第3話
遅れて教室に入ると、俺の席の周りに人だかりができていた。
いや、正確には俺じゃない。俺の隣の席の、絵梨奈の周りにだ。
四方八方にいい顔してばかりの絵梨奈は男女問わず人気者だ。だからこうして、空き時間のたびに自然と人が集まる。俺はクラスメイト達をかき分けて、なんとか自分の席に座る。
「おーす、竜太郎」
「おーう、おはよう」
クラスメイトからの挨拶に適当に返事をして、俺は今日提出の課題を取り出す。まだ一切手を付けていない、生まれたままの姿だ。
なになに……放物線とX軸に関して対称な放物線の方程式を求めよ、か。
「あれっ、星川君も宿題やってきてないの?」
ちょうど絵梨奈の前の席、つまり俺の斜め前の席の柏木さんが、俺と同じく全く手を付けてないプリントをひらひらさせながら話しかけてきた。
「まあね。柏木さんもサボり?」
「私はサボりっていうか、考えたんだけどわかんなくて」
柏木さんはえへへ、と笑う。
そういえば、柏木さんは勉強苦手だったっけ。
「星川君は違うの?」
「いや、別に得意ってわけじゃないけど、このくらいなら」
ぱっと見た感じ、これといって難しそうな問題もないし、問題数も少ない。数学は二限目だから、今からでも十分間に合うだろう。
「えぇ……、私なんてさっぱりだったのにー。じゃあさ、終わったら写させててよー」
「ジュース一本で手を打とうかな」
「何気高いな」
「やめとく?」
俺が挑発気味にそういうと、柏木さんは慌てて手を振った。
「やるやる! 奢るから見せてよ」
「よっしゃもらい!」
早速続きに取りかかる。
えーっと、放物線の式がY=2X²+……
「竜太郎、また宿題やってこなかったの?」
げぇ。まずいやつにバレた。
絵梨奈は呆れた目で俺を見る。
「しょうがないな。私が教えてあげるよ」
さっきまでの二人きりのときとは別人みたいに優しい声。周りに人がいるとき限定で見せる、俺に対しての親切な顔だ。
「いやいやいや結構ですよ」
「ほーら、遠慮しないの」
「でも柏木さんとの約束が」
「柏木さんは私のを写したらいいよ」
あの真面目な絵梨奈がいきなり介入したことで、約束が破棄されるのではと不安げな表情をしていた柏木さんの顔が一気に晴れる。
「ほんと!? ただで!?」
「もちろん。友達でしょ?」
「さっすが絵梨奈ちゃん! ありがとっ」
絵梨奈に渡されたプリントを嬉しそうに受け取ると、柏木さんは夢中で書き写し始めた。ず、ずるい……。
「さ、竜太郎は私が教えてあげる」
「いや俺もプリントをくれればそれで」
「いいから遠慮しないで」
そう言いながら絵梨奈は席を立つと、「よいしょ」っと俺の椅子に座り始めた。
なに――!? 心の中で絶叫する。
「ちょっと、もう少しあっち行ってよ。狭くて落ちちゃうじゃない」
「あ、ああわり」
と、絵梨奈ように半分空けたところで我に返る。
「うん、ありがと」
「いやおかしいだろ!」
「何が?」
「この体勢がだよ!」
「だってこの方が教えやすいじゃない」
「だったら自分のイスごと移動すればいいだろ!」
「そんなのめんどくさいでしょ?」
全然めんどくさくねーよ。
というか、本当にやめてほしい。
絵梨奈は学園のアイドルだ。そんな奴と一つのイスを分け合って座ってるなんて、良いように思われるわけがない。男子どもの視線が痛い。
「あの野郎幼馴染だからって……!」
「コロスコロスコロスコロスコロス」
「ターゲットを捕捉。迎撃に移ります」
「ムッキー! アタシの竜太郎ちゃんに!」
おいちょっと待て。今一人方向性違う奴いなかったか?
「あのな、別にこんぐらい教えてもらわなくても」
「何言ってるの。数学の先生は厳しいんだから、万が一間違ってたら成績落とされることだってあるかもしれないんだよ? こんなプリント一枚で下がるなんて馬鹿らしいでしょ?」
うぅ……、やっぱりだめだ。
そりゃ俺だって、好きな子とこんだけ密着できたら、普通は嬉しいに決まってる。けど、こいつの猫を被った演技だけはどうも苦手だ。
いつも罵倒されてばかりだから調子狂うというか。変に落ち着かない。
こんな甘々な雰囲気なんて違う。こいつはもっとこう、蔑んだ目と、刺々しい言葉で俺の自尊心をへし折ってくるような……。いや、別に俺はドМじゃなければ罵倒されたいわけでもない。ただ何というか、背中がムズムズして仕方ない。
顔や声、体型は同じでも、これは本当の絵梨奈じゃない。ほとんど別人だ。
そう考えると、どうしても好意や喜びよりも嫌悪感の方が上に来てしまう。
「な、なあ絵梨奈……どういうつもりだよ」
俺は周りの奴らに聞こえないよう小さな声で話しかけた。
「言ったまんまよ」
同じように絵梨奈も小声で返す。いつもと同じ、冷ややかな声色だ。
「あんたの成績が下がったら、お世話係の私の面目がつぶれちゃうでしょ」
何だよお世話係って。俺はウサギか。人参はどちらかと言えば嫌いだぞ。
「あのな、流石にそこまでは俺の両親も求めてないと思うんだけど」
「いいから黙ってやりなさい。普通私とこんな状況になれるって知ったらみんな泣いて喜ぶわよ」
「それはそうかもしれんが……」
「そ、それとも! あ、あんたは私とじゃい、嫌なの……?」
「当たり前だろ! 今のお前ははっきり言ってきら――痛って!」
ドンッという音と俺の悲鳴にに、みんなの視線が俺に集まる。
言葉の途中で、絵梨奈に思いっきり足を踏みつぶされた音だ。
俺は涙をこらえてフォローを入れる。
「いや、何でもないから気にしないで」
俺が興奮して暴れたとでも思ったのだろうか、羨ましそうな、蔑むような、そんな目で俺を見て、再び各々で話し始めた。
俺は絵梨奈の肩を掴んで言う。
「おい、なにすんだよ!」
「うるさい……」
「は?」
絵梨奈はキッと俺を睨む。
顔は真っ赤で、目に涙を溜めている。
「私だって嫌なんだから、さっさと終わらせなさいよ」
「な、なんだよ。泣くほど嫌なら座るなよ」
「……あんたなんて大っ嫌い」
だ、大っ嫌い……。
でかくて重い、隕石みたいな岩が俺の心に落ちてきた。
「……そんなの、俺もだよ」
結局、それ以上の会話は俺達にはなく、問題を解き終わる頃には絵梨奈は消えていた。
はあ……、やっぱり脈ねえよなあ……。
早く諦めたい。
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