第28話 ただ一切は、過ぎていく。

 コオロギ、キリギリス、スズムシ。都会のコンクリートジャングルでは決して味わえない、虫たちのオーケストラを聞きながら歴史総合の資料をまとめていく。

 家族のおさがりでもらった旧式のパソコン。冷却ファンの音がうるさいほどで、起動にもやたらと時間がかかる。

でもワードとエクセル、パワーポイントという三種の神器が使えるから問題ない。

それに向かい、叩くたびにガチャガチャと音が鳴る旧式のキーボードを打ち込んでいく。

 今週はいよいよ歴史総合の発表、いやプレゼンテーションの時間だ。

 高校生から、中学までに習った言葉を無理やりに英語に置き換えられることが多くて。なんだかイライラする。日本語でいいのに、そう思ってしまう。

 そんなことを考えながらも発表用のスライドがほぼ完成した。僕はエンターキーを叩き、保存する。USBメモリにデータをコピーした後、念を入れてオンラインのデータにも保存しておいた。

 こうすればパソコンが壊れても、メモリを紛失してもデータが消えることはない。

 一仕事終えた解放感に包まれながら、僕は麦茶片手に縁側に腰掛ける。

 家の縁から突き出した、古い木材を組んで作られた縁側。風にささやく森と雑草の生い茂る庭の虫たちが仲良く狂騒曲を奏でていた。

 行きたくもないカラオケより、聞きたくもない合唱コンクールより、よっぽど心安らぐ。

 温めに入れた麦茶でのどを潤すと、ふと寂寥感が込み上げてきた。

「歴史総合のグループワークも今度で終わりか……」

 そうなると祇園さんと話す機会が減ってしまう。

 ラインで連絡先も交換したし、教室で話す機会もあるけれど。

グループワークとか、いつかのデートの時みたいに座って何十分も話に集中するのは難しくなる。

教室の休み時間は周囲の話声がうるさいし、祇園さんに話しかける女子も多い。

 ラインで話はできる。

 でもこの前のデートの時みたいに、やっぱり対面で話す時間は何物にも代えがたい。息遣い、こちらの言葉に対する表情の変化、微妙な声音。

 そして読めないけれど心地よい、微妙な感情。

 今こう言ったけど祇園さんはどう思ったんだろう。

 変な仕草しなかったかな、不快に思わなかったかな。

 カップをそっと目の前に運んだけど、彼女にとっては気遣いなのかお節介なのか。

 行動の一つ一つに対する彼女の反応が、怖いけれど楽しい。

恋わずらい、とは言い得て妙だ。

確かに恋をすると色々と思い煩う。気になった人のことをずっと考えてしまう。

嗚呼。

恋愛は、めんどくさい。


 この時の僕は、恋愛にかまけて忘れていたのだと思う。自分の立場を。身の程をわきまえるということを。



 翌日。次のデートのことを考えながら廊下を歩いていると。

「おい、ちょっと来い」

 突然、筋骨隆々とした人間の群れに囲まれた。

 連れ込まれたのは空き教室の一つ。ここ宮若高校ではクラス数が減り、一学年に二つは空き教室があった。

「調子乗んな」

 肩を突きとばされ、たたらを踏んでほこりっぽい教室の隅に転がされる。

「目障りなんだよ」

「な、なにが……」

 目の前にいるのは、名前は知らないけど顔は知っている男子ばかりだ。

 皆僕より背が高く、イケメンで学内カーストが高い。

「とぼけんな」

 軽く胸倉を掴まれて、僕の細い首はそれだけで絞まる。僕がせき込むと彼らは下卑た笑い声をあげた。

「俺らが話してもそっけないのに、なんで祇園がお前みたいな陰キャと話すんだよ」

「底辺が色目使うなっての」

「弱みでも握ってるのか?」

 その会話で思い出す。確か祇園さんに話しかけて、撃沈していった奴らだ。

「どうせオカズにしてシコってんだろ」

 彼らは口々に僕を罵った後、もう一度突き飛ばす。体格差もあって僕は簡単によろめき、コンクリートの壁に背中をぶつけてしまった。

 とっさにアゴを引いたので頭だけは無事だった。慣れていて助かった。

 怖い顔をした人間に集団で囲まれることも、勝手な理屈で糾弾されるのも。

それ以上の暴力はなく、どうやら彼らもまだ本気ではないらしい。

これが本格的に目をつけられ、言葉と体への暴力が習慣化するといじめになっていく。

本をどれだけ読んでも、辛い目にあっても。こういう時にどうすればいいかはわからない。だからただ、我慢する。目を伏せて心を空っぽにして、時間が過ぎるのをじっと待つ。

祇園さんが、お前らなんかと話したがるわけないだろ。

こんな乱暴な態度取る奴が彼女とお近づきになりたいって、ギャグか。

面と向かっては言えないセリフを心の中で叫ぶ。

それからも彼らは僕を口々にののしって、からかって。少しは気が済んだのか、予鈴が鳴ると手を止めた。

「じゃあな、童貞陰キャ」

「立場わきまえろよ~」

そう言って彼らは去っていく。

いなくなったのを確認して、背中の痛みをこらえながら立ち上がる。制服に傷がついていないことだけはラッキーだった。買い換えるなんてまっぴらだ。

それから、僕は祇園さんに話しかけることはなくなった。

歴史総合の発表の本番は、僕以外をメインにしてつつがなく終わり。

いつも通りに勉強して、期末試験を迎えた。

時は、無情にも過ぎていく。

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