17 ジーク視点 君の気持ちが追い付くまで

 風邪を引いたアイナのところに押しかけてから、10日ぐらい経っていた。

 今日、ようやく彼女に会うことができる。

 わくわくしすぎて、約束の時間よりずっと早くから外で待機している。


 予定通りにアイナが到着。

 こちらはとても楽しみにしていたけど、きっと、今日の彼女のお目当てもこの家の蔵書だ。

 だから書庫に行くかと聞いてみたら、アイナは話したいことがあると言って立ち止まる。

 話したいことって、なんだろう。


 彼女はなかなか話しださない。

 不思議に思って顔を覗き込めば、静かに後退された。

 そして、少し迷う様子を見せてから口を開いた。


「あの、ジーク」

「なにかな?」

「その……。もっと休んだ方がいいって言ってくれたのに、無視してごめんなさい。心配をかけて、お見舞いにまでこさせちゃって……。後で風邪ひかなかった?」

「うん。僕は大丈夫だったよ」


 ああ、謝りたかったのか。

 たしかにとても心配した。けれど、僕ももっと気を付ければよかったと思っているから、そんなに気に病むことはない。

 風邪なんてうつらなかったと教えると、アイナはほっと胸をなでおろしていた。


「あとね、もう1つ言いたいことがあって」

「もう1つ?」


 アイナはまた言葉に詰まる。

 彼女の頬がゆっくりと赤く染まっていき、水色の瞳は潤み始める。

 軽く握った片手を口にあて、ちょっと俯いて――


「……とう」

「え?」

「……ありがとう」


 それから少し時間をおいて、彼女はゆっくりと続ける。


「ジークは……いつも私のことを気遣ってくれるよね。体調もそうなんだけど、お茶会のときに私の分も話してくれたり……。お茶会への参加も、無理強いせずにずっと待っててくれて……。すごく、感謝してます」

「う、うん」

「これからはどんどん出席するって、今すぐ約束はできないけど……。でも、ちゃんと出られるようになりたいって、そう思ってます」


 明らかに恥ずかしがっているのに、こんな風に言ってくれるなんて。


「この前お見舞いに来てくれたのも、びっくりしたけど嬉しかったの。あと……これは小さい頃からなんだけど、一緒にいるときは近くで見守っていてくれたよね。私、ジークがそばにいると安心できたんだよ」

「うん……」

「……いつも、ありがとう。ごめんなさいだけじゃなくて、ありがとうもちゃんと伝えようと……おもっ……て……」


 さあっと風が吹き、アイナの髪が揺れる。髪の隙間から見える彼女の耳は、真っ赤に染まっていた。


 僕の婚約者が、可愛い。

 アイナはいつだって可愛いけど、今日はとびきり可愛く見える。

 小さいころから見守ってくれたよねとか。僕がそばにいると安心できたとか。

 最近のことだけじゃなくて、今までのこと全部への「ありがとう」を伝えてくれる。


 嬉しすぎる。嬉しいし、愛しくてたまらない。

 アイナに不安そうな顔をされてようやく、あまりの喜びに表情を失っていたことに気が付いた。


 そろそろ行こうと歩き出したアイナの腕を掴み、引き止めた。

 アイナが不思議そうにこちらを振り返る。掴んだそのときは、自分でもどうしたいのかわかっていなかった。

 でも、赤みの残る彼女の顔を見て、自分が抱く衝動を理解した。


 一歩、二歩とゆっくり彼女に近づく。

 そして、密着できそうな距離になったとき――愛らしく色づいた頬に、唇で触れた。


 そのあとは、混乱するアイナを見守った。

 これまでにない反応に、気をよくしていたんだ。

 ――これで、男女としても進展できる。

 そんな風に思っていたから、今日は帰ると言い出した彼女をあっさり逃がしてしまった。

 


