第8話 陰キャな顔には裏がある
「…もしもし」
普段やりとりはチャットで行い電話などしない
「すみません。こんな時間に。どうしても話しておきたいことがあって。寝るときは一人だって聞いていたので―いま、大丈夫ですか?」
「…うん」
「深雪さん?」
ocomeの声を聞けば元気になると思ったが、実際はその反対で、自分の身に起きたことがじわじわと実感され、急に具合が悪くなった
「ごめん…ちょっと…」
深雪はスマホをテーブルの上に投げ出すと、キッチンのシンクに駆け寄った
ゲッゲッとえずくものの、吐くまでには至らず、深雪は吐き気がおさまると同時にうがいをし、ソファに戻った
「ごめん」
「…大丈夫ですか?辛いなら後日でも―」
「大丈夫。いまはocomeくんの声を聞いていたい」
いつしかocomeの顔を見ると安心するようになっていた
声だけでも条件反射的に気持ちが楽になる
「辛かったらすぐに言ってくださいね」
さっき、聡に対して辛いと言った
今日はしたくないやめてとも
しかし、聡は聞き入れてくれなかった
深雪の口に自分のモノを押し当てて
一番の味方であるべき夫が敵で、家族の敵であるはずの不倫相手が唯一の味方とは…
深雪はその皮肉な状況をおかしく思った
「で、どうかしたの?」
「あ、はい。今日のことなんですが―」
おそらく黒塗りの車に黒服の男たちのことだ
深雪には思い当たることがあった
今日の聡の行為がその裏付けでもある
「それ、うちの夫が雇ったひとたちかも。ごめんなさい。いまならまだ間に合うかもしれないから、もう会うのやめて―」
「ダメです。そんなこと言わないでください」
「でも―」
自分はともかく、まだ若くて未来があるocomeに少しでも疵を残したくなかった
不倫をした事実は消えなくても記録に残ることはまだ回避できる
「ocomeくんが大事だから言うの。わかって…」
「いえ、そうじゃなくて、あの…あれ、たぶんうちの連中だから―」
「…どういうこと?」
自分から電話をかけてきたというのに、ocomeは話すことをためらっているようだった
息を吐く音が聞こえ、そのたびに飲み込み、また吐き出すということを繰り返していた
「無理に言わなくても―」
深雪が気遣うと、ocomeはやっと決心がついたようで、電話をかけてきたときよりもはっきりとした口調で話し始めた
「いえ、たぶん深雪さんには伝えておいた方がいいと思うので…本当は巻き込みたくないけど、俺はいまはただの専門学生だし、相手がわかっていれば何かあった時に警察にも説明しやすいと思うので―」
「え?」
「あれは、俺の親父の組の者だと思います。俺、ヤクザの子供なんです」
※※※
ocomeの話はこうだった
ocomeはそこそこ大きな組を束ねる組長の次男として産まれた
長兄は父親の血を引いて豪傑で度胸があり、さらに母親の美貌も受け継いで見た目も申し分なかったため、幼い頃から同業からもカタギからもカリスマ的にモテ、高校卒業と同時に次期組長候補として家業を手伝うようになった
一方次男のocomeは、赤ちゃんの時から小柄で病弱、さらに性格も温厚だったため、誰がどう見てもヤクザには向いていなかった
親も組員たちもocomeに期待していないのは見え見えだったが、長兄だけはocomeに自分の下で家業を手伝うよう言ってきた
しかし、その時にはocomeにはすでに夢があったため、猛反対する兄を振り切って家出同然で実家を出てきたのであった
※※※
「親は兄の言うことを聞いちゃうんで当然進学費用や仕送りなんかしてもらえません。だから上京して3年間バイトして進学費用を貯めたんです」
「それでいま23歳なのね」
深雪はまるで作り話のようなocomeの話に聞き入った
自分の現実とは到底折り合わないパラレルワールドのような世界
「いいなあ」
深雪は無意識のうちに口走った
「そうですか?俺は自分の人生が嫌いです」
ocomeの声が急に木枯らしの様に冷たく響いた
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