの山に隠れるように埋もれ、頬を流れる涙を拭う。


私も、あの日から花火が嫌いになった。

アイツの体温ぬくもりを、匂い《かおり》を、呼吸を思い出すから……。


あの、幻のように幸せだった2日間。

ようやくセピア色になりかけたのに、アイツの名前を聞くだけで5年前に引き戻される。

「情けないなぁ~」

独り言を呟き、小さく微笑んで

「健人……奥様のご出産おめでとう」

と呟いた。

そしてあの日、アイツとの別れを選んで良かったと……そう思った。

込み上げる涙を堪えるように、天井を睨むように見つめた。


「彩花」

って私を呼ぶ声が好きだった。

笑うと無くなる目が好きだった。

私を抱き締める腕が好きだった。

PCのキーボードを、軽やかに叩く長くて綺麗な指が好きだった。

仕事の時にだけ掛ける、メガネの顔も好きだった。

無表情なくせに、眉で感情を表す所も好きだった。

アイツの風に靡く黒い髪も、私を見つめる熱い眼差しも、長いまつ毛も、薄くて小さな唇も……全部、全部、アイツ「三島健人」という存在全てが大好きだった。


思い出すと、まだこんなにも好きが溢れ出す。

あんな別れ方しか出来なかったけど、私が本気で愛したのは……健人、あなただけだよ。

だから私は、どんなに遠く離れていても……健人の幸せを願っているからね。

そう思って気持ちを切り替えていると

「鮫島さ~ん、居る?レジ、手伝ってくれる?」

と、扉の向こう側から声が聞こえた。

「は~い!今、行きます」

涙を拭い、頬を両手で叩いて笑顔を作る。

大丈夫、私はまだ笑える。

バックヤードの内側にある鏡で顔をチェックして、バックヤードの扉を開いた。

私は「鮫島彩花」として、生きると決めたから。

だからもう、後ろは振り向かない。

新しい人生の第一歩を、本当の意味で今、私は歩き出した。【完】

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花火 青空 @Aozora_6

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