10 自分のことも、身近な人も守るために

 リディに感謝を捧げていると、オルマリアが小さく言葉を発した。


「……アイナ様は虫が苦手なんですのね」

「近くにいるだけなら問題ありませんが、こちらに向かって飛んで来たり、くっつかれたりするとダメで……」

「だからあのとき、ジークベルト様はあんなことを……」

「……ジークベルト様がなにか?」


 この流れで、どうしてジークベルトが出てくるんだろう。

 オルマリアの瞳が私を捉える。

 頑張って睨んでいるというよりは……悲しくて、悔しくて、怒ってもいる。

 そんな目をしていた。


「……して」

「へ?」

「あなたはあれだけジークベルト様に愛されていながら、どうしてあの方を1人にするのです」

「え……」

「それぞれのお屋敷で個人的に会っていることは存じております。でも……あなたはこういった場にほとんど出てこない。最初は、単にご都合が合わないのだと思っていました。でも、そうではありませんよね?」

「それ、は……」


 表に出ないことを面と向かって指摘されるのは、初めてだった。


「婚約者不在のまま社交をこなすジークベルト様のことを……少しでもお考えになったことはありますか? ……これからも、あの方を1人にし続けるおつもりなのですか」


 苦しそうに紡がれる言葉。


「アイナ様、あなたは……ジークベルト様のことを、大切だとは思わないのですか。王族の婚約者として、ジークベルト様に相応しい行動をしようとは思わないのですか」


 言い返すことなんて、できなかった。

 俯くだけの私をかばうように、リディが一歩前に出る。


「控えなさい、オルマリア。そのよく回る口を閉じて、即座に立ち去ることね」


 今まで聞いたことがないぐらいに、冷たい声だった。

 私は公爵家で、リディは侯爵家。対するオルマリアは伯爵家。

 これ以上はまずいと思ったのか、


「……失礼致しました」


 そう言い残し、オルマリアは小さくお辞儀をしてこの場から離れていった。




「アイナ様……」


 2人だけになった空間で、リディが私に寄り添う。

 

「ありがとう、リディ。でも……大丈夫、だから」


 オルマリアの言うことは間違っていない。

 みんなの優しさに甘えて好き勝手に行動していたのは、他でもない私だ。

 アイナ・ラティウスを名乗る以上、オルマリアが感じているような思いを抱かれるのは当然のことだ。

 これからどう過ごすか、もっと真剣に考えるべきなのかもしれない。



***



 シュナイフォード家主催のお茶会は終了。帰宅した私は、自分のベッドに飛び込んだ。

 もちろん、楽な格好に着替えてある。


「うー……」


 こんな声を出したって、ぎゅ、とシーツを握ったって、状況は何も変わらない。

 自分がどうすべきか考えることになるから、貴族社会に出るのは苦手だった。

 今日はオルマリアの指摘もぐさぐさ刺さってしまい、いつもよりつらい。


「どうすればいいんだろう……」


 2年経っても、私の心は決まらなかった。


 自分が誰なのか、どんな人間なのか知りたい。

 やれること、やりたいと思うことを見つけたい。

 自分が落ち着く場所、ここにいていいんだと思える場所で過ごしたい。

 今度こそなにかを掴み取って、一度は終えた人生を取り戻したい。


 そう思ってたくさん本を読んで、実際に町にも繰り出した。

 正直、町にいるときの方が心地いい。

 なのに、アイナ・ラティウスの名前を捨てることができない。

 

 このままふらふらしていたいけど、ラティウス家やジークベルトのことを考えるとそれも難しい。

 立場に相応しい行動を、と面と向かって言われたのは今日が初めて。

 でも、私に聞こえる場所で言わないだけで、きっと、裏ではもっとたくさんそういう話をされている。

 もしかしたら……私だけじゃなくて、お父様とお母様、ジークベルトまで、あの人たちは甘いと言われているかもしれない。


「……そんなの、嫌だな」


 私を大切にしてくれる人が、私のせいで悪く言われるなんて嫌だ。

 それに、親友だったはずのリディにだって、寂しそうな顔をさせてしまった。

 自分のやりたいことをやりつつ、身近な人も守りたいなら――


「やりたいことも、やらなきゃいけないことも、両方やろう」


 季節が夏に近づく頃、そう決めた。



***



 僕の婚約者が困っているなあと思っていた。

 こういった場にあまり出てこない分、出席したときはお喋りを求められて大変らしい。

 助けに入ろうとも考えたけど、アイナの友人であるリディが近づいていったから、とりあえずは任せることにした。

 リディと一緒に会場を抜けるアイナを目で追っていると、1人の女の子がアイナたちについていくのが見えた。


 あの子はたしか……オルマリア・ラウリーニ。

 色々な人に注意をして回る、物言いがきつい子だと聞いたことがある。

 高飛車で嫌な女だと評する人もいるぐらいだ。

 そんな人が、アイナを追いかけて会場を離れた。

 なんとなく、嫌な予感がする。


 僕も抜け出して、ちょっと離れたところから彼女たちの様子をうかがう。

 感情的になったオルマリアの声が聞こえる。

 彼女の指摘は、間違ってはいないのかもしれない。

 でも、勝手をされると困るんだよね。

 何も言ってもいいと思われたらまたアイナに物申すかもしれないし、僕のほうからちょっと圧力をかけておこうかな。


 そう思い、こちらに向かってきたオルマリアの前に出ようとして――


「……?」


 彼女に姿を見せる前に、立ち止まってしまった。

 何故なら……

 

「やってしまいました……やってしまいましたわ……。どうしてあんな言い方しかできないのかしら……。きっと、アイナ様を傷つけてしまいました……それに、あんなことをしたら、わたくしは、アイナ様にきらわれ、て……。あっ……アイナ様とリディ様のお気持ち次第では、お父様にだって迷惑を……。わたくしのせいでアイナ様が悩んでしまってジークベルト様とぎくしゃくする可能性だって……! ああもう、わたくしなんて一生壁に埋まってるのがお似合いなんですわ……。そうね、埋まりましょう。埋まるなら我が家のあのあたりがいいと思いますの……」


 急にしゃがみ込んだオルマリアが、虚ろな瞳でそんなことを呟いていたからだ。

 壁に埋まりたがる伯爵令嬢を見た感想は、


「ええ……」


 だった。

 アイナをいじめないでくれるかな、と告げておくつもりだったけど、なんだか気の毒になってきた。

 う、うーん……。今回は見逃してあげてもいい……かな……。

 また同じことをしたら、そのときは僕が出るけれど。

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