第19話 別離~わかれ~

 その日、私は部長に退職届を提出した。

アイツと別れるには、離れるしかないと分かっていたから。

あの日以来、アイツの奥さんが泣いている姿は見ていない。

「きちんとするから……、バレないようにするから……」

縋るように言われて、結局、有耶無耶にされてしまった。

それでも、私はアイツとの逢瀬だけは避け続けた。

会社で会えば挨拶を交わす、まるで出会った頃に戻ったような関係に戻った。

違うのは、書類を渡す指先が触れるだけで泣きたくなってしまう厄介なこの気持ちだ。

そんなある日、緊急事態で残業していると

「鮫島サン、ラストですよ。サーバー、切りたいんですけど」

懐かしい言葉に涙がこみ上げてくる。

必死に涙を隠して

「あ!今終わらせる。遅くまでお疲れ様」

そう言って微笑むと、アイツの手が私の腕を掴んでスマホで連絡を入れ始めた。

「あ、俺。うん、今朝話した通り、夕飯外で食べて帰るから」

そう言われて、慌てて見上げると

「じゃあ、帰りましょうか」

って歩き出した。

駅に行っても、いつもの駅に着いても手を離さないアイツ。

「ホテルに行かなくて良いですから、飯くらいは付き合って下さいよ」

そう言われて頷くと

「会社……なんで辞めるの?」

ポツリと言われて、ハッとして顔を上げた。

泣きそうなアイツの顔に、胸が痛くなる。

「俺のせい?俺が好きになったから?しつこく追い回すから?」

歩きながら言われて、私は首を横に振り続けた。

「私が……健人を好きになったから……」

涙を堪えて、必死に笑顔を作る。

「だったら!」

「私じゃ!私じゃ……あなたの遺伝子を残せない……」

涙が一粒、頬から流れて落ちた。

「そんなの要らない!」

私を抱き締めて言われて

「彩花の居ない未来なんて、欲しくない」

そう言われて涙が溢れた。

「私が嫌なの……」

「彩花……俺達には、さよならしか道は無いのか?」

涙を流すアイツに、私は小さく頷いた。

「私ね、健人の子供が見たいの。絶対、可愛いと思うよ」

「彩花……」

そっと頬に触れる手が震えている。

「最後に、お願いがあるんだ」

そう言われて見上げると

「来週の金曜日、一緒に行って欲しい」

と手渡されたのは、何処かの住所だった。

「最初で最後のお願い」

そう言われて、私はゆっくりと頷いた。

私が会社を終える最後の日、主人は職場の人と二泊三日の最後の別れを惜しんだ泊まりがけの送別旅行だと思っている。

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