第6話

 夕方。今日出された宿題も一通り終わって、一息つこうと、腕を上げて背筋を伸ばす。


「ふう……」


 時計を見れば、そろそろ夕飯の準備を始める時間だ。

 今日の服は何にしようか。迷ったすえ、先週買った白と黒のワンピースを着た。

 鏡で自分の姿を確認する。


「うん。ばっちり」


 それにしても、隣の家に行くだけなのに、自分でも笑っちゃうくらい気合いの入った格好をしている。

 でも仕方ない。りゅうたろーに情けない姿は見せられないし、見せたくない。

 鼻歌を歌いながら靴を履いて、ドアに手をかけようとしたとき、それは私が触るよりも早く開いた。


「ただいまー!」


 ドアを開け、とびっきり明るい笑顔でそう言ったのは、私の母──美咲 南奈ななだ。


「お母さん!」

「絵梨奈〜! 会いたかった。……てあれ? もしかして今日出かけちゃう?」

「あ、うん。ごめんね? いつもの……」


 りょうたろーのとこほどじゃないけど、私の家も共働きの上、両親とも忙しい。

 だから、お母さんと一緒に晩ご飯を食べれるのも週に一度か二度のレアイベントなのだ。

 私としてもなるべく一緒に食べたいけど、今日はもうりゅうたろーに家に行くって言っちゃったし、今さらキャンセルはできない。

 ……というか、今日はどうしてもりゅうたろーの家に行きたい気分だった。


「それで? 何か進展があったの?」


 お母さんはにやにや顔で首を傾げる。


「え、な、なんで?」

「だってすごく機嫌良さそうだし」

「だからってりゅうたろーに関係するとは!」

「私竜太郎君なんて言ってないわよ?」


 顔が熱くなるのが分かる。

 私がりゅうたろーのことが好きであることを知っているのは、私を除けば私とりゅうたろーの両親の四人しか知らない。

 けど、その四人にも私は教えた覚えはない。

 りゅうたろーの両親には、りゅうたろーのことは自分に任せてほしいと直談判したぐらいだし、私の料理の師匠はおばさんなんだからバレるのも仕方ない。

 だけど私の両親には完璧に隠してるつもりだった。絶対からかわれるって思ってたし。それなのにいつのまにかバレてた。

 曰く、「娘の恋くらい気づく。それにあなたは隠すのが下手」、らしい。


「で? どうなの?」

「なんでもないから! 私もう行くね!」

「あっ、ちょっ、気をつけてねー。いってらっしゃーい!」


 私は逃げるように家を出た。

 全く、これだからバレたくなかったのに。

 家は隣だから、あっという間にりゅうたろーの家には着いて、インターホンを鳴らす。

 しばらく待ってみるけど返事がない。寝ているのだろうか? それともトイレやお風呂? あっ、もしかしたらイヤホンしてゲームしてるのかもしれない。

 まあなんでもいい。どのみち合鍵は持っている。


「おじゃましまーす」


 …………。

 相変わらず返事はない。まあ何にしても、ご飯ができたときにいなかったら、そのときまた呼べばいいだろう。

 玄関を真っ直ぐ進んで、リビングのドアの前に着く。部屋の電気は付いている。りゅうたろーは中に?

