14 その少年、愛らしいだけでなく

「久しぶり……ってほどでもないか」

「こちらはずいぶん長く感じたよ。しっかり治ったみたいでよかった。……それで、今日も書庫かい?」


 シュナイフォード邸の前で、ジークベルトと言葉を交わす。

 彼に会うのは、約10日ぶりだった。

 普段なら、すぐに中に入れてもらい、書庫へ向かう。

 でも、今日は本に夢中になる前に言いたいことがあった。


「うん。でも、その前にちょっと話したいことがあって……」

「話したいこと?」


 もごもごする私を見て、彼が首を傾げる。

 この人は、やっぱりとても可愛らしい。

 さらさらの茶色い髪。くりくりの、黒く優しげな瞳。

 私でもわかるぐらいに、鼻や口といったパーツの形や配置も整っている。

 髪を伸ばしてスカートをはかせたら、もう完全に女の子だ。

 これで勉強もスポーツもできるって、この世界の神様は配分を間違えたんじゃないかと思えてくる。

 

「アイナ?」

 

 黙り込んだ私を不思議に思ったのか、彼がぐいっと顔を覗き込んできた。

 少し動いたらくっついてしまうぐらい近い。

 婚約者の私だからいいけど、他の人にこんなことをしたら、様々な勘違いを生みそうだ。

 顔がよすぎるのも大変だなあ、なんて考えて、はっとする。今日は可愛らしいこの少年に、言いたいことがあったのだった。

 あまりにも近かったから一歩下がり、少し迷ってから口を開いた。


「あの、ジーク」

「なにかな?」

「その……。もっと休んだ方がいいって言ってくれたのに、無視してごめんなさい。心配をかけて、お見舞いにまでこさせちゃって……。後で風邪ひかなかった?」

「うん。僕は大丈夫だったよ」

「そっか……よかった。あとね、もう1つ言いたいことがあって」

「もう1つ?」


 次の言葉がなかなか出てこない。

 これから彼に伝える言葉は、きっと、言った人も言われた人も嬉しくなるものだ。

 言わなければよかった、なんてことにもならないと思う。

 そうわかってるのに――


「っ……」


 顔に熱が集まるのを感じる。鼓動も早くなって、喉が渇く。

 ああ、私、恥ずかしいんだ。

 できることならこのまま逃げてしまいたい。でも、ここで終わったら「ごめんなさい」しか言えてない。

 言う。もう1つの気持ちも、ちゃんと伝えるんだ。


「……とう」

「え?」

「……ありがとう」


 まだ熱くなるんだ、と思うぐらいには全身が熱い。

 自分で見えなくても、顔も真っ赤になっているのがわかる。

 既に限界だけど、ありがとうの一言じゃ、向こうはなんのことかわからない。

 だから、もうちょっとだけ頑張りたい。


「ジークは……いつも私のことを気遣ってくれるよね。体調もそうなんだけど、お茶会のときに私の分も話してくれたり……。お茶会への参加も、無理強いせずにずっと待っててくれて……。すごく、感謝してます」

「う、うん」

「これからはどんどん出席するって、今すぐ約束はできないけど……。でも、ちゃんと出られるようになりたいって、そう思ってます」


 ジークベルトは、ちょっと驚いたような顔をしている。

 2年近く逃げ続けていた人が、急にこんなことを言いだしたんだ。びっくりもするだろう。

 

 些細なことへのありがとうをその場で伝えることはあったけど、積み重ねたことに対する感謝を伝える機会はなかった。

 改めて感謝の気持ちを言葉にするって、やっぱりすごく恥ずかしい。

 目を合わせていると爆発してしまいそうだから、顔を下に向ける。

 そうして彼の姿をまっすぐ見ないようにすれば、恥ずかしさが和らぐ気がした。


 ……ここまで話したのだから、一気に言ってしまおう。


「この前お見舞いに来てくれたのも、びっくりしたけど嬉しかったの。あと……これは小さい頃からなんだけど、一緒にいるときは近くで見守っていてくれたよね。私、ジークがそばにいると安心できたんだよ」

