第38話

 緑の匂いをはらんだ風が、屋上を吹き抜ける。校庭の木々のざわめきが耳によく届いたのは、僕たち以外の話声が校舎はおろか校庭からすらも聞こえないからだろう。

 これまでに見たことがないくらいに真剣な目線。

 怖いくらいの眼力を帯びているのに、なぜか胸が熱くなる。

 理由を聞いてもいいかな。僕が口を開く前に、彼女が口を開く。

「西戸崎くん、本音じゃ生徒会長やりたくないでしょ?」

「クラスのみんな、君が生徒会長になるのが決定してるみたいに騒いでたけど。君も、合わせるように、つられるように笑ってたけど」

「あれは、本当の笑いじゃない」

夕陽が射す屋上で、不思議な色香をまといなからも淡々と語る彼女。

「なんでわかったのか、そんな顔してるね」

祇園さんが黒髪をかきあげる。わずかに甘くて心地よい香りが、風に混じった。

「わかるよ。短い付き合いだけど、似た者同士だからかな? これから、長い付き合いになるかもしれないけどね」

その言葉に甘い響きがなくても期待してしまうのは、恋愛弱者の悲しいサガだろうか。

 だが、ひとつ疑問に思うことがある。

「じゃあなんで、僕に生徒会長になってほしいの?」

「それは……」

 祇園さんは視線をさまよわせ、少し考えこむ。だがすぐに形のいい唇を開いた。

「以前家の神社でも打ち明けたけど、グループのみんなとあんまり気が合わないの。表面上は取り繕って、うまくやってるけど…… さすがにもう疲れたの」

「だからあなたが生徒会長になって、私を役員に指名してほしい。生徒会の用事だって言えば、距離を取る口実になる」

 生徒会は生徒会長、副会長、会計、書記の四人体制だ。

 生徒会長のみは選挙で選ばれるけど、他の役員は会長が指名するというシステム。

 他の候補者は吉塚含め、支援する人たちが決まっている感じだった。ただ僕は立候補する気なんてなかったから、万一立候補するならば今から探さないといけない。

「理由は…… それだけ?」

 なんだか、自分が利用されてしまっている感じがして嫌だった。

 祇園さんは少しだけ言葉に詰まる。

でもなぜか感情を押し殺したような声で、軽く笑顔を作った。

「西戸崎くん、いい人だし、優しいし…… 一緒にいて、本の話とかできて、楽しいから」

 彼女の言葉に、全身の力が抜けていく。

 ああ。僕は、彼女にとってそれだけの存在だったのか。

 いい人というのは「都合のいい」人という意味だ。優しいと男子に言うのは、特に褒めるところがないからだ。

 中学でも僕をいい人と言ったり、優しいと言ってくれる女子は何人かいた。

 彼女たちをいいな、と思うときもあった。でも仲が進展したことは一度もない。距離感が詰まったことは一度もない。

 いや落ち着け。祇園さんとはデートに行けた。人生初の出来事だ。

 少なくとも一番距離を詰められた女子だし、共感できる部分もある。

 今はいい人どまりでもいい。諦めたら負けだ。

「それに…… 生徒会長になれば、西戸崎くんにもメリットがあるよ?」

 生徒会長を務めあげ、そこそこの成績や課外活動での実績があれば指定校推薦の枠が優先的にもらえるらしい。

 僕は英語だけ苦手なので、いわゆる一流大学への入学は難しい。でも指定校推薦なら、一流以下二流以上の大学へ入れる。

 そうすれば、いい企業に就職して高い給料をもらえる可能性が高い。

 お金って大事だし。

「彼女」の世話と両立できるか不安だけど……

「それに断ると、周囲が怖いよ?」

 体育館と、教室の熱狂を思い出す。あれだけ僕に期待してれば、立候補さえしなかったと聞けばそれは怒るだろう。

「なんだか脅された気分だ……」

「知らなかった? 私、悪い子だよ?」

 祇園さんはいたずらっぽく舌を出す。彼女に似合わない仕草に、思わず笑ってしまった。

笑うと、ふと心が軽くなった。心が軽くなると、色々なことが考えられる。

 生徒会、悪くないかもしれない。

今思えば僕と祇園さんの接点がライン以外になくなったのは、歴史総合の発表が終わってからだ。

同じ生徒会所属ということにすれば、彼女と一緒にいる機会が増える。僕に絡んできた奴らに目を付けられるかもしれないけれど、がんばってみよう。



 あの事件から一週間後。三人の立候補者からなる生徒会選挙は、僕の圧勝に終わった。

 副会長には僕を支援した黒縁メガネの黒崎、初期には彼の支援者の一人である折尾可憐という小柄な子、会計に祇園さんを指名した。

 祇園さんとは生徒会室で話せるようになり、交流する機会が一気に増えた。さらには二人で室外で話していても生徒会の件という理由がつけられる。

雑務の塊のような生徒会だけど、このことだけで会長になってよかったって思える。

 古賀にも声をかけたが、テニス部を優先したいということだった。

 吉塚は僕の顔を見るなり「……うるせぇ」とつぶやき、背中を向けた。

 教室で祇園さんと生徒会について話していると、依然僕に絡んでいたやつらがメンチを切ってくる。でもそのたびに同じるグループである吉塚が止めていた。

「おい、もうやめろ」

「でもよ、生意気じゃね?」

「それでもだ。あいつに負けて、俺のダチが嫌がらせとかマジでみじめになるわ」

 そんな風に言っていたと古賀から聞いた。しばらくはこれで一安心だろう。

 ちなみに黒崎は会長への立候補を取り下げた。僕の言葉になぜか感銘を受けたらしく、僕の下で働くことを希望してきた。中学でも生徒会をやっていたらしいし、めんどくさいことは任せよう。

 リーダーは「有能な怠け者」が最適だと聞いたことがある。

 ちなみに、最初の生徒会の仕事は。


「学校への扇風機の導入について、ですね」

 

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