嵐神(バアル)こそわが救い ~シチリア、パノルムスに吹きすさぶ嵐~

四谷軒

01 プロローグ 紀元前二五一年、シチリア、パノルムスにて

 大地が轟く音が聞こえる。

 微細な揺れ、大きな揺れ。

 そう、大地が揺れていた。


 時は紀元前二五一年。

 ここはシチリア、パノルムス。

 共和政ローマ執政官コンスルメテッルスは、そのパノルムスの城壁の上から、迫るカルタゴ軍の戦象部隊を見ていた。


「来るか、ハスドルバル」


 ハスドルバル。

 カルタゴではわりと一般的な名前で、のちにローマを大いに脅かすハンニバル・バルカの義兄と弟も同名のハズドルバルである。

 だが、紀元前二五一年、この第一次ポエニ戦争のパノルムスの戦いにおいて。

 今、戦象部隊を率いるハスドルバルは、カルタゴの大貴族、大ハンノの息子のハスドルバルである。


「来たぞ、メテッルス」


 ハスドルバルは遥か城壁の高くを望み、そこにメテッルスが立っていることを認めた。


嵐神バアルこそわが救い、という意のわが名にふさわしく、メテッルス、お前たちローマにとってのが――おれだ!」


 ハスドルバル嵐神こそわが救いは、ひときわ大きい象の上で、吼えた。騎象もまた、吠えた。

 その咆哮に、ローマの将兵は狼狽えた。


「先の執政官コンスルを踏み潰した、象だ」


執政官コンスル、レグルスは拷問で苦しんだ末に、象で」



 ……数年前、執政官コンスルを務めたレグルスは、当初こそアフリカに上陸し、カルタゴを追い詰めたが、アディスにて敗北を喫す。

 捕らえられたレグルスは、カルタゴでこう言われる。


「ローマに降伏を勧めよ。帰ってくると約束するなら、一度ローマに戻してやる」


 この話に乗ったレグルスはローマへ向かった。

 カルタゴの市民の心無い者は「あれを見ろ、裏切者だぜ」と嘲笑した。

 ところが。


ローマの元老院と市民諸君SPQR(Senatus Populusque Romanus)! カルタゴに屈するな!」


 徹底抗戦を訴えたレグルスは、周囲の制止を振り切り、約束通りカルタゴへ「帰った」。

 「帰った」先で。

 怒り狂ったカルタゴの市民が待ち構えており……。



「……あの巨象に踏み潰されたそうだ」


「…………」


 城壁の上で兵士たちのおしゃべりに耳を傾けていたローマの執政官コンスル・メテッルスは、迫る巨象、そしてその上に立つカルタゴの将軍・ハズドルバルと対峙した。


「……一別以来か」


「……あの嵐の日に言ったとおり」


「私が」


「おれが」


「貴様を討つ!」


 最後の台詞は重なり、そしてメテッルスとハズドルバルに、それぞれ少年の頃の思い出の中へと、一瞬、立ち戻らせていった……。

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