第37話 好きな子からのお願い
全校集会が終わり、各生徒は教室へ戻る。
興奮冷めやらぬ教室では、ホームルームが終わるとすぐに僕はクラスメイトに取り囲まれていた。
「家庭教師ってマジ?」
「さっきの全校集会、ヤバかったじゃん!」
「見とれたわ~」
彼らに適当にうなずきと相槌を返して、何とか場を持たせていく。
彼らは僕の事情も斟酌せず、ただ言いたいことだけを言い聞きたいことだけを聞く。
普段は空気を読めとしつこく言うくせに、こういう時は読んでくれない。
ああ。見下されるのも持ち上げられるのも嫌なものだ。
吉塚はホームルームが終わるや否や、僕を射殺すような視線を一瞬だけ向けて教室を出た。
僕が気のきいたセリフなんて言えるとは思えない。でも追いかけて、何か言おう、フォローしようとしたところ肩に軽く手を添えられた。
「やめとけって。自分が負けた相手に慰められるほどみじめなことはないぜ」
古賀だった。
「でも、このままじゃ……」
「こういうのは他人に愚痴るか慰められるか、自分自身で時間をかけて消化するしかない。お前が優しいのは認めるけど、優しさってのは残酷な時もあるぞ」
そうなのか? 一方的に言われて少しむっと来たけど、コミュ強の古賀の言うことだ。おとなしく聞いておこう。それに彼には恩がある。
「それより今日はありがとう、僕一人だったら、大恥かいて終わってただけだった」
「気にしないでいいぜ。俺も吉塚は苦手だって、言っただろ」
「でも吉塚とかなり仲が悪くなったんじゃない?」
「いいって。お前見てて箱崎とのこと…… ああ俺の彼女だが、思い出したんだよ」
何のことかと気にはなったけど、深く追及するほど野暮じゃない。
「それより悪かったな。家庭教師のこと秘密にしてくれって頼まれてたのに、約束破っちまった」
僕が気にしていないと伝えると、古賀は胸をなでおろした。
事実気にしてない。それよりも孤立していた僕をかばってくれたことの方がよほどうれしかった。静音ちゃん個人が特定されたわけでもないし、問題ないだろう。
「それより、生徒会長の立候補受付は今日いっぱいだぜ。遅れるなよ」
僕は返事も否定もせず、うなずくこともなく教室を出る古賀を見送った。
やっと人が途絶えた教室で、茜色の夕日に包まれた西の山を見ながら少しだけぼうっとする。
立候補受付は、今日の下校時刻までだ。スルーしてしまえば流れる。
正直、生徒会長なんてめんどくさいし学校がどうなろうと正直関心がない。
それに、「彼女」の世話もある。
ポケットに入れておいたスマホが汗で蒸れるので、取り出して鞄にしまおうとする。と、指が接触した拍子に画面が表示され、ラインにメッセージが入っていたのに気が付いた。
『今すぐ会える?』
「来てくれたんだ」
屋上に続く扉を金属のきしむ音と共に開くと、すでに祇園さんは待っていた。
フェンスに軽く手を掛け、冷たさをおびはじめた風にスカートが揺れている。
茜色の夕日が顔に陰影を映し出し、まるで映画のワンシーンのように見えた。
「正直来てくれないかも、って思ってた」
「ご、ごめん」
「いいよ、謝罪なんて。なんで会ってくれなくなったのか、今日の様子でだいたいわかっちゃったし……」
彼女は悲しげに目を細める。
学校という狭い社会でのカーストは、すなわち身分。
僕の身分が下の方だというのは、わかりきったこと。
吉塚に反論した時の最初のほうの僕の扱いは、これ以上ないほどにそれを表していた。
だから絡まれて、脅されて、乱暴された。
それでも今日ここに来たのは、あんなことの後でテンションがおかしくなっているせいかもしれない。
ここで逃げたら祇園さんとのつながりが完全に切れてしまう。そんな気がしたからかもしれない。
「でも……」
彼女はいったん言葉を切り、それから一語一語丁寧に話す。
「こうしてゆっくりお話しするのも久しぶりだね。すごく嬉しいよ」
耳がとろけそうなほどの、甘い響き。
茶化すような仕草は一切なく、風に揺れる黒髪を軽く押さえながら語りかけてくる。
夕陽の色と周囲に誰一人いないという状況が、彼女の魅力をさらに引き立てていく。
違うとわかっていても、放課後に気になっている子に人気のない場所に呼び出される。
僕の人生で初めての経験だ。
これほど心をくすぐるシチュエーションがあるだろうか。
甘い余韻にたっぷりと浸ってから、僕は口を開く。
「なんで…… 呼び出したの?」
「一つは、すぐにお礼が言いたかったから。顔を合わせて直接」
祇園さんは踵どうしをくっつけ、深く腰を折った。頭を下げた拍子につややかな黒髪が流れ、彼女の顔を前からも横からも覆い隠す。
「ありがとう。西戸崎くんのお陰で、クーラー設置の件も流れそう。もし図書室でも教室でもクーラーがあったら、私のお腹が大変なことになってたね」
祇園さんは舌を出していたずらっぽく笑う。
でも目がちっとも笑ってない。空気を悪くしないために、無理してるのが伝わってくる。
病気がちの人が、病気が悪化すると考えるのがどういうことか。
「いや、僕があそこで黙っててもクーラーが設置されることはなかった」
「え?」
「生徒会がクーラー設置への署名を集めて町に提出した例もある。でもそれでクーラー設置された例は一つもない。よほど財源が潤沢な都市ならとにかく、この宮若町は借金財政だし」
「それじゃ、なんで…… 西戸崎くん、ああいうの得意なタイプじゃないでしょ?」
「見てられなかったから」
僕は間髪入れず答えた。
「体調の悪い人を無視して、空気を支配して、大多数に都合のいいように物事を進める。そういうのが大嫌いなんだ」
言ってから嫌な言い方になっていたことに気が付く。これじゃただの悪口だ。
自分に対するものでなくても、悪口を聞かされていい気持ちになる人なんていない。
「そうだよね。人の気持ち考えてなんていう人に限って、考えてないよね」
声の響きに険が混じる。祇園さんらしからぬ感じだけど大和撫子を地で行く彼女のことだ、気のせいだろう。コミュ障陰キャの僕が人の気持ちなんて正確にわかるわけがない。
「呼び出したのは、もう一つの要件があるの。こっちが本題」
祇園さんは軽く息を吸って、僕の目を見る。髪の色と同じあでやかな黒の瞳に僕の顔が映っているのが見えた。
「私も、あなたが生徒会長になってほしい」
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