 ドアを開ける。テレビもついていて、わずかに寝息が聞こえる。

 りゅうたろーはソファーでだらしなく寝ていた。

 朝も授業中も今も。よく寝る奴だ。

 私は毛布を拾って、りゅうたろーに優しくかける。


「にへへ……」


 りゅうたろーの顔をじっと見ていると、気持ち悪い笑い声が漏れる。


「ふんふふーん!」


 私は鼻歌を歌いながら、調理に取りかかった。

 作りながら、お昼休みのことを思い出す。

 りゅうたろーってば、そんなに私の作る料理が好きだったなんてねー。全く仕方ない奴だなあ。

 それに、今までにないくらい良い雰囲気じゃなかった? 甘酸っぱくて、踏み込みたいけど踏み込めない恋の切なさ。

 流石のりゅうたろーでも、あれにはドキドキした……はず? だよね。

 今日はいつもより調子が乗る。あっという間にほとんどを作り終えてしまった。

 どうしよう。いつもより早い。まあ別に問題はないんだけど、あんなに気持ち良さそうに寝てるのを見たら、もう少しくらいそっとしといてあげたい。


「そういえば、オムライス……」


 遥の作ったオムライスを食べて、随分と喜んでいた。

 りゅうたろーのお気に入り料理ではなかったはずだけど、あんだけ喜んでたのなら好きなのかな? 味覚って歳が経つにつれて変わるらしいし、ありえるかも。

 主食はもう作ってしまったけど、遥が作ったようなミニサイズなら……。

 材料は幸いある。うん。作ろう。

 ということで、追加のオムライスを作ると、ちょうどいつもの時間帯だ。


「りゅうたろー、ご飯よ。起きなさい」

「ん、んん……。絵梨奈……」

「あなた寝すぎ。顔洗って目覚ましなさい」

「あ、ああ。ありがと」


 りゅうたろーが顔を洗うあいだに盛り付けて、皿を並べる。


「おっ、今日はカレー、か……? いや、カツカレーか!」

「まあね。なんとなくたまたまそんな気分だったから」


 なんてね。りゅうたろーはカレーもカツも大好きだ。今日は気分がいいから大サービス。

 りゅうたろーが席に座ってから、二人で手を合わせる。


「「いただきます」」


 食べながら、ちらちらとりゅうたろーの顔を伺う。

 一口食べる度に幸せそうに笑って可愛らしい。

 いつものことだけど、こうして二人で食卓を囲んで、食事をする。こんなに素敵なことはない。

 けど、少し寂しくもある。すごく静かだ。本当はもっと、色々話したい。私達はいつでも一緒にいるのに、極端に会話量が少ない。

 こんなんじゃダメだ。だけど、恥ずかしくて素直になりきれない。


「そ、そういえば、さ……」

「えっ?」


 不意に、りゅうたろーが口を開いた。

 いつもなら絶対ありえない。もしかして、今日の学校での効果?


「さっき、お前が来る前にテレビ観てたらさ。映画の告知があって……。昔二人で観に行ったアニメ映画の続編だって……」

「そう……」


 ああー! どうしよう。学校なら人がいるからまだ大丈夫だけど、二人きりの空間だと何倍も緊張して、そっけない返事で精一杯。

 本当はりゅうたろーが一緒に観に行った映画を覚えててくれたこと、飛び上がるぐらい嬉しいのに。


「覚えてるか? ほら、昔は結構仲良くて、一緒に良く遊んでただろ? そんときに、観に行ってたんだ……」

「あ……、えっと……」


 言え。言うのよ私。

 これは、この流れは完全に映画を誘われる流れ!

 私が一言返事すれば、必ず誘ってくる。そうすれば、約五年ぶり。念願のデートができる。


「覚えて、ないわ……」


 バカー! 私のバカ! アホ! アンポンタン!

 頭が熱くなって、真っ白で、全然素直になれない。

 嘘なんです。本当は日にちもそのときの天気も、会話の内容だって事細かに覚えてるんです。


「あ、そっか……」


 ほら見なさい! りゅうたろーがしゅんって完全に落ち込んでるじゃない!


「「………………」」


 最悪よー!

 しーんってなってしまってるじゃない。せっかくのデートが流れちゃった。もう完全に誘われる雰囲気消えちゃったじゃない。

 あーどうしてこうも上手くいかないの?


「まー仕方ないよな。結構前だし。なんでもない、忘れてくれ」

「まっ、待って……」


 私は震える手で、りゅうたろーの袖をキュッと掴む。


「覚えて、ない……。けど、思い出す、かも、しれないから……」


 お願い。誘って。お願い……!


「えっと、じゃあ、絵梨奈も一緒に観に行く……?」

「う、うん……! 絶対、行く。行くから! ……って、え? 私も?」

「おう! いやーよかった。絶対断られるかと思ったし。誘っといてって言われたのに断られたなんて知られたら……」

「ちょっ、ちょっと待って」


 何かがおかしい。


「えっと、あなたと私、二人っきりで行くの?」

「いや、遥も一緒に……」

「へ?」

「ていうか俺も、遥に誘われてて」


 な、な、なぁ……っ!


「いやー、でもほんとよかったよ。遥に絵梨奈連れてこなきゃ昼飯奢りとか言われててさ。助かったー!」

「この……!」

「結構面白かったし。絵梨奈もDVDでも借りて観たらすぐ思い出して──」

「りゅうたろーのバカー! もう知らない!」


 何よ。デートかと思って損した。

 そりゃ、別に三人で行くのが嫌なわけじゃないけど、どーせなら二人の方が……っていうか、あの流れと雰囲気でデートじゃないってなんなのよ。

 本当に私のことなんとも思ってないの? ただの幼馴染くらいしか思ってないの?


