11 きっと、どちらも大切な言葉
それからは、今までやっていたことに加えて社交もこなし、ご令嬢らしさを強化するレッスンにも全力で取り組んだ。
そうして、あれもこれもやろうと活動し続けた結果――
「……くしゅん! うう……」
1か月ぐらいで見事に体調を崩した。
ある日の朝。
自室のベッドに横たわり、ぼうっと天井を眺めていた。
くしゃみ、鼻水、熱、のどの痛み、だるさ……。
これはもう、風邪を引いたと思って間違いないだろう。
原因は……やりたいやらなきゃばかりを優先して、体調管理にまで気が回っていなかったことだと思う。
「アイナ様、お医者様をお呼びしましたからね」
そう言いながら濡れタオルを交換してくれたのは、私付きのメイドのアンジェだ。
黒髪黒目の彼女を見ると、なんだか懐かしい心地になる。
はい、と返事をしたあともずびずびと鼻水が出て、初日の朝の時点で嫌になってきた。
ただの風邪だろうけど、それなりにしんどいのだ。
こんな姿を兄に見られたら、きっと大変なことになっていた。
私が熱を出して寝込む姿なんて見たら、泣きながら手を握って「頑張れ……! 頑張れアイナ……!」とか言ってきそう。
実際、去年に風邪を引いたときはそんな感じだった。
あそこまでされるとこちらも疲れるから、兄が家にいなくてよかったと思ってしまう。
この国の上流階級の男子は、14歳になる年からの4年間、寄宿生の学校へ通うことになる。
卒業してそれぞれの家に戻るのは、17歳が終わる頃だ。
2つ上の兄も今年から寄宿舎住まいで、ラティウス邸にはいない。
両親は寂しそうにしているけど、過剰なまでに可愛がられたり心配されたりしていた私からすると、やっと落ち着いて過ごせる……といった具合だ。
もちろん、ジークベルトも再来年の春には学校へ通い始める。
なかなか会えなくなると思うと、なんだか寂しい。
……そういえば、明後日は彼と読書会の約束があった。
この調子だと無理だから、風邪を引いたと早めに伝えるべきだろう。
「あの……。私が体調を崩したこと、ジークベルト様は既にご存知なのでしょうか」
「まだお伝えしていないかと……」
「ならジークベルト様に連絡を。2日後に会う約束もしていましたから」
「お辛ければ、こちらでお伝えしましょうか?」
「いえ、私が自分で手紙を書きます」
そこまで話すと、アンジェはふふ、と嬉しそうに笑みをこぼした。
「……アンジェ?」
「そうですね。アイナ様直筆のお手紙にしましょう。診察と処方後、少し休んだ頃に封筒と便せんをお持ちします」
お医者様の到着まで休んでいてくださいね、と付け加えられ、素直に従う。
診察の結果は、やっぱり風邪だった。
今はただの風邪でも、こじらせると他の病気に繋がる可能性もある。よくなるまでは薬を飲んでなるべく安静に、とのことだ。
まだ午前中だったから、処方された薬を飲んだらひと眠り。
目が覚める頃にはお昼時になっていて、少し体が楽になった気がした。
料理長が用意してくれた消化にいいスペシャルメニューを食べ、お昼の薬を飲む。
そこまで済んで、ようやくレターセットが運ばれてきた。
手紙の内容は大体こんな感じだ。
風邪を引いてしまい、明後日までに治りそうにない。
治ったらまた改めて約束を取り付けたい。
もう診察は済んでいて、薬も処方されていることも書いた。
伝えるべき点をざくっと書き、便せんを封筒にいれる。
アンジェに渡すと、すぐにシュナイフォード家へ届けてもらえることになった。
朝よりは楽になったとはいえ、いつものように本を読むわけにもいかない。
体調がよくなるまでは家庭教師も来ないし、外出も禁止だそうだ。
そうなると、とても暇だ。もう一度ベッドに横たわる。
午前中もほとんど寝ていたから眠くない……と思っていたのに、なんだかうとうとしてきた。
どうせ何もできないんだし、このまま寝てしまおう。
そう考え、眠気に従って目を閉じた。
***
どのくらいの時が経ったんだろう。意識が浮上する。
ゆっくり目を開けると、視界の端、いつもは何もない部分に何かがある……いや、いるのがわかった。
「……?」
そちらに視線を移すと、
「アイナ、目が覚めたんだね」
そう言いながら、ぱたん、と本を閉じるジークベルトの姿があった。
「へ? ジーク?」
「調子はどうだい?」
「え、っと……まあまあ……?」
朝よりはだいぶ楽になっていたからそう答える。
私の答えを聞いた彼は、安心した様子で微笑んだ。
「それはよかった」
「……じゃなくて! どうしてここに?」
身体を起こそうとすると、やんわりと元の姿勢に戻される。
「寝てていいよ。……手紙を読んですぐにこっちに来たんだ。具合はどうかなと思ったけど……とりあえずは大丈夫そうだね」
「う、うん……」
手紙を読んですぐって、この人、いつからここにいたの?
