15 とにかく落ち着かなくて

「アイナ様、ジークベルト様からお手紙です」

「……つ、机に置いてください」


 ベッドにいた私は、メイドのアンジェにそう答えて、掛布団を頭までかぶってしまう。

 例の件……ジークベルトに、き、キス……ほっぺたにだけど……をされてから1週間。

 私は思いっきり彼を避けていた。会うどころか、手紙の返事も出せないでいる。

 周囲の人にも心配されているけれど、無理なものは無理。

 喧嘩でもしたのかと聞かれても、何も答えられずにいる。

 婚約者にキスされました。落ち着かないからしばらく会えません。なんて、言えるはずもない。


「リディ様からもお手紙が届いていますよ」

「……リディから?」


 友人の名前を聞いて、もぞもぞと布団から顔を出す。

 そのまま、リディからの手紙だけを受け取った。

 あのお茶会から、一か月半ほど経っている。

 彼女に寂しそうな顔をして欲しくなかった私は、手紙でのやり取りを始めていた。

 婚約者からの手紙は机に放置し、リディからのそれを先に読み始める。

 内容は……久しぶりにアイナ様と2人でお話できるのが楽しみです、みたいな感じで――


「あっ……」


 そうだ、明日はうちでリディと会う予定だった。

 話した末に、友人だった「アイナ」じゃないと思われてしまったら、寂しいけど仕方がない。

 とにかく、会って話したり遊んだりしてみよう。そう思って、勇気を出して個人的に会う約束をしたのだ。

 もちろん、リディと約束したことも覚えていた。

 ……ジークベルトとの一件で何事も手に着かなくなってしまっていたけど、覚えて……いたつもりだ。


 一通読んだ勢いに任せて、ジークベルトからの手紙も開いた。

 そちらにはこう書いてあった。


 アイナへ

 調子はどうかな?

 こちらは元気だから、君の体調がよくなったら会えると嬉しい。

 君が風邪を引いたあと、書庫に新しい本がたくさん入ったんだ。

 君の興味を引くものもあると思う。

 あまり驚かせないようにするから、またおいで。


 手紙の最後は、彼の署名で締めくくられていた。

 読み終えた私の感想は――


「じゅ、12歳……?」


 だった。

 婚約者からの手紙が視界に入るだけで、恥ずかしくてたまらない。

 返事も書かずに机の引き出しにしまい込み、一度は忘れることにした。

 ごめんなさい、ジークベルト。

 あなたのこともちゃんと考えるべきだってわかってるんだけど……今は、明日のことに集中させてください。



***



「アイナ様! 本日は、お招きいただきありがとうございます」


 翌日、約束通りの時間にリディがやってきた。

 お茶会のときに見せた冷たい感じや悲しい雰囲気はなく、普通の女の子みたいににこにこ嬉しそうにしている。

 10歳のあのときまで、リディは私の前でこんな風に笑っていた。


「いらっしゃい、リディ。……なんだか荷物が多くない?」

「ええ! 久々ですから、アイナ様にお見せしたいものや、茶葉やお菓子もたくさん持って来ました!」


 リディの背後では、御者やカンタール家の使用人たちが馬車から荷物を下ろしている。

 大きい箱が2個、3個、4個……まだ出てくる。

 得意げなリディにうちの使用人が近づいて、遠慮がちになにか伝え始めた。


「ええ、ええ。そうですか……。いえ、当然のことです。確認後、中に運んでいただく形で結構です」


 運び込む前に中身の確認をすると伝えられたようだ。

 リディやカンタール家を疑いたいわけじゃないけど、この量じゃ仕方ないだろう。

 確認に時間がかかりそうだったから、リディには先に中に入ってもらった。


 移動の疲れもあるだろうから、まずは2人でお茶を楽しむ。

 それまで和やかな雰囲気だったのに、紅茶を口に含んだ途端、リディの表情が固まった。


「リディ?」

「……アイナ様。この茶葉、どちらでお知りになりました?」

「えっと……。これは、ジークベルト様からプレゼントしていただいたもので……」

「あの男……!」

「え?」

「いえ。……実は私も、同じ茶葉をアイナ様にお贈りしたいと思っていました。今日も持ってきているんですよ。本当はすぐにお渡ししたかったのですが……。あの荷物の量でしたからね」


 一瞬、リディが冷たい声を出したような気がしたけど、気のせいだったみたいだ。

 今はこんなにも楽しそうな顔をしている。

 ……あの男、って聞こえたのは気のせい……だよね?


「ジークベルト様と同じものを、リディが……?」

「はい。この香り、この味。間違いありません」

「……そう。私の好み、覚えててくれたんだね。なんだか嬉しいな……」

「アイナ様……! もちろん覚えています! 紅茶の好みも、甘いお菓子がお好きなことも。私の銀髪に憧れて、銀色の絵の具を見つめていらっしゃったことも……!」

「最後のは忘れて欲しかったかも……」

「忘れることなんてできません。アイナ様と過ごす時間は、本当に楽しかったのですから」


 昔を懐かしむように、けれどしっかり目の前の私を見て、リディは微笑んだ。

 心が痛い。嬉しい。楽しい。色々な感情が私の胸に生まれる。


「ジークベルト様といえば……。アイナ様、ジークベルト様となにかありましたか?」

「へっ?」

「実は先日、私宛てにジークベルト様からお手紙が届きました。内容は……そうですね。話す許可をご本人から頂いている範囲ですと……『アイナと連絡が取れなくて寂しいから、僕宛ての言葉をもらってきて』といったところですね」

「そ、そうなんだ……」

「はい」


 そういえば、リディに会うことはジークベルトにも伝えてあった。

 あの件以降、私が手紙の返事すら出さないから、リディを介して接触を試みたんだろう。

 会いもしない、手紙の返事もないって、向こうは寂しいかもしれないけど……。私だって、いっぱいいっぱいなんだ。

 だって、あんな、ほっぺたに、あんなこと……!


「っ…………!」


 思い出しただけで顔に熱が集まってくる。

 

「……アイナ様?」

「な、なんでもないの……。ジークベルト様には、もう少し待って欲しい、と伝えてもらえると……助かるかなって……」


 顔を真っ赤にしてこんな伝言を頼むなんて、「なにか」ありましたと言ってるも同然だ。

 それが更に恥ずかしさを加速させ、もうリディの顔を見ることすらできない。

 俯いて両手で顔を覆う。熱い。ものすごく顔が熱い。

 そんなことをしていたから、リディがどんな表情をしているのかは知らずに済んだ。



***



 リディが生まれた家、カンタール侯爵家は貿易に携わっている。

 そのため、珍しい品が手に入りやすいそうだ。

 リディが持ってきた謎の大荷物には、他国の面白い品が詰まっていた。

 久しぶりに会う私に色々見せたくて張り切ってしまったとか。

 中には、木彫りのクマなんてものもあった。

 普段の私なら、それらに目を輝かせたことだろう。

 でも、今日は。


「せっかく来てもらったのに、ごめんなさい。色々あって、あまり落ち着いていないの。……よかったら、また今度来てくれる?」

「……ジークベルト様からのお手紙を読んだ時から、なんとなくそんな気はしていました。落ち着いた頃にまたお会いできると嬉しいです」

「……ありがとう」


 ジークベルトのことでぐるんぐるんしてしまって、何も頭に入ってこなかった。


 リディを見送り、小さく息を吐く。

 友達が来てもこれ。勉強にもレッスンにも身が入らないって……


「よくないよね……」

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