***



「ジークベルト、アイナちゃんに避けられているそうですね?」

「そうですよ、避けられてます」


 にこにこと楽しそうにしているのは、8つ上のナターシャ姉さんだ。

 むすっとする「弟」が僕。


「手紙の返事もこないなんて、きっと、ジークベルトが何かしたんだよ」


 遠慮なく図星をついてくるのは10個上のミリーナ姉さん。

 この手のことは、両親にも聞かれていた。

 でも、言えるはずがない。勢いに任せてキスをしてしまいました、なんて言えない。


「好きな子に嫌われちゃいましたか?」

「嫌われてはいない……。と思います」


 アイナの反応を見た感じ、突然のことで驚いてしまったんだろう。


「姉さんたちは自分のことを気にしてください。特にミリーナ姉さんは結婚を控えているのですから、僕なんかに構ってないで準備を進めるべきでは?」


 半分は放っておいてくれって気持ち。残りは、自分のことを優先して欲しいって気持ちからこう伝えると、


「だから構うんだよ。嫁に出る前に、可愛い弟と話してはいけないかな?」

「そうですよ、ジークベルト。私はまだこの家にいますが……再来年にはあなたの方がいなくなってしまいます。私たちが3人でいられる時間も、そろそろ終わりなのですから」

「姉さん……」


 今年で22歳になるミリーナ姉さんは、近々結婚してこの家を出る。

 20歳のナターシャ姉さんはあと数年ここにいるだろうけど、再来年には学生になった僕が家を離れなきゃいけない。

 学校を卒業して家に戻る頃には、ナターシャ姉さんはもういないだろう。

 わかっているつもりだったけど、改めてそう言われると少し寂しい。


 しんみりしていると、


「で、アイナちゃんに何をしたんですか?」


 と話を戻され、「絶対に教えません」と抵抗し続けた。




 それから数日経っても、アイナからの返事は来ない。

 代わりに「もう少し待って欲しいとのことです」と書かれたリディからの手紙が来た。

 ……もう少しって、どのくらいだろう。

 自分のせいでこうなったってわかってる。でも、これ以上は待てなかった。


「……会いに行こう」



***



 アイナの許可は得られないだろうから、本人には話さずラティウス邸に押しかけた。

 アイナは知らないだろうけど、親御さんの許可は取ってある。

 逃げられる前にアイナの部屋に突入。

 近づこうとしたら身体を硬くされてしまったから、距離を保ったまま話すことにした。

 会ったらとにかく謝ろうと思っていた。

 同意もなしにあんなことをしてごめん。もうしない、と。


 アイナに触れたい気持ちは今もある。

 でも、こんなに驚かせてしまうなら……。あと数年、いや、成人するまで我慢する。

 本当は落ち着いて話すつもりだったけど、気がつけば、僕の喉からは弱々しい声が出ていた。

 きっと、今の僕は情けない顔をしている。

 こんなことじゃ、アイナにがっかりされる。

 そう思っていたけれど、アイナは僕の手を取って、一緒にお茶を飲もうと言ってくれた。




 それから、僕らはいつものようにお茶を楽しんだ。

 このまま避けられ続けたらどうしようって不安もあったから、普通に話してもらえてとても安心した。

 そんなとき、アイナがこんなことを話し始めた。


「そういえば、リディもこのお茶を知ってたみたい」

「……リディが来たときも、これを?」


 アイナが頷く。

 ……これは、リディ・カンタール嬢の恨みを買いそうだな。


 リディはアイナに強い感情を抱いている。

 種類としては、友情……だと思う。

 でも、比較的自由にアイナに会える僕に嫉妬しているのは、十分に伝わってくる。


 ただでさえ風当たりが強いのに、茶葉の件までリディに知られてしまった。

 実は、この茶葉はカンタール家のお茶会で見つけたものだ。

 貿易に携わる家だからか、カンタール家主催の会では珍しいものに出会える。

 この茶葉もその1つで、僕らの国にはあまり出回っていないものだった。

 

 リディは自分が1番乗りだと思って、アイナに茶葉をプレゼントしたんだろう。

 なのに、僕が先に贈っていたとなると……


「もう伝言とか頼まれてくれないだろうな……」

「ジーク?」

「大丈夫、こっちの話だから……」

「……?」


 適当にごまかした僕を、アイナは不思議そうに見つめていた。

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