第35話

 テンションが上がっている集団の中でも目立つため。声をかき消されないくらいの大声で言った。

あえて壊した場の空気。

議論の声が止まり、視線が一斉に僕の方を向いた。

「誰あいつ?」「邪魔すんなよ」「でしゃばりが」視線から感じる空気を言葉にすると、こんな感じか。

「なんなの、あの人?」

 さっきまでクーラー設置で暗い顔をしていた人でさえ、僕に向けるのは奇異の視線だ。

数百の双眼の中、好意的な視線なんてほぼない。

「クーラー設置の意見について、いくつか伺いたいことがあるのですが……」

 針のむしろのような空気の中、僕は話し始める。

寒がりな人もいる。冷房が原因で体を壊す人も。そういう人たちを無視するのはどうなのか。

「暑い人もいるんですー」

「わがまま言わないでくださいー」

茶化すような口調で、僕が言い終わらないうちにあちこちから反論が来た。僕は負けじ

と言い返す。

「冷房が苦手だって、言う人の割合知ってる? 女子は六割、男子でさえ四割だよ。せっかく付けたのに半分が気分悪くなるなんて、バカげてない?」

 それでもヤジのような反論は止まらず、僕の発言はヤジにかき消されてかろうじて聞こえる程度。

 場に訴える力なんて皆無だ。僕に向けられる視線、声、空気、すべてが僕の敵。

当然か。ローマのカエサルが言った通り、人は自分が聞きたいものしか聞こうとしない。「冷房賛成」で空気が出来上がっている以上、反論が聞いてもらえるわけがない。

 反論するなら、せめてもっと早く行うべきだったんだ。

「何黙ってるんですかー」

「ひっこめー」

終わらないヤジの中で僕は立ちすくむ。怖い。だけど、甘く見るな。

修羅場ならいくらでもくぐってきた。

僕はスマホで調べた知識を、一気に披露する。

「何言ってるの? クーラー一台教室につけるだけで数百万。全教室につけたら数千万円かかるよ? その後は維持費用が学費に上乗せされる地域もある。年に二万円くらいかな」

 具体的な金額が出たとたん、場がどよめいた。

「一つの高校だけを優遇するわけにはいかないから、他の高校にもつけるよう動くだろうね。これは別の市のデータだけど、ざっと七十億。維持費に年二億円かかる」

「七十億って、マジかよ」

「学費高くなるんか?」

「さらに京都みたいに、クーラー設置したせいで夏休みを短くされた学校もある」

「マジですか、先生」

「あ、ああ。聞いたことはあるな……」

 僕はいつの間にか体が汗だくになっていることに気が付いた。いったん深呼吸する。

「以上、学校にクーラー設置なんて生徒の力だけでどうこうなるものじゃない理由です。お金は大事だし、休み短くされたらたまんないよ」

 言うべきは言った。

 吉塚たちはとっさに反論できないのか、何も言い返してこない。



「わかったよ、しゃあねえな」

 吉塚ががりがりと頭をかきながら、吐き捨てるように言い放つ。

「クーラー設置の公約は取り下げるわ。これでいいか?」

 ずいぶんあっさり引き下がったな……

 だが彼のこぶしが固く握られていることに気が付く。それはそうか。大衆の面前で恥をかかされたんだ。

 何かフォローを入れるべきか。でも、なんて言えばいいんだろう。

 こういう時、僕が何か言うとかえって事態を悪化させる。気遣って、不器用ながらに必死に言葉をひねり出して、でも真意が伝わらず相手を怒らせるばかり。

 だからこういう時は、うつむいて押し黙る。できるだけ申し訳なさそうな顔をするのが、僕にできる精いっぱいだ。

 僕が困っていると、彼が居丈高な口調で反撃に出た。

「クーラーについては良く調べたな。だがお前の言ってるのは寒がりな奴らのためだけだろが、暑いって苦しんでるやつらもいるんだぞ」

「ああ、それなら冷房以外でもっと安上がりな方法があるよ。学校用の大型扇風機とか。これなら数万円で買える」

 静音ちゃんの家庭教師をやっていると、色々と小学校の話が出てくる。暑さ寒さ、給食のメニュー、小学校ではやりのアニメ。

 その時にたまたま話題が出たので、覚えていた。

「子供の背の高さより大きいくらいのもある。大きい分、風も強力だよ」

「そういえば部活の遠征で体育館にそういうのあるの、見たことあるわ」

「まあクーラーなしってのはきついけどよ、ないよりマシか……」

「ちょっと待って!」

 周りから賛同の声が上がるが、僕は自分でも驚くほど大きな声を出して止めた。

「まだ決定したわけじゃない。僕は工事業者でもないし、町の役人でもない。自分で言っておいてなんだけど…… ごめんね」

 お金は大事だ。お金が絡む話は、軽々しく決めるべきじゃない。

「なかなか、言うじゃねえか」

 ずっと黙っていた吉塚が口を開いた。

「今までおとなしい振りして、いざって時に知識引けからして、自分が会長になろうって腹か」

 いや、そんなわけないから。生徒会長なんてめんどくさいし。

 別に学校に思い入れがあるわけでもない。

「だがな」

 吉塚の口元が歪み、目にさげすむような色が混じる。

「お前、人をまとめられるのか? クラスでも行事でも、人の上に立ったことねえだろ。いつも人の後ろにくっついてるだけじゃねえか」

 この前の歴史総合の時間を思い出し僕は言葉に詰まる。

 あの時も、僕は裏方に徹して。色々と事情があったとはいえ最後の発表は僕以外が行った。

 別に生徒会長になりたいわけじゃないし、人をまとめる必要なんてない。

 でもここで引いたらこいつが生徒会長になる確率が高い。またさっきみたいな不愉快なことを繰り返すのだろう。

「ほらな」

 吉塚は体育館に集まった生徒たちをぐるりと見まわして大声で言った。

「俺はバスケ部エースだ、人を引っ張るのは慣れっこだぜ」

 こぶしを高々と掲げ、そう宣言する。僕がやるとただのイタいオーバーアクションも、彼がやるとそこそこ絵になるらしい。

 僕の方に傾きかけた場の空気が、再び吉塚の方へと移っていく。仕方ないか。スクールカースト下位が、上位に勝てるわけがないんだ。

「そのようなことは、ないと思います」

 ついさっき聞いていた声。抑揚をつけ、間を意識したもの。一度は拍手を巻き起こした声。

 援護射撃は、意外なところから来た。

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