ジークベルトに風邪をうつしたくはない。
王族男子である彼は私よりやることも多いはずだし、何より、たかが風邪でもそれなりに辛い。
「あの、ジーク。私、風邪を引いてるから早めに……」
早めに帰った方いい、と続けるつもりだった。
彼にしては珍しく、こちらを遮る形で話し出す。
「うん。わかってるよ。君と話せて安心したから、僕はこれで退散する。じゃあね、アイナ。お大事に」
ちょっと早口でそう言ってから立ち上がり、早足で私の部屋から出て行ってしまった。
この人は基本的に穏やかで、動作も丁寧。だからゆっくりとした印象があるけれど、運動も得意で素早く動けたりもする。
「え……? なんだったの……?」
目が覚めたら婚約者がすぐそばにいた。
かと思えば、安心したからもういいと言ってあっさり帰った。
部屋に残された私は、なにがなんだかわからず呆然としていた。
間もなく聞こえたノックの音。どうぞと返せば、ジークベルトと入れ替わるようにアンジェが入室する。
「ジークベルト様とお話できましたか?」
「ええ、一応……。あの方はいつからここに?」
「1時間ほど前でしょうか」
「1時間……。風邪を引いてるってわかっているのに、私を起こすこともせず、ずっと近くに……?」
「もちろんお止めしましたが、どうしてもアイナ様のそばにいたい、起きるまで待つとおっしゃられて……」
「どうしてそんなこと……」
「それは……」
アンジェの言葉が途中で止まる。少し考える様子を見せてから、再び口を開いた。
「ジークベルト様は、アイナ様をとても大切にしておられます。体調を崩して伏せった未来の妻……大切な人を心配して、わがままを通してでもアイナ様の近くにいたいと思われたのでしょう」
「大切な、人……」
「……最近のアイナ様は明らかに無茶をしていましたから、余計に心配だったのかと」
「……」
思い返してみれば、もっと休んだ方がいいと周囲の人に何度も言われていた。もちろん、ジークベルトも。
なのに私は「大丈夫」と返して走り続け、こうして体調を崩した。
「……謝らなきゃ」
身体を大事にして欲しいと言われていたのに無視をして、彼に心配させてしまった。
だから謝ろうと思った。
でも――
「アイナ様。……ありがとう、と」
「……え?」
アンジェがベッドのそばにひざまずき、そっと私の手を取った。
「ごめんなさいとありがとう、両方の気持ちをお伝えするのはいかがでしょう。大切に思ってくれてありがとう。そう伝えるのも……きっと、大事なことです」
「……そう、ですね。体調がよくなったら、感謝の気持ちも伝えようと思います」
「では、早く風邪を治してしまいましょう。それまでは、無理に本など読みませんように」
「うっ……。気を付けます」
そう答えれば、アンジェは満足げに微笑んだ。
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