第36話

「私はよく地域のボランティア活動に参加するのですが。小学生で、いつも孤立している子がいました」

 生徒会長の立候補者の一人、黒縁メガネの男子、黒崎だった。

「その子は私も、先生も、他の中学の子も。話しかけても答えてくれなかったのですが」

「西戸崎さんだけは、友達になっていたのをある日見かけました」

 どこかで見かけたことがあるなと思っていたけど。ボランティア活動で僕のほかにたった一人、高校生で参加していた男子か。

「一人でいる人間に寄り添い、一緒に歩くことができる。生徒会長にふさわしい、素質ではありませんか」

「は? 敵に塩送るのか?」

「いえ、彼に生徒会長の素質がないなどといってほしくなかった。それだけです」

 僕とは違った明朗で、自信に満ちた語り口。

 隙のない理論。

 場の空気を覆すには、十分だった。だが吉塚も黙ってはいない。

「け、よく言うぜ。ただのロリコンじゃねえか。それに地域のボランティアって、俺も小学生のころ参加してたから知ってるぜ。同じ学校のダチ以外は家も名前もわからねえだろ。西戸崎」

 吉塚は黒崎から僕に視線を移し、睨みつけた。

「お前はその小学生の面倒を今でも見てやってんのか?」

 恥じることなんて、何もない。だから素直に言い返せばいい。

 だが、どう言えば良い? 静音ちゃんは普通の小学生とは比べ物にならないくらい、重い事情を抱えている。どこを隠して、どこを言えばうまく伝わるのか。静音ちゃんに迷惑が掛からないよう、説明できるのか。

 コミュ障陰キャの僕には、こんな状況でとっさに言葉をまとめられるようなスキルがない。

 僕が言い淀んでいると、場の空気が徐々に傾いていくのがわかる。

 今度は黒縁メガネも、うまい言葉が見つからないのか援護射撃はこなかった。

「俺が、説明するぜ」

 でも、援護射撃は一つじゃなかった。

 百七十代前半の身長にやせ型の体躯。だが細身の腕には筋張った筋肉が見えた。

「おい古賀、なんでお前がでしゃばる。関係ねえだろうが」

「関係なら、大いにあるぜ」

 にやりと、古賀はまるで我が事のように自慢げに笑った。

「その小学生と俺の妹がダチだからな。ちなみに今は、その西戸崎ってやつが家庭教師してる」

 ざわざわと、体育館中がざわめく。

「家庭教師って言わなかったか?」

「あいつ、意外とすごいやつ?」

「高校生でできるもんなの?」

「うちの兄貴が大学生だけどよ、たまに高校生で個人的にやるやつもいるって」

「じゃ、マジか? あのテニス部の古賀が言ってるくらいだし」

 シンプルだけど自信に満ち溢れた回答。テニス部での活躍という、カースト上位からの発言。

 場の流れが、再び戻ってきた。

 というか、僕の意思を無視して勝手に話が進んでいってる……

 仕方ない。空気を悪くしないように、適当な言葉を言って終わりにするか。

「話は冷房のことだけじゃないよ」

 この場で一応は主役になっている僕の発言に、周囲の耳目が一斉に集まった。

「正直、生徒会長なんてどうでもいい。でもね」

 僕の話を聞いていた人たちが戸惑ったのがわかる。それはそうか。どうでもいい、なんて嫌われる発言ベスト三に入るだろう。

 だけどこれだけは言っておかないと、気が済まない。

「でも生徒会長っていうのは、みんなから色々なものを預かってるんだよ?」

部活の予算の審査とか、文化祭の予算の審査とか。

そういうのを軽く考えて、できもしないことをやるなんて言われたらたまったものじゃない。

一旦言葉を切り、無言で周囲を見回す。場が僕に注目しているのを確認しながら、ゆっくり大きくしゃべるのを心がけて口を開いた。


「軽はずみに行動せず、みんなから預かったものを大切にして、できることを一つ一つこなしていく。それが黒崎君も言っていた、『学校のため』じゃないかな?」


 学校のため。なんて薄っぺらい偽善に満ちた忌々しい言葉だろう。

 僕は学校というものにいい思い出がない。だから母校への愛着なんて、小学校のころから湧かなかった。

 通っていた小学校や中学校、地域から有名人が出たと聞いても、誇らしげに語る周囲の気持ちが理解できなかった。オリンピックで日本が勝っても、熱狂する人たちを冷めた視線で見るだけだった。

 太宰治が「人間失格」で「自分には、ついに愛校心というものが、理解できずに終わりました」と書いているけど、まさしく僕の心境にぴったりだと思った。

 でもこれで場の流れがどうでもいいなんて発言をした僕から、黒崎君に傾くだろう。今までの立候補者の中で一番正統派だ。

でも事態は、予測だにしなかった方向へと進んでいく。

僕に集まっていた体育館の耳目。数百の視線が、今までにない感情を帯びていた。

なんだこれ? 敵意とか見下してるとか、童貞うざいとかじゃなさそうだけど。

「あんな真剣に、学校のこと考えてるのか」

誰かが言ったその一言を皮切りに、ざわめきが波紋のように広がっていく。

「お前が生徒会長でいいんじゃね?」

古賀が言ったその一言に、会場から僕の名のコールが沸き起こる。

「かーいちょ!」

「かーいちょ!

「かーいちょ!」

ちょっと待て。どーしてこーなった?

僕はクーラー設置のような少数者を苦しめる公約や、予算の無駄遣いをやめてほしかっただけで…… 

生徒会長になろうなんて、これっぽっちも思ってないのに。

 熱狂の中、僕はただ呆然と立ち尽くすしかできなかった。


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