「な、なあ……。何怒ってんだよ。俺何かやったか?」

「うるさい! 話しかけないで」

「いやでも……」

「……どっ!」

「ど?」

「どうしても、許してほしいなら!」


 私はミニサイズのオムライスを掴んで、りゅうたろーの口元に伸ばした。


「これ、食べなさい」

「えっ、そんなんでいいの?」

「ええ。特別にね。あっ、あのっ、一応言っとくけど小さいこれが可愛いなって思っただけで、初めて作るし、あなたは遥のを一度食べてるから、その、アドバイスがほしいだけなんだからね!」

「あ、ああ! そういうこと。なるほど、たしかに。じゃ、じゃあ、こっちの皿に置いてくれよ」


 りゅうたろーが自分の皿を私に近づける。

 緊張と恥ずかしさで、寂れた機械みたいに重い首を、なんとか横に振る。


「このまま、食べて……」

「はあ!? いや、だって……お前こら、間接キス。ていうか、あーんだぞ!」

「でも、絵梨奈のは、こうしてたじゃん……。私にも、してよ……」

「それは……! ていうか、お前はいいのかよ」

「いい、から! お願い……」


 涙をぐっと堪えて、りゅうたろーを見つめる。しばらく目があったまんま時間が止まって、やがて意を決したように、りゅうたろーはごくりと唾を飲んだ。


「わかった……」


 控えめに口を開いて、オムライスを食べようとするけど、小さすぎて唇に当たる。

 りゅうたろーの顔が真っ赤になった。


「もう、何やってるのよ」

「い、いや、悪い……。じゃあ、いただきます」


 今度はちゃんと口を開けて、ガブリ、と頬張った。

 しっかりと咀嚼して、飲みこむ。


「ど、どう? 味は……」

「美味かった。すごく……。けど、まあ、その……あくまで個人的になんだけど……。ちょっと、甘かった、かな、なんて」


 目をそらしながら、りゅうたろーはそう言った。


「そう……」

「ああでも! すげえ美味かったし、ただの俺の好みの問題だから、な?」


 ああもううるさい。さっきからドクドク、ドクドクと。これじゃあせっかくりゅうたろーの前なのに、よく聞こえないじゃない。

 しかもさっきから意識がぼーっとして、体が熱い。周りがよく見えない。

 ああ、ほんとにまずい。私、間違いなく興奮しちゃってる。ほんと最悪。暴走しちゃう。

 もう、ほんとに、どうなっても知らないからね。


「…………ッ!」


 私は、さっきりゅうたろーが頬張ったスプーンを咥えて、ゆっくり舐めながら出した。


「ほんとだ、甘いね……」


 そう言って、ふんわり優しく笑う。

 もう少し、もう少し。りゅうたろーの顔は真っ赤で、私を見てドキドキしてくれてるのがわかる。このまま、好きだと伝えちゃたい。

 ほんとはりゅうたろーから告白してもらうか、最低でも両想いって確証が持てないと告白なんてしないつもりだったけど、もうそんなの、知らない。

 今はもう、想いを伝えたくて仕方ない。緊張も恥ずかしさも、全部どこかに捨ててしまった。こんなチャンス、もう二度とこないかもしれない。

 これを逃したら、絶対後悔する。だから、だから……!


「あ、あのさ絵梨奈……」

「何? りゅうたろー」

「いや、その……。なんで、こんなことするんだ? お前は、お前は、俺を」

「簡単よ。だって、私、りゅうたろーのことが……す、す、す……」


 好きだから。好き。好き。好き。届いて、お願い。


「す?」

「す、す……──」


 りゅうたろー、大好き……。


「──隙だらけ!」

「は……?」

「隙だらけなのよあなたは! いつもぼーっとして、そんなんじゃ悪い女に騙されるかもしれないでしょ? だから抜き打ちテストしてあげたのよ」


 やっぱ無理ー!

 ていうか何? 抜き打ちテストって! こんなの流石に無理あるわよ!


「おま、でも! 間接キスだぞ!」

「ふっ。小学生じゃあるまいし、間接キスなんか気にしてんじゃないわよ。まさか、そんなんでドキドキしちゃったわけ?」

「は、はあ?」

「相手が私や遥だったからよかったものの」


 ああ、死にたい。


「まあ、私の気持ちとしてどーでもいいのだけれど、もしあなたが悪い女に引っかかったりしたら。お世話係の私としては良い顔できないでしょ? ほんと、世話が焼くわ」

「こ、この野郎……!」

「何よ。本気で意識しちゃったわけ?」

「なわけねーだろ! 知るか!」


 りゅうたろーはやけくそ気味にテレビをつけて、この日はそのまま解散になった。


「はあ……」


 ベッドにダイブして、スマホの写真アプリで自分の顔を見る。

 もう自分の部屋にまで帰ってきたのに、まだりゅうたろーに負けないくらい真っ赤だ……。


「うじうじしても、仕方ないよね……」


 意識は、してもらえた。

 次は、振り向かせる。

 そしていつか、このリベンジを果たす。絶対に。

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