「うん……」

「……いつも、ありがとう。ごめんなさいだけじゃなくて、ありがとうもちゃんと伝えようと……おもっ……て……」


 途切れ途切れになってしまったけれど、言いたいことは言えた。

 少しのあいだ、向こうの反応を待ってみる。彼はなにも言わない。

 おそるおそる顔をあげてみれば、ジークベルトは今までに見たことがない表情をしていた。

 喜んでるわけでもないし、急に感謝を伝えてきた私に引いてるふうでもない。

 ただただ「無」みたいな……。真顔っていうのかな。そんな顔をしていた。

 私、なにかまずいことを言っちゃったのかな。


「ジーク……? あの……」

「……! ごめん、ちょっとびっくりして……」

「ううん、急にこんなこと言われたらびっくりするよね。話したいことはこれで終わりだから、そろそろ中に……」


 シュナイフォード邸を指さしながら、足を動かす。そのまま歩き出そうとしたけど、できなかった。

 ジークベルトに腕を掴まれて、進むことができなかったのだ。

 彼は思いつめたような顔で一歩、二歩と近づいてくる。

 顔がくっつきそうなぐらいの距離になって、それから――


「……?」


 頬になにかが触れた。その「なにか」はすぐに離れていく。

 なにかって……え……?

 状況が飲み込めず、自分の頬に触れる。

 えっと……ジークベルトに腕を掴まれて動けなくなって、彼の方を向いたらちょっとずつ近づいてきて、顔がものすごく近くまできて、ほっぺたになにかが触れて……。

 こ、これは……もしかして……。


「~~っ!?」

「行こうか、アイナ」


 頬を押さえて赤面し、動けない私。

 それとは対照的に、ジークベルトは何事もなかったようににこやかだ。

 すっきりした風にも見える。


「早くしないと、時間がなくなるよ」

 

 そんなことを言いながら、玄関に向かっていってしまう。

 それでも動けないでいると、戻ってきた彼に手を引かれて書庫へ連行された。



***



「今日はあまり集中できてないみたいだね?」


 いつもの書庫……正確には、書庫の隣の読書スペースにて。

 ジークベルトの声には、嬉しさが滲んでいる。

 ……誰のせいだと思ってるんだろう。絶対にわかってて言ってる、この人。

 視線を上げれば、面白そうにこちらを見つめる彼と目が合う。

 

「っ……」


 直視できなくて、すぐに本に視線を戻した。


 この子……いや、この男、可愛い顔の男の子だと思いきや、意外とやり手なんじゃ……。

 12歳のくせに、婚約者にあんなことをして平然としてるなんて。

 ほんとに、なんで落ち着いてるのこの男子……。

 お姉さんのつもりだった私だけ動揺してて、なんだか悔しい。

 でも、意識するなっていう方が無理だ。

 18年と12年、私にはこんな経験なかったのだから。

 もう限界。一旦逃げよう。


「あの、ジーク。なんだか熱がぶり返しちゃったみたいで……。だから今日はもう帰るね」

「それは大変だ。まだ本調子じゃなかったのかもしれないね。日を改めようか」


 私の言葉に驚くこともなく、寂しそうな顔もせず、彼は機嫌よさげにそう答えた。


 熱っぽいのは確かだ。

 でもこれは風邪の熱じゃなくて、目の前のこの人によって発生させられたものだ。

 ジークベルトも、それを理解したうえでにこにこしているんだろう。


「迎えはまだ来ないだろうから、帰りの馬車はうちで用意するよ。ゆっくりお休み」

「う、うん……。ありがとう」


 そうして家まで送られた私は、たまらず自室のベッドに倒れ込み――風邪を引かないよう、ちゃんと布団をかぶって寝込んだ。

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