第29話

教室の中は、うだるような暑さだ。梅雨があけて七月となった教室は冷房もなく、ムシムシとした湿気に包まれる。草木をかき分けて流れ込んでくる風も、さすがに爽やかさより熱気が勝る。

でも天神の寒いほどの冷房に比べれば百倍良い。遠目に見る祇園さんの顔色も、あの時より全然いい。

今は目が合うたびに反らさざるを得ないのが、悲しいけど。

 期末試験が終わり、答案が返される。英語をのぞいて僕は大体成績がいい。英語以外の、一人でもできる教科は大体問題ない。つまり体育とか美術は苦手だ。

 祇園さんの名前が呼ばれ、はにかんだ笑顔と共に答案を受け取るのを席に座ったまま見ている。彼女が席に戻る時に寂しそうな顔で手を振るけど、僕は背後からの視線を感じながらスル―した。

 以前僕を空き教室で糾弾した人間の一人が、そこに座っていて。

 僕の代わりに手を振ったり挨拶したりと、祇園さんに熱心にアプローチするようになっていた。

だがことごとく空振りに終わって。

同じように近付いてくる男子が数名いるけれど、祇園さんのグループで守っている。見た目が怖いギャル系女子が、ドスを利かせて睨みつけるのだ。

名前は知らないけど関西弁の女子もいて、特にその子は迫力がある。

「吉塚廉也」

 吉塚の名前を呼ぶ声。気だるげに答案を受け取っていた今までの科目とは違い、軽やかなステップで壇上の先生の元へと歩いて行く。

「九七点。またトップだな」

「へへ、先生、ありがとっス」

 吉塚と仲の良いクラスメイト達は、惜しみのない賛辞の視線を彼に向ける。

 僕がいい成績をとってもああはならない。無視か嫉妬の視線だけだ。

吉塚は遅刻常習で、授業態度も不真面目で。でも要領はよくて成績はそこそこ。英語はトップクラス。

 僕とは正反対だ。

席に着くと肘ついて、ワイシャツの第二ボタンまで外し、自前のうちわで風を胸元に送っている。

他の幾人かの男子や女子も同様にしていた。汗で制服が透け、制汗スプレーの不快な臭いがそこかしこから漂う。

これがラノベなら透けた制服から見える下着に胸ドキしたりするのだろう。

だが文明の利器、サマーセーターを着込む子も多く下着が透けて見える子なんてめったにいない。寒がりな大和撫子も例外じゃなかった。

暑さ対策を優先してか着ていない子もいる。でもそういう対象からは努めて視線を反らした。

好きでもない子の肌なんて美醜にかかわらず見たくない。

逆に祇園さんの姿はしきりに目で追ってしまう。

 露骨に追うとまた絡まれるから。教科書や手庇で視線を隠しながら、こっそりと。半袖の制服の隙間から脇の奥が見えた時は、途方もなく興奮した。

 そんな僕と祇園さんを。古賀は訝しげに見ていた。

 


「どうしたんだよ?」

 古賀の第一声は、それだった。

 今回呼び出されたのは、屋上。三階建ての校舎からは田畑と森林の合間に家が点在する宮若町の景色が一望できる。春は野桜、秋は紅葉を一望できることもあり人気スポットになる。だがこの季節はコンクリートへの照り返しが強く、滅多に人が訪れない。

「……何でもないよ。ただ、会話するタイミングがすれ違ってるだけ」

 何の話かは古賀の咎めるような様子で察しがついていたので、祇園さんとの関係を答える。

「歴史総合の発表前はあれだけいい雰囲気だったのによ。いきなりよそよそしくなって…… いや、お前が一方的に祇園を避けてる感じだ」

「色々話してみると、意外と好みじゃないなって、そう思っただけだよ」

 嗚呼。

 胸がちぎれそうなほどに苦しい。

「初めのころはぎこちなかったでしょ? それに戻っただけ」

 苦しい、苦しい、苦しい。何でもない振りをするのが。

「そうか」

 短い返事。こんな苦し紛れの演技でも、古賀はある程度納得したらしい。

 いや、何事かを察したのかそれ以上追及してはこなかった。

「祇園と同じグループに箱崎って言う、俺の彼女がいるんだけどよ。彼女もおかしいって言ってたから気になったんだが…… 呼び出して悪かったな。じゃあな」

 屋上へと続く金属の扉が閉まり、古賀が階段を降りて行くのを足音で確認すると。

 僕はどっと力が抜けて、屋上のフェンスに背中を預けて寄りかかる。田畑や森を抜け、緑の香りをはらんだ心地よいはずの風が今は妙に気持ち悪い。

 からまれて、脅されて、突きとばされた時よりも。嘘をついたことがずっと悔しくて。

 誰もいない場所で、僕は感情を爆発